①アベリアの改心・1
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目を開けると、メイドのラナが私を覗き込んでいた。
私と目が合ったラナは、身体をビクッとさせ、冷や汗をかきながら後ずさりをした。
「も……申し訳ございません、アベリアお嬢様……!ついに息の根が止まったのかと思い、覗き込んでしまいました……!」
ラナは思ったことをそのまま口に出すことが多く、要領も悪いため、以前の私は、四六時中彼女にイラついていた。朝から晩まで彼女を怒鳴りたおし、殴り、物を投げつけることも多々あった。
しかし今の私はまるで別人のように、以前の自分の行動を恥じている。
一体どうしたというのだろう?
頭の中はスッキリとし、私でありながら、私では無くなっていた。
ビクビクとしながら固まって立ち尽くすラナに、私は頬をゆるめた。
「心配かけてごめんなさい。喉がかわいているから白湯を持ってきてくれないかしら」
「え……?」
怒鳴られると思っていたのだろう。ラナは拍子抜けしたような顔をした後「かしこまわりました!」と敬礼のポーズをとり、がに股で走りながら部屋を出て行った。
『かしこまわりました』……?『かしこまりました』でしょ。相変わらずメチャクチャだわ。
闘病で疲れ果てていた身体の全体重を、柔らかいベッドに預けた。まぶたを閉じればすぐにでも眠ってしまいそうだ。
そのとき、部屋のドアが開く音がした。
目を開けると、父を筆頭に、義母、弟がこちらに歩を進めていた。
「もう少し目を覚ますのが遅ければ、明日のパーティーをキャンセルするところだったぞ」
アゴが割れてはいるが、ダンディな顔立ちをした父ゲイルは、ベッドの横に立ち、冷たい目で私を見下ろすと、文句を言うような口調で続けた。
「皇太子の婚約者候補に名乗りを上げたいとワガママを言い出したのはお前だ。生きていたなら地を這ってでも明日のお披露目パーティーには顔を出すことだ」
それだけを言うと、もう用はないと言わんばかりに、私に背を向け、足早に部屋を出て行った。
私は胸の奥底に鋭い氷が刺さったような冷たい痛みを覚え、その痛みを隠すために微笑を浮かべていた。
うん、知ってる。父が死線をさまよっていた私の心配なんてしていなかったということは。
父ゲイルはコルシティン公爵家に女の子は要らなかったのだと言う。その上、政略結婚だった私の実母が嫌いだったらしく、実母の血を引く私を嫌悪している。
後妻である義母バーバラと父は、実母と結婚する前からの恋仲で、実母が病死した11年前に身重の身体で父と結婚し、後妻に収まった。
義母は、開いた扇子を口に当て、病床に伏す私を舐めるように見ていた。
「あなたのワガママが皇太子と侯女の婚約を邪魔しているって社交界でウワサなのは知ってるのかしら?全く、一族の恥だわ」
そう吐き捨てると、父を追うように、足早に部屋から去っていった。
目覚める前に強く望んだはずの改心への気持ちが徐々に削がれていく。バーバラの憎しみに私の憎しみが揺さぶられ、黒いものが心の中に広がりかけた。それを振り払うように、強くまぶたを閉じ、首を左右に振った。
残された腹違いの弟マルク(11歳)は、遠ざかるバーバラの足音を聞きながら、ベッドの横でしゃがみ込み、私と視線を合わせ、微笑を浮かべた。
「もう大丈夫なの?目覚めるときに側に居れなくてごめんね。心配したよ。3日間寝込んでいたのに、医者も呼ばずに明日パーティーだなんて、ひどい人たちだね。僕から父上にパーティー行かなくていいように頼んであげるよ」
ああ、出たよ。マルクのあっちこっちでいい顔作戦。
彼は私と両親の仲が悪いことを心のどこかで楽しんでいる。私の前では両親を悪く言い、両親の前では私を悪く言い、双方に味方のフリをしながら間に立つことで、家族のパワーバランスを握ったような錯覚を起こして快感を覚えているんだ。
以前の私は、そんな弟が腹立たしくて怒鳴り散らしていた。けれども、私をバカにし尽くしているマルクに私の怒りが届くはずもなく、いつも上から見下され、笑顔で交わされるだけだった。
しかし今の私は、5歳も年下のマルクにムキになってはいけないと自分に言い聞かせていた。それに、少しだけ本当に私を心配しているようにも感じる。3日間苦しんでいた間、もうろうとした記憶の中で、マルクが私に付きっきりで看病していたような気すらしてくる。そんな訳ないというのに。
深呼吸をして自分を落ち着かせると、マルクに笑顔を向けた。
「ありがとう。パーティーは行くわ。私は大丈夫だから、心配しないで」
いつもと違う私の反応に、マルクはキョトンとした。その表情から微笑は消え、当てが外れて残念そうな、なにか腑に落ちないような、そんな面持ちに変わっていた。
「あ、うん……。姉上がそう言うならいいんだけど……」
「病み上がりでまだ身体が疲れているの。少し寝てもいいかしら?」
「あ……そうだね」
マルクは何度も私に振り返りながら部屋を出て行った。
優しく生まれ変わりたいとは思ったけれど、優しい気持ちになれないのは、きっと私のせいだけではないはずだ。
なんだか急にどうでもよくなってきて、あのまま死ねばよかったという思いが過ぎった。すると、急にまた病気がぶり返し、激しい頭痛と吐き気と動悸に七転八倒した。
やっぱり死ぬのは嫌だ。私はバカだ。せっかく生き返ったのにまた死にたいだなんて、罰当たりだ。反省の念が沸くと同時に、脳裏に、あの優しい女性の声が蘇った。
『ただし条件がある。そなたが生き返ったあかつきには、必ず周りの人たちを救うこと』
周りの人たちを救う……?なにをどうやって?分からない。けれども、病気の苦しみから解放され、生きていられるのなら何でもしようと思ったとたん、再び身体は楽になっていった。
寝間着と布団は冷や汗でびっしょりと濡れ、喉はカラカラである。白湯を頼んでから30分以上経つけど、ラナはどこまで白湯を取りに行ったんだろう。
そのとき、ノックの音がした。ドアに目をやると、ラナが足でドアを蹴り開けて部屋に入ってくる。相変わらず品性のかけらもないメイドだ。
「いやぁ~、料理長が薬膳粥にすると言って聞かなくて。シャ虫ってゴキブリの粉探すの苦労しましたわぁ~。あのおっさん、ホンマ、ガンコで参りますわ~」
そう言いながら、私の枕元にあるテーブルに粥鍋の乗ったトレーを置いた。
粥に何を入れたって?!耳を疑う発言を今サラリと言ったよね!?
ともあれ、粥鍋の中は当然ながら粥が入っており、白湯はどこにも無かった。
私は衰弱しきった身体で、なんとか声をしぼり出した。
「……白湯を持って来いと言ったんだけど……」
「はい、粥を持って参りました」
「……粥ではなく、白湯だと言ったんだけど……」
「はい……?ああ……大丈夫です。粥を持って参りました」
ラナは必要以上に満面の笑みを浮かべて私を見た。間違いを誤魔化すとき、彼女はいつもこの顔をするのだ。
ああ、もうダメだ……いや、それでも生きていかねば……
周りの人を救う前に、誰か私を救ってほしいと願わずにはいられなかった。