夢の世界は、続いていく
「マナカ」
「…………」
「マナカ! 起きて……」
楠丸に揺さぶられて、マナカはゆっくりと目を覚ました。診察室の机の上に突っ伏していることに、そのとき初めて気がつく。頭はまだぼんやりとしていたが、空気の感じ、薬品の匂いが、現実に戻ってきたことを如実に伝えていた。
「…………楠丸?」
「はいっス」
「……ねぇ?」
まだ覚めきらない頭ではあったが、疑問だけははっきりとしていた。
「何スか?」
「なんであんた、まだいるの?」
「ヒドくないっスかソレ!」
楠丸は思わずむくれる。
マナカは慌てて立ち上がった。
「ごめん。でも、だって、こっちの世界に戻ってきてるのよ」
気がつけば、あれだけ掻き毟ってひどかったジンマシンも、すっかり落ち着いている。ということは、マナカ自身の悪夢は消えたのかもしれない。そして、イツカと狼深も。そうなれば、楠丸にとって……
「俺がいる理由はない、そういうことっスか」
「……そう思った」
ばつが悪そうにマナカは言った。一番喰いたがっていたマナカの悪夢がなくなったのなら、別の悪夢で満足するならともかく、頭を下げてまで喰わせてくれと願い出た楠丸が、それで満足するわけがない。
楠丸はひとつ大きく呼吸をすると、照れくさそうに、言った。
「……別に、マナカの夢、喰うためだけに、ここにいるわけじゃないっスよ。俺は」
「――――え?」
「俺は、俺がここにいたいから、マナカのそばにいるんス。マナカはどうなんスか」
「どうって」
「マナカの悪夢は、消えた、かもしれないわけっスよ? マナカがここで、仕事続ける理由なんてないじゃないっスか」
それは、と、マナカは言った。あれだけタチの悪かった悪夢だ、簡単に消えてしまったとは思わなかったし、思いたくもなかった。
「……だから、もしかしたらまた……」
「でしょ」
「イツカは言った……」
マナカは思い出す。あのとき、世界が回る直前にイツカが言ったこと。
『いつだって、私はあなたのそばにいる。自分の中の闇に勝てなくなったら、』
「そのとき、私がマナカになる――」
その言葉は楠丸も聞いていた。だから彼自身も、「かも」、とは言いつつ、マナカの悪夢が完全に消えたとは思っていなかった。
「イツカは……消えてない。消えない、絶対に。そう言ったもの。だから……」
「それでいいんじゃないっスかねえ」
「楠丸」
「俺は――マナカのご命令とあらば、誰の夢でも喰いに行くっスよ。アイツ……狼深だって、消えてないっスもんねぇ、たぶん」
ふたりはそれぞれに思いを馳せる。きっとこれからも終わらない、夢の続き。
「必ずまた、会うわ。――逢える」
「どっかの、夢の中で、スね」
楠丸は机に腰かけた。マナカも、椅子に腰かけて、ふたりは背中合わせのようになった。
「覚悟なさいね、楠丸」
マナカがぽつとつぶやく。
「何スか」
「一生、喰べさせてあげる。ずっと、ずうっと、遠い未来で、わたしがここからいなくなるまで」
その言葉に、楠丸は口の端を上げた。
「望むところっスよ。俺……長生きっスからね。どんだけもたれても、たくさん喰って、マナカと一緒にいるっス」
「ついておいで、楠丸」
「はいっス」
マナカは立ち上がって、楠丸の背中を叩く。
「――さあ! 病院開けるわよ!」
楠丸も、元気に答えた。
「はいっス!!」
受付のほうへ、楠丸は駆けた。
マナカはそれを見送ってから、診察室の準備を始める。着ていた白衣を整えたとき――背中で、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた、気がした。
マナカは思わず振り返る。しかし、誰もいない。
彼女は白衣をひるがえした。
どこかの夢の中で――逢うであろう、彼女に向けたその笑みをたたえたまま。
――了――