4:救いの手(4)
「監視だよ」
王女がミンブルーの民に担ぎ上げられないように、また担ぎ上げられてしまった時にはすぐに消せるように。
「隊長である私は、王女の監視役としてここにいる。いざという時には王女を殺すように命令を受けているんだ。……まあ、殺す気なんてさらさらないけれど」
隊長はアリエッタを優しい目で見つめ、ロイに向き直る。
「セレスティアル王国としては、さっさと殺してほしいんだろうな。でもなかなか私が動かないから、上層部が焦れて……たまに暗殺者を送ってくるんだ。今回のように、な」
何の理由もなく王女を殺せば、ミンブルーの民は怒るだろう。だからこそ、事故に見せかけて暗殺しようとする。アリエッタが第三特殊部隊に来てから、何度襲われたことだろう。これまでは隊長が傍にいて、守り抜いてきたのだが。
「お前ならアリエッタを守れるだろうと考えていたが、甘かったな。買い被りすぎだった」
「……そんな事情、後出しされても」
「言ったはずだ。『アリエッタを守れ』と。いいか、ここは退魔隊とは違う。魔獣を倒すだけじゃ駄目なんだよ」
悲しみの浮かぶ隊長の表情に、ロイの喉がひゅっと鳴った。隊長が顔を上げ、ロイを真剣な目で射貫く。
小さく緊張が走ったその時、間の抜けた声が部屋に響いた。
「ふぬぬーっ」
「あ、すごい。物を触れるようになったじゃん」
アリエッタとリュカである。アリエッタは謎の呻き声を発しながら、本を持ち上げていた。
「あっ」
呻くのを止めたら、本がばさりと床に落ちた。
「唸っている間しか駄目なのかな? アリエッタ、もう一回やってみて」
「分かったわ。……ぬぬーっ」
半透明の手が本を拾い上げる。リュカが大袈裟に拍手して喜んだ。
「あはは! 面白いね、アリエッタ! すごく間抜け」
「ちょっとリュカ、失礼ね!」
「あ、唸るのを止めるから、また本落ちちゃった」
無情にも落下した本を指さして、リュカはけらけら笑う。アリエッタはぷうっと頬を膨らませ、じとりとリュカを睨みつけた。
「もうベアトリクス関連のお願い、聞いてあげないわよ!」
「ええっ!」
リュカの顔色が一気に悪くなった。ベアトリクスというのは、リュカの一番お気に入りの人形である。七歳くらいの少女の姿をしており、大きさも本物の人間と変わらない。
リュカはこの人形にドレスやアクセサリーを買っては着けさせている。その楽しみに必要なお金の管理をしているのはアリエッタである。「ベアトリクス関連のお願い」というのは、ドレス代やアクセサリー代などを融通してやることなのだ。
なぜこんな風にアリエッタがお金の管理をしているのかというと。リュカに給料をそのまま渡してしまうとすぐに使い果たしてしまうからである。人形のため、あっという間に財布を空にするリュカ。放っておけない。という訳で、仕方なくアリエッタが金銭管理をしてあげることにしたのだ。
ちなみに、隊長も金銭管理が苦手だ。なので、第三特殊部隊全員のお金の管理はアリエッタに一任されている。元王女の方がお金の管理が得意なんてどういうことだとも思うが。
「駄目だよ、ベアトリクスに似合いそうなドレス見つけたのに!」
「じゃあ、人をからかって遊ぶの止めなさいよ」
「ちぇっ。分かったよ」
つまんない、と愚痴りながら、リュカは口を尖らせた。
間の抜けたやり取りで、隊長とロイの間にあった緊張感は霧散した。隊長はふうと小さく息を吐くと、困ったように笑った。
「アリエッタ、リュカ、ロイ。三人とも、仲良くやってくれよ。第三特殊部隊には、君たちと私しかいないんだ。協力していかないとすぐに潰されるぞ」
「はーい」
「分かってます」
そう、第三特殊部隊は新人のロイも入れて、たったの四人なのである。王国騎士団の上層部は敵だ。ここで仲違いなんてしている場合ではない。
ぽんと軽く、ロイの肩に大きな手が乗せられた。隊長の手である。
「アリエッタはまだ生きている。今度こそ、守れ」
小さく囁かれた命令に、ロイは黙って頷いた。すべてを納得した訳ではないが、ここにいる以上、この隊長の命令を無視なんてできそうにない。
「よし」
素直に頷いたロイに、隊長は柔らかく笑ってみせた。もう冷たく悲しい空気はどこにもなく、ロイは安堵の息を吐く。
「あの、隊長。気になることがあるんですが」
「なんだ、ロイ」
「その、精神体の姿では、物に触れないんですよね」
「唸れば触れるよー」
ロイの疑問にリュカが口を挟んだ。アリエッタはきょとんとした顔で、ロイを見つめている。
「……唸っていないのに、なぜ普通に立っていられるんですか? 物に触れないなら、床だって擦り抜けてしまうはずですよね?」
ロイの指摘に皆、目を丸くした。アリエッタは思わず自分の足元を凝視し、ごくりと喉を鳴らす。急に下へと引き摺りこまれる感覚に襲われて、さっと血の気が引いた。
「ひゃああっ」
すとん、と綺麗にアリエッタの姿が下に消えていった。残された三人は唖然として、アリエッタが消えた床を見つめる。
「ここ一階だぞ。地中にでも潜ったのか」
「今までどうやって立っていたんだろう。浮いてたのかな」
隊長とリュカが頭を捻った。ロイは余計なことを言ってしまったかと内心焦りながら、床をじっと見つめ続けていた。
すると、半透明な手のひらが、床からにゅっと生えてきた。その手のひらはぱたぱたと動く。まるで、助けを求めるかのように。
ロイは手のひらの傍にしゃがんで、じっと観察を始める。声は聞こえない。しかし、手のひらは必死に何かを掴もうと動いていた。
触れるとは思っていなかったが、ロイはその半透明な手のひらに手を伸ばしてみた。
「あ」
触れた。手のひらはロイの手をしっかりと掴んでいる。ロイは両手で手のひらを握り、上に引っ張った。思ったよりも軽いその体がすんなりと出てきた。
「た、助かったあ……」
アリエッタが呆然とした表情のまま、呟いた。手はしっかりとロイを掴んでいる。
「おかえり、アリエッタ。なんか野菜の収穫を思い出しちゃったよ。……で、なんで急に沈んだの?」
「分からないわよ! 床も擦り抜けるはずって言われて、その通りだなって思ったら沈んじゃったのよ!」
「あはは、なにそれ! あははっ」
リュカとアリエッタがまた言い争いを始めた。ロイは繋がれたままの手が妙に気になって、そっと半透明の手を剥がした。
「えっ」
手が離れた途端、アリエッタの姿がまた下へと消えた。
「……ぷふっ」
半透明の手のひらがまた床から生えてきたのを見て、リュカが噴き出した。そして、仕方ないと首を振りつつ、手のひらを掴もうとした。しかし、リュカの手は半透明の手のひらを擦り抜けてしまい、掴むことはかなわなかった。
「あれ?」
首を傾げたリュカの代わりに、隊長が手を伸ばした。
「……駄目か」
隊長の手も擦り抜けてしまった。リュカと隊長はしばらく無言で顔を見合わせた後、同時にロイを振り返った。
二人の視線を受けて、ロイは諦めたように半透明の手のひらに手を伸ばしたのだった。