表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/11

夢は、喰いきれない

「何……あれ……」

「マナカの……悪夢、そのものじゃないっスかアレ!」

 育つにもほどがあるっしょーよ、そう言って楠丸はストローを構えるが、マナカは楠丸が「喰う」のを制した。

 イツカが吼えた。

「あなたはいつだって私を見なかった……ほかのひとにばかり目を向けて、いつだって自分のことは後回しで」

 吼えるイツカの声が、マナカにはどこか、泣き声に聞こえた。

「イツカ……」

「イツカ様! 影がどんどん大きくなります! 抑えてください!」

 狼深が悲鳴にも似た叫びをあげる。

「私は自分を大切にするわ。あなたみたいに、自分を押さえこんで、闇を作ったりしない!」

「だから交代しろってのは、ちょっとワガママじゃないっスかね!?」

 イツカはじりじりとマナカに近づく。

 マナカは逃げもせず、イツカをまっすぐ見つめた。

「夢の中なら、なにもしなくてすむわ。誰のことも考えなくていいのよ」

 奇妙な微笑みを浮かべながら、イツカはマナカの顔を両手で挟んだ。諭しているようにも、命じているようにも聞こえるその声は、マナカそのものだった。

「ねぇ、マナカ。自分のことだけ考えなさい。自分のことだけでいいじゃない」

 マナカはそれまでじっと、イツカのするがままに任せていたが、ゆっくりと彼女の手を振りほどいて、はっきりと、言った。

「嫌」

 マナカのまっすぐな瞳と、まっすぐな物言いに、獣の影が緩んだ。

「わたしが自分のことだけ考え始めたら、あんたは消えるのよ」

「え…………」

 思いもしなかった言葉に、イツカは動揺した。

「わたしがほんとうに自分のことだけしか考えなくなったら、わたしは患者さんのことも、あんたのことも、考えなくなる。消えるわよ。イツカ」

「馬鹿な! イツカ様が消えるなど!」

 マナカは狼深にもきっぱりと言い放った。

「あんたも消えるでしょうね」

「何……」

「ふたりともわたしから生まれたものなら、わたしさえ考えることをやめれば、そのうち消えてなくなるわ。でもね、」

「それは、嫌」

 その言葉を発したのは、マナカとイツカと、ほぼ同時だった。

 消えたくない。それは確かにそうだったが、イツカはそこに別の感情が生まれているのを感じていた。思わぬ言葉を発したことに、イツカは口を押さえる。

「あっ……!?」

「わたしは背なんか向けてない。向ける気もない。いつだって、片隅には誰かがいる。あんたもね、イツカ」

「そんな……そんな、」

「戯れ言だ! イツカ様、吐きますっ!!」

 狼深はイツカを守りながら、いまにも夢を吐こうとしていた。

 それを見た楠丸が素早く、至近距離にストローを構える。

「待った! まとめていただくっスよっ!!」

 ふたりの動きはほぼ同時に思えた。

 マナカは瞬間、確かに、楠丸が【吸い込む】音を聞いた。だが、闇はほとんど晴れていないし、まだ気配も重苦しいものだった。

 だが――イツカと狼深は、いなかった。

「――消えた?」

「喰った感じは、あんまりなかったッスけど。……いや、でも、結構重たいな……」

 楠丸が腹を押さえてストローを杖代わりに使う。

「元には戻れてないわ。イツカたちもいない……全体を喰ってしまわないとだめだということ……? そんなことしたら……」

 たぶんなにもかも消える。そして、楠丸の身体もどうなるかわからない。

 それだけはほんとうに嫌だ。マナカがそう思ったそのとき、楠丸がいやにはっきりとした声でつぶやいた。

「あ」

「何」

「ヤバい」

「は!?」

「お腹痛いっス」

 それだけをようやく言うと、楠丸は震えてうずくまった。

「また!? 一気に詰め込んだせいかしら……しっかりするのよ、楠丸!」

「痛いー」

 マナカは楠丸の腹をさする。これに効果があるかどうかなんてわからない、とにかくできることはやらなくてはならない。

「深呼吸して。ゆっくりね」

「ひっひっふー」

「どこで覚えたのそんな呼吸! それじゃ出てきちゃうじゃないの! 止めて! ひっひっふーやめ!!」

「ひっひ」

 なおもラマーズ法を繰り返そうとする楠丸に、マナカが本気で怒る。

「楠丸っ!!」

「痛いんスもん、痛いんスもん。お腹、はちきれそうっス」

 怒った自分と、とんでもないものを喰べさせてしまった自分とに対する反省で、マナカはいっぱいになった。

「ごめん……ごめんね、楠丸……」

「ごめん、は、いらないっス。俺はマナカの悪夢に惚れ込んだんスよ。最後までちゃんと喰わなきゃ、死んでも死にきれないっス」

「でも……ここから出るには、この夢を全部喰わなきゃ……でも……そうしたら、楠丸が……だけど、ここから出るってことは……」

 楠丸がふいに黙る。意識を失ったのかとマナカは焦った。

「楠丸?」

「ほんとうは……ちゃんと、マナカとイツカの区別……ついてたんスよ、俺」

 まるでうわごとのように楠丸がつぶやく。適当なんかじゃない、ましてや勘などでもない。たとえ同じ顔をしていても、それがマナカかそうでないかくらい……

「楠丸……?」

「当たり前じゃないっスか……ずっとマナカと一緒にいたんスよ、俺……」

「わたしだって……わたしだって、楠丸と一緒にいるわよ! あんたがいなきゃ、誰が患者さんの悪夢を喰べるのよ、誰がわたしの悪夢を喰べるのよ!」

 緩やかに空間がねじれて、イツカと狼深が穏やかな視線でふたりを見つめた。

 それがマナカなのだ。いつも誰かのことを思い、いつも誰かのそばにいようとする。自分を顧みないという癖はあるけれど、それでも他人を見捨てたりはしない。

「そのなかには……きっと、私も、いるのね。マナカ」

 イツカは静かに微笑んで、つぶやいた。

「マナカ……でも、もしもぜーんぶ喰っちゃって、悪夢がなくなったら、俺……喰うもん……なくなるっスよ……?」

「いくらでも喰べさせてあげる! 言ったでしょ! わたしの悪夢はそんなチャチじゃない!! わたしには楠丸がいなきゃだめなの! 楠丸のことも、イツカのことも、狼深のことも、わたしはみんなのことを考えて、想って、生きていきたいの!」

 横たわる楠丸を抱きしめて、マナカは叫んだ。手を離せばいまにも楠丸がかき消えてしまいそうな、そんな不安に駆られた。

「消えないで……みんな消えないで! 誰も消えないで!!」

 必死だった。どの道を選択しても、誰かが消えていなくなりそうで、マナカはどうしていいのかわからなかった。

 そのときだった。

「マナカ!」

 イツカの声がした。ねじれた空間を背に立っているイツカと狼深に、マナカと楠丸は初めて気がついた。

「えっ?! ……イツカ……!」

「狼深!」

「――――ありがとう。私たちは消えない。あなたをずっと見つめながら、夢の中で生きてく。だけど、覚えていて、」

 イツカの口が動いて、言葉をつむいだのを、マナカは確かに聞いた。それと同時に空間がねじれ、世界がぐるりと回る。

「イツカ!?」

 そうして、マナカの意識は途絶えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ