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夢持つ、その女医

 翌朝マナカが診察室に現れたときから、既に楠丸は不機嫌マックスであった。

 一応診察室の支度はしてくれているものの、ぶつぶつと何かつぶやいては手が止まり、手を動かし始めてはぶつぶつと何かつぶやく。

「楠丸、おはよう。……どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないっスよ」

 毎晩仕事をさせているのだ、なにかあってもおかしくない。すこしの罪悪感がマナカを支配する。

「ゆうべ失敗した? それとも超マズかった?」

「いや、夢喰うのには成功したっスよ。まずまずのお味だったっス」

「じゃなんでそんなに機嫌悪いの」

 言われて楠丸は、自分が不機嫌であったことにいまさら気がついた。こうなると、正直に話しておいたほうがよさそうであった。

「なーんか……変な奴がいて……」

 その言葉に、マナカはドキリとする。

「――夢の中に? あんた以外に?」

 がり――マナカの手が、無意識に腕を掻く。

「そうっス。そいつ、俺が夢喰うって、知ってたんスよ」

 マナカはなおも腕を掻き続ける。たぶんあちこち皮膚が裂けてもいるはずだ、あえて確認してはいないけれど。

「なんか知ってるんスか、マナカ」

「ううん……知らない。同業者かしらね?」

「俺は俺以外の精霊、ほかに何人も知らないっスけどね」

 楠丸はのんびりとした口調でそう言った。

「……まあねえ」

 いつからだったろう。もしかしたら生まれついてからそうだったかもしれない。

 マナカは悪夢以外の夢を見たことがない。夢を全く見ない夜も、ない。

 自分には何の害もないのに、目の前で、自分の周りの人間、自分の周りの世界がリアルに壊されていく、そんな夢を、彼女はずっと見ていた。

 ひとの悪夢を喰いながら生きている精霊、楠丸が、そんな彼女の夢に偶然出会って、もう何年にもなる。彼曰く、マナカのような悪夢を持つ人間は、何百年かに一度は出てくるのだという。楠丸自身もお目にかかったことはなかったそうだが。

「あんたくらいでしょうね、わたしの悪夢なんかに惚れこんで、そのまま居ついちゃうのは」

「悪夢としちゃすげえ美味そうだったっスからねえ」

 彼はずっと空腹感にさいなまれていた。年を経るごとに、ひとが夢を見るどころではない生活体系に変化してゆき、楠丸は正直餓死を覚悟していた。

 そこに極上の悪夢――こういう言い方がいいのか悪いのかは、さておいて――を持つマナカが現れた。向こう百年あまりは何も喰わなくても生きていけるだろうレベルのその悪夢を、彼は一気に喰おうとしたが、喰えなかった。喰いきれなかったのだ。楠丸はその姿をマナカに現し、土下座する勢いで、仕えさせてほしい、と申し出た。自分が生きていくために。

 マナカはマナカで、楠丸のような精霊がいるのなら、と、自分の悪夢を喰わせるより先に、ほかに悪夢を持つ人間を探し出して、楠丸に悪夢を与えていた。悪夢を見ることが身体にどういう影響を及ぼすかは、彼女自身がよくわかっている。彼女が自分の病院にわざわざ【夢に関するご相談】の文言を掲げているのは、そのためだった。

 以後、マナカも楠丸に自分の悪夢を喰わせることはあるが、やはり一気には喰いきれないし、多少喰ってもまた増えるの繰り返しで、マナカの悪夢は、量としては変わらないままだった。

「……でも、いま、大丈夫スか、マナカの悪夢。きのうも言ったけど、俺、もう一ヶ月、マナカの夢に入ってないっスよ。あんま育てすぎるとよくないんスよマジで」

 何百年も生きてきたとは思えない、彼のフラットな言い回しは、マナカに仕えだしてから覚えたものだ。受付で「ござる」とか言われても困ると思ったマナカが適当にテレビや雑誌を与えたらこうなった。それでも彼女は教育に失敗したとは思っていない。自分の悪夢だけが目的だとはいえ、自分よりずっと歳上でしかも人間ではないものなのに、驚くほどに彼が従順だったからだ。

「わたしのことはあとまわしでいいの。増える患者さんの夢、喰べてやらなきゃ、もし第二第三のわたしが出てきたらどうするの? 楠丸みたいな子はそう何匹もウヨウヨしてないでしょ?」

「精霊をボウフラとごっちゃにしないでほしいんスけど。だいたい、マナカほどの悪夢持ってる人間なんてそうそう、」

 言いかけた楠丸を、マナカは時計を見ることで制した。

「あー! そろそろ予約の患者さんがくるわ! 楠丸、受付座っといて」

「はいっス……」

 楠丸はしぶしぶと受付へ向かった。

 マナカはその背中を見ながら、また、無意識に腕を掻いた。

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