8:気付いてしまった恋心(2)
サラダを食べ終わった隊長が、肉に手を伸ばしたその時。
「み、見つけたあ!」
店の入り口から、女性の高い声が聞こえてきた。視線を向けると、すらりと姿勢の良い、傭兵の格好をした若い女性が立っているのが見えた。ストレートの金髪がさらりと揺れている。その女性はこちらに指先を突きつけたまま、荒い息を落ち着けようと頑張っているようだ。
「あれは……ヒルダさん?」
そう言って首を傾げたアリエッタはもちろんのこと、隊長とリュカもきょとんとしていた。ヒルダというのは、ミンブルーでお世話になっていた傭兵の一人である。なかなかと勇ましい女性で、隊長に好意を寄せていると噂されていた。
ヒルダはすたすたと隊長の元へと近寄り、深呼吸をする。そして、潤んだ瞳で隊長をまっすぐ見つめた。
「置いていくなんて、ひどいじゃないですか!」
「えっ?」
隊長はぽかんと口を開けた。
「黙って国を出て行くなんて、ひどいです! なぜこのヒルダに一言も言わず去ってしまうのですか! 隊長様と一緒なら、たとえ地獄であっても恐くないというのに!」
「いや、別に地獄へ行く予定はないが」
「追いかけるのも大変だったのですよ! もう二度とこんなことしないで下さい! ……そして、そこの元王女!」
隊長の冷静な突っ込みを無視したヒルダは、キッとアリエッタを睨んできた。視線の鋭さに思わず後ずさる。
「隊長様の周りをうろうろするのはお止めなさいと言ったはずです! おまけに何ですか、その半透明の姿は! そんな姿になってまで隊長様の気を引こうなんて、陰湿ですよ!」
ヒルダの勢いは止まらない。砦にいるときも大体こんな感じだったが、今日は五割増しくらいで煩い。
そして、なぜかアリエッタのことを恋敵と勘違いして、いつも元気に絡んでくるのである。
「さっさと、半透明になるのを止めなさい! そして、隊長様のことは諦めるのです!」
「いや、何度も言ってますけど、私は別に隊長のことは……」
アリエッタはそこまで言って、ふと気が付いた。アリエッタが隊長のことを異性としては見ていないと何度言っても無駄だったが、他に好きな人がいると言ってみたら、どんな反応が返ってくるのだろう。
ちょっとワクワクしながら、言ってみることにした。
「ヒルダさん、実は私、他に好きな人がいまして」
「誰よ!」
「えっと、ここで言うのは恥ずかしいですね」
「言えないですって! 本当に好きな人なんているの、貴女!」
威勢の良すぎるヒルダは、ぐいっとアリエッタに迫ってくる。
「隊長様より素敵な人なんていないでしょう! やっぱり……」
「ヒルダさん、恐い、恐いですよ」
「じゃあさっさと教えなさいよ!」
バンッと大きな音を立てて、テーブルを叩くヒルダ。誰の名前を言うかまでは決めていなかったな、と目を泳がせた時、隣の明るい青の髪が見えた。アリエッタは頬を染めて、唇を軽く噛んだ。もじもじと指先を弄んでから、その名を口にする。
「えっと、ロイです」
「ぶっ!」
噴き出したのは、急に名前を出されたロイである。食べ物が喉に詰まったのか、激しく咳き込む。
「……あら、そう」
一方のヒルダはあっさりと引き下がった。先程までの勢いはどこへ行ったのか。隣のテーブルから空いていていた椅子を持ってきて、隊長の隣へと腰掛ける。
「年下を好きになるなんて、貴女も苦労してるのねえ」
「……そうですねえ」
とりあえず、この場はおさまりそうだ。アリエッタは、ふうと汗を拭う仕草をした。
ロイはその後もしばらく咳き込んでいた。涙目になりながらアリエッタを恨めしそうに睨んで、ふいっと顔を背ける。
好きな人、といわれて他に思い浮かぶ人がいなかったのだから仕方ない。ロイの名前を出した時、アリエッタは妙にしっくりくるなと心の中で感心したくらいだ。
しかし、それから一週間、アリエッタは機嫌を損ねたロイに部屋から追い出されることになる。朝が来るたび、難儀をする羽目になるアリエッタなのだった。
*
食堂に突撃してきた日以来、ヒルダは第三特殊部隊に同行し、ジーク皇国へと一緒に向かっていた。傭兵というだけあって、彼女は道中で出会う魔獣を難なく倒してくれる。彼女に絡まれ続けている隊長はうんざりした顔をしているが、まあ順調な旅路である。
「『氷の戦鬼』ですか?」
「そうそう! あの髪と瞳の色、そして鬼のように強い戦いっぷりから、そう呼ばれていたらしいわよ!」
アリエッタは馬車に揺られながら、ヒルダと談笑していた。ロイを好きだと宣言してからというもの、ヒルダはとても友好的だ。ロイの不興を買ってしまったのは痛かったが、ヒルダの敵意を消せたのは本当に良かったと思う。
「うーん、氷って感じはしないんですけどね」
アリエッタは御者台に座っているロイを見つめて、首を傾げた。
退魔隊に所属していた頃のロイについて、アリエッタはあまりよく知らない。そんなアリエッタに、ヒルダはなぜかロイの情報を教えてくれる。わざわざ情報屋まで利用して、どんな小さなことでも報告してくれるのだ。
今回はロイが『氷の戦鬼』という二つ名を持っていた、という情報提供である。ちなみに、ヒルダの二つ名は『金色の猪』だそうだ。不本意らしく、ものすごい顰めっ面で教えてくれた。
「もっとロイの情報を教えてあげたいんだけど、セレスティアル王国に来る前のことはよく分からないのよね! だから、彼が十三歳の時よりも前の情報は全然手に入らなくて……」
「いや、別に良いですよ。知りたかったら本人に直接聞きますし。……というか、どうしてここまでしてくれるんですか?」
「年下男性との恋なんて、上手くいくはずないけど、応援くらいはしても良いでしょ? 万が一上手くいったら、今後貴女が隊長様に色目を使うこともないでしょうし!」
どうやらアリエッタのためではなく、自分の恋路のためらしい。
馬車は今日泊まる予定の町へと入っていく。賑やかな街の喧騒が聞こえてくる。窓から外を見てみると、夕方の柔らかい光に照らされた建物が、次々と目に入ってきた。
石畳の大通りをカタカタと音を立てながら、ゆっくりと進む。町を行く人々の顔は明るい。この辺りは魔獣の被害は少ないようだ。