夢が、変質する
したがって楠丸はこの夜も、患者の夢に入り込む、予定であった。マナカと似た、【ものすごい悪夢】をいただこうと、ストローを担いで、悪夢の闇にとろけたはずだったが――
「あれ……? ここ……」
見覚えのある風景だった。それはそうだ。どう見ても、マナカの診察室だった。
気がつけば、白衣を着たマナカがそこにいる。
「マナカ……? 俺、入る夢間違えたかな……」
マナカがここにいる、ということは、これはマナカの夢だ。だが、これまで少しずつ喰ってきたマナカの夢とは、どこかが違っていた。マナカの夢は、もっと……こんな静か、あるいは、穏やかではなくて、どちらかというと、衝動的というか、激しいもので……
「……おかしいッスねえ……マナカの夢って……こんなんだったっけ……?」
楠丸が首をひねったそのとき、マナカが話しかけてきた。
「どうしたの、楠丸?」
「え」
これもいままでにないことだった。通常、夢を喰う精霊が、「喰う」以外に、夢に直接影響を及ぼすことはない。逆もまたしかり、夢が、楠丸に直接何かをなすことはないはずなのだ。いままでのマナカの夢もそうだった。なのに……目の前のマナカは……平然と、話しかけた……?
「喰って、いいのよ? いっぱい、いっぱい、喰いなさい」
楠丸はストローを構えたまま、動きを止めた。違う。この夢は何かが違う。
試しに、すこしだけ、吸ってみる。
「……違う……マナカの夢じゃ……ない……? マナカの夢と味が違うっス!」
自分の知っている、マナカの夢の味ではない。
では今日の患者の夢? ではなぜマナカがここにいる!?
楠丸は本能的に後ずさる。また全身が総毛立つ。ストローを持つ手が、震えた。
この夢はいけない。早く抜け出さないと――――――
「逃げちゃだめよ。お前は夢を喰うためだけにここにいるんでしょ?」
「え…………」
とん、と肩を押されて、楠丸はそこに倒れ込んだ。
「ぐっ」
楠丸の上にマナカが馬乗りになる。顔を近づけてくるマナカを、楠丸はストローで防ごうと必死だった。いつものマナカじゃない。なにか自分にもわからないことが起こっているのを、楠丸は感じ取っていたが、どうにもできなかった。
「さあ、――召し上がれ――」
「わあああああああ‼」
彼は叫んだ。世界がぐるんと回るのを、そのとき感じた。
次の瞬間、楠丸が目を開けたとき、そこは同じ診察室だった。
「現実に……戻ってきた……?」
夢と現実を自由に行き来できる楠丸にとって、これは戸惑うべきことだった。確かに自分の意思をもってあの夢から脱しようとはしたが、まるではじかれるようにして戻ってきたのは初めてだった。
マナカがそばで、楠丸を揺すっていた。
「楠丸、楠丸」
「……マナカ……?」
「おはよう。どうしたのよ、うなされて。喰うの、失敗した?」
楠丸はようやく、現実の世界に戻ってきたことを実感した。ああ、いつものマナカだ、と思った。だが――
「――ん――なんか、変な夢だったんス、患者さんの夢なのに、マナカが出てきて、しかも喰いきれなくて……」
「薬は何日分出してた?」
「確か三日分……今夜も喰いに行ってみるっス、マナカの夢、あんまり喰ってないから、恋しくなったのかな……」
この会話の違和感に、楠丸はすぐに気がつくべきだった。いつもの彼なら気がつ
いていたかもしれないが、さっきまでの夢の奇妙な空気、そして、いまの、楠丸が現実だと思っている空気――が、彼の記憶と判断を鈍らせていた。
「そのうちね。じゃ、支度、始めましょ」
「はいっス。……ん?」
楠丸は腹を押さえた。なにか、いつもと違う重たさが、彼の腹にずんとのしかかっていた。
「どうしたの?」
「なんか……いや、なんでもないっス」
「変なの」
マナカはくすくす笑った。そのとき、診察室の扉が叩かれた。
「わ、早いっスね!」
楠丸はすぐに受付へ戻ろうとしたが――思った。
受付スルーでなんで診察室に患者さんが来るんスか?
そして入ってきた患者は――――
「あの、悪夢もまだ見るし、腕も全然治らなくて」
「えっ……!?」
先日、楠丸が喰ったばかりの悪夢を持つ女性だった。
そんな馬鹿な。全部きれいに喰ったはず……楠丸は行きかけた足を止めた。
「腕、見せてごらんなさい。……切っちゃいましょうか、これ」
「切る!?」
女性と楠丸が叫んだのは同時だった。
「だって治らなかったんでしょ? もし腫瘍だったらどうするの? 切りましょ」
マナカのその笑みはひどく残酷なものだった。楠丸は慌ててマナカの前に立ちはだかった。
「マナカ!? どうしたんスか!」
「どうって?」
「いままでそんなこと言ったことなかったじゃないっスか。夢が関係してなかったら、普通に治療したりほかの病院紹介してたりしたじゃないっスか。なんでまず切るとか……」
マナカはなお残酷な笑みを浮かべる。
「だってそうしないと治らないと思ったもの」
「マナカ……まさか……」
楠丸は空間からストローを出した。――出た。夢の世界でしか使えないはずのストローが、いま、ここに出てきたということは……
「なにしてるの? 楠丸?」
「夢が現実を喰い始めたのか……誰かの夢の中なのか……わかんないっスけど! ここは現実とは違うっス! そしてお前はマナカじゃない!!」
楠丸は素早くマナカにストローを向けた。
「マナカに化けるとかサイッテーなことしてくれたッスねえ。お前が夢でも現実でも関係ない!! 喰わせてもらうっス!!」




