5:救いの手(5)
粗末なベッドの上に、アリエッタはちょこんと座っていた。
精神と肉体が離れてしまってから、十日ほどが経った。リュカや隊長が元に戻す方法を調べてくれているが、全く進展はない。
アリエッタはその間、ひたすら半透明の身体の扱い方を研究していた。とにかく床の下に沈むのは困るので、まずは普通に立つことから練習した。そうして、少しずつコツを掴んできた。どうやら「地面の上には立てる」と強く思い込めば大丈夫なようで、起きている間はなんとか沈まずにいられるようになった。
ただ、寝てしまうと地面に沈んでしまう。まだまだ修行が足りない。朝、目が覚めるたびに真っ暗な地中にいるのでうんざりする。
そして、もっとうんざりしてしまうことは、地中に沈んだアリエッタを助けられるのがロイ一人だということだ。どういう理屈なのかは全く分からないのだが、リュカや隊長、その他の傭兵たちはアリエッタの手を掴めない。
地中は全く光のない闇ばかり。爪立って真上に手を伸ばして、やっと手のひらだけが地上に出る。際限なく沈むことがなくて良かったとは思うが、どうせなら背伸びをせずとも手を出せるくらいの深さが良かった。
いや、そもそも沈まないのが一番か。
「……また、ここで寝るつもりですか」
ロイが呆れたようにアリエッタの前に立った。ここはロイに与えられた部屋である。アリエッタが座っているベッドはロイのもの。アリエッタにもアリエッタ用の部屋は与えられているので、本当はここにいるのはおかしいのだが。
「だって、朝は貴方に引っ張りあげてもらわないと駄目なんだもの。それに、私は透けるんだから、貴方が悪いことをしようとしたって不可能だし。隊長もここで寝るの許可してくれたし」
不思議なことに、地中から引っ張りあげる時には問題なく触れられるロイであっても、地上に出た途端アリエッタの意思ひとつで触れられなくなる。半透明の身体の扱い方は、まだまだ研究中だ。謎ばかりである。
「俺が安眠できないんです。お願いですから、出て行って下さい」
ロイは丁寧な口調でアリエッタを追い出そうとする。アリエッタが亡国の王女だと知った時から、ロイは丁寧な言葉遣いを徹底するようになった。別に気にすることはないのに、とアリエッタは思うのだが、意外とロイは堅苦しいタイプだった。
「嫌よ。ここが良い」
「じゃあ俺が出て行きます」
「なんでよ。ロイがいないと意味がないじゃない」
ぽふぽふとベッドで跳ね、抗議するアリエッタ。だが、ロイも負けてはいない。明るい青の瞳で冷たい視線を送ってくる。
「一応、年頃の女性でしょう。男の部屋に入り浸るなんて非常識です」
やはり堅苦しい。年頃の男女と言われれば確かにそうなのだが、アリエッタは今、精神体のみの姿であり、半透明なのである。間違いなんて起こらない。それに、アリエッタの方が三つも年上だ。ロイの恋愛対象にならないことくらいすぐに分かるだろうに。
故国であるミンブルーでも、このセレスティアルでも、基本的に男性の方が年上でなければ夫婦や恋人として認めてもらえない。そういう慣習があった。だから、年下男性と年上女性という組み合わせは滅多に見られないのだ。かろうじて一歳くらいなら誤差として寛大に見てもらえることもあるかもしれないが、さすがに三歳も離れていれば、ありえないと笑われるレベルである。
年上女性は恋の相手にはなりえない。それがこの国の常識。
しかし、外国から来たロイに、その常識はピンときていないようだった。
「俺が年下だからといって、油断しすぎじゃないですか?」
すっとロイの指先がアリエッタの頬に近付く。目を細めたロイは、どことなく艶めいていた。
どきりと胸が鳴る。アリエッタは思わず動揺して、視線を泳がせてしまう。そしてすぐ、後悔の念にかられた。
年下に翻弄されるなんて、情けない。
「先輩をからかうのは止めなさい。とにかく、一緒に寝るわよ! そして、朝はちゃんと私を引っ張りあげてちょうだい!」
ふんっと鼻息荒く言ってのけると、ロイが嫌そうに顔を歪めた。
アリエッタはベッドに寝転がり、布団を被る。目を閉じて、ロイに背を向けた。まだ少し心臓がどきどきしているが、気のせいだと思い込むことにする。
ロイが諦めたようにため息をひとつ吐いた。一応ベッドの半分は空けてあるのだが、アリエッタの隣で寝るのは抵抗があるらしい。少し離れたソファに向かって、足音が遠ざかっていく。
「おやすみなさい」
部屋のランプが消された。アリエッタはそっと目を開けて、ソファに寝転がるロイを見遣る。部屋の中は薄暗いが、月明かりが窓から入り、人影を確認することができた。
生意気ではあるが、意外と生真面目で繊細な後輩。できれば、もっと仲良く穏便にやっていきたい。しかし、どうしたら良いのやら。
アリエッタは頭を悩ませつつ、ロイの影を見つめるのだった。
*
「つまり、こうなったのは魔法のせい、ということ?」
「うん。妙な形をした道具で襲われたって言っていたよね。それって魔導具だったんだと思う」
リュカが人形の髪を丁寧に梳かしながら頷いた。
アリエッタの状態について調査を続けていたリュカに呼び出され、医務室に来たのはつい先程のこと。人形遊びに忙しいリュカは結論からさっさと話してきた。
精神と肉体を別々にする魔法が付与された道具が、遠い国に存在するらしい。その道具についての資料を見せられ、アリエッタは驚愕した。それは襲われた時に目にした凶器とそっくりだったからだ。
「魔導具……」
「この国じゃあなかなか見られないよね、魔導具なんて。この辺りは魔法が使える人だって滅多にいないし。……まあ、僕は魔法使えるけど」
そう、セレスティアル王国は魔法とは縁遠い国なのだ。魔導具なんて今まで見たこともなかった。
「元に戻るには、魔法に詳しい人が必要ということ?」
「そうなるね。南東の方にあるジーク皇国やメイフローリア王国、もしくは西のレグホーン国とかは魔法について詳しいらしいから、今後はそういった所から情報を集めることになるよ」
リュカは器用に人形の髪を編み込むと、白いレースのリボンを結ぶ。アリエッタは滑らかに動くリュカの指先を見つめながら、ぼんやりと考え込む。
魔法に関する情報というのは、なかなか手に入らないものだと聞く。これは大変なことになってきたな、と思う。
つまり、今の時点ではまだまだ解決策は見つかっていないということだ。少しくらい何か手がかりが見つかったのでは、と期待していただけにがっくり来た。