夢相談、承ります
【総合診療お取り扱い。夢についてのご相談、承ります】
そんな不思議な看板を掲げる古びた病院が、町の片隅にあった。流行っているようには見えないが、予約制もとっているらしく、一定数の患者はもっているようだった。
院長はすらりとした美人の女医。受付には長髪のイケメンがいるともっぱらの噂で、両方を目当てにやってくる患者もいるくらいであった。
「あの……夢についてのご相談って、表に」
その日の患者も、そんな不思議な看板を見てやってきた、若い女性だった。
院長はその言葉にピクリとする。
「なんか嫌な夢でも見てるの?」
「はい」
「痒そうね。それ」
院長は冷静に、かつ的確に、女性が無意識に掻いている腕を指した。
「あ……これ、はい、ジンマシンかなんか、できてて、薬塗っても治んなくて」
「夢の内容について伺いましょうか」
院長はそっと、デスク脇のボタンを押した。受付から長髪イケメンがやってきて、そばで話を聞き始めた。
「? 痒いのと夢となんか関係が?」
女性が首をひねる。
「看板見てきたんでしょ? うち総合診療医でもあるから。ついでにその痒いのも、と思ってね」
「はあ。ありがとうございます」
「で、夢の内容は?」
「彼氏と離れ離れになっちゃう夢です。追いかけるんだけど、追いつかないの」
イケメンが何かに思いを馳せたように天井を見る。
「毎晩見る?」
「毎晩ですね」
「そう……わかりました。飲み薬出しときますから、今夜飲んで朝まで熟睡してください。朝にはジンマシン、消えてますし、以後悪い夢も見なくなります」
「え?」
女性はあっけにとられた。
「明日起きてもジンマシンが消えてなかったら、もう一回飲んでください。念のために三日分出しときます。一回で消えたらあとは捨ててね」
「そんなんで夢もジンマシンも消えるんですか」
「医者が消えるって言ってるんだから」
「ホントに先生医者ですか?」
「じゃなきゃ病院なんて開業しないわよ」
「そりゃあそうでしょうけど、本当に治るんですか」
「あなたのはきれいに治ります。はい、じゃ受付で薬もらってね」
「はあ……」
不承不承、女性は診察室を出て行った。長髪イケメンがそっとそのあとに続く。院長はカルテに書き込みをしながら、自分の腕を少し掻いた。
「…………楠丸」
呼ばれて、長髪イケメンが――彼は楠丸という名であった――コーヒーカップを持って入ってくる。
「はいっス、マナカ」
「さっきの患者さん、今夜、お願いね」
「あんま美味そうじゃないっスよね」
「……でしょうね。幸せすぎて怖い系の、普通の悪夢だわ」
普通っていうのもまあどうかとは思うっスけどね、楠丸はそう言って、院長――マナカにカップを渡した。
「ありがとう」
「ま、今夜喰い終われるレベルっスよありゃ。それよりも」
「何」
マナカは自分の腕がきりりと痛むのを感じながら、しかし、楠丸には悟られないように普通を装って聞いた。
「普通の、悪夢っスよねェ。……それが、その……」
楠丸は考えていた。【悪夢】は、それそのものが意思をもって育つと、身体に害を及ぼす。要するに、タチの悪い悪夢ほど、身体のどこかに【病】として、姿を現すものなのだ、彼曰くのところ。
「あんなに、ひどくはならないって?」
「そっス」
さっきの患者の女性を、楠丸も見ていた。薬を塗っても治らないジンマシン。普通の悪夢が、ああまで害を及ぼすのは珍しい、というよりは――――
「思うんスよね。最近、増えてないっスか、【患者さん】。一日にひとりかふたりは絶対悪夢抱えてるっスよ。前はもうちょっと少なかったのに……」
マナカは無意識に自らの腕を押さえる。
そんなことは楠丸に指摘されなくてもわかっている。以前は、【夢】の相談に来る患者など、一ヶ月にひとりもいればいいくらいだった。だがここのところは……あえて【夢】の相談でなく、体調不良でも、楠丸が視れば悪夢を抱えていることがわかる、そんな患者が、倍以上と言って差し支えないほど増えていた。
だがマナカはあくまで平然を装う。
「気にするほどじゃないでしょ。今夜の晩ご飯は彼女でいいわね?」
「……いいっスよ。けど、マナカ、最近、」
「大丈夫。一気に全部喰えるほど、わたしのはチャチじゃない。でしょう?」
誰あろうマナカ自身も、そのひとりであったからだった。
「けど、もう、マナカの夢、一ヶ月も喰ってないじゃないっスか俺!」
「楠丸! 【患者さん】が先」
彼女はぴしゃりとそう言うと、楠丸のおでこを軽くつついた。
「いつもマナカそう言って……俺心配なんスから……」
「はいはいありがとう。次の患者さんは?」
楠丸は一瞬、息をのんだ。だが、つとめて明るく言ってみる。
ただ気がついていないだけであってほしい。
「もうお昼っスよー。休憩のフダ下げて来たっス。きょうは予約の患者さんもいないっスもん」
「え? そうだっけ……」
まずい、と、楠丸は思った。彼女の悪い癖が出ようとしている。
「マナカ、その、ホント最近……」
マナカはやおら立ち上がった。楠丸の頭を優しくなでながら、諭すように言った。
「休憩してくる。患者さん来なかったら、きょうは早めに休診。オーケイ?」
それは楠丸にいらぬ心配をさせまいとした行動であったのかもしれない。あるいは、自分の置かれている状況に気がつき始めたのか。
後者であってほしいと楠丸は願う、自分の立場をさておいて。
「はいっス!」
立ち去るマナカの背中を追いかけて、楠丸はうれしそうに休憩室へ向かうのだった。