3:救いの手(3)
アリエッタは目を瞠る。逃げなくては、と焦るが、まだ足は思うように動いてはくれない。
不審な人物は動けないアリエッタを見下ろしてにやりと笑う。そして、懐から妙な形をした道具を取り出して、アリエッタに容赦なく突き付けた。
「さようなら」
低く濁った声が、別れの言葉を紡ぐ。
「きゃああ!」
ばちんと大きな音がして、アリエッタは思わず固く目を瞑る。ふわりと浮き上がるような感覚が、アリエッタの身体を包み込んだ。
なにが起きたのか、よく分からない。
うっすらと目を開けると、木々の隙間からチラチラと青い空が見えた。透き通るような空の色に、縋るように手を伸ばす。指先がぶれて、二重に見えた。
深い闇の中に意識が引き摺りこまれていく。アリエッタはなすすべもなく、流されるように眠りに落ちた。
*
「だから、守れと言っただろう」
普段情けない姿ばかり晒している隊長が、珍しく厳しい目をしている。その視線の先には拗ねた顔をしたロイがいる。
「魔獣からは守った」
「暗殺者からも守らないと、守ったとは言えない」
「俺の仕事は魔獣を倒すことだ! こいつを守ることじゃない!」
ロイが指さしたのは、医務室に置かれたベッドに寝かされているアリエッタの身体。土に塗れ、汚れた頬。その瞳は閉じられたまま、開く気配はない。
隊長がロイをじっと見つめる。その眼光の鋭さに、ロイが後ずさった。
「まあ、隊長も落ち着いてよ。アリエッタの身体はなんとか無事だし、保存の魔法もかけておいたから」
「……リュカ」
横から口を挟んできたのは、第三特殊部隊の医療魔術師リュカだった。まだ十四歳という若さにもかかわらず、医師として優秀な腕を持つ少年である。
「ただ、いつまでこの状態が持つのかは分からないよ。早く元に戻る方法を考えないとね。……まあ、このままだって言うなら、僕のコレクションの末席に加えてあげても良いけど」
リュカは爽やかな笑顔で、医務室の一角へと目を遣った。そこには何体もの人形が並んでいる。その中でも一際大きく、まるで本物の人間のような人形を、リュカは愛しい者を見るような蕩けた瞳で見つめた。
この少年が優秀な医師であるのに第三特殊部隊という辺境に送られたのは、この人形遊びが原因である。とにかく人形第一で行動するため、他ではとても受け入れてもらえなかったらしい。話してみると、普通に良い子ではあるのだが。
「元に戻る方法はあるのか」
「うん。たぶん、こうなったのは魔法のせいだからね。僕もちょっと調べてみるけど……隊長も協力してよね」
「分かった。元に戻るまで辛抱してくれよ、アリエッタ」
隊長がそう呼び掛けたのは、ベッドの上のアリエッタではない。そのベッドの脇にいる半透明な人影に向かって、である。
「隊長、そんな顔しないで下さいよ。私、意外と平気ですから」
半透明な人影は、からりと明るい声を出した。紺色の長い髪に、金色の瞳。その人影は紛れもなくアリエッタだった。
「驚きましたけど、死んだ訳じゃないですし。何とかなりますよ」
森で襲われて、意識を失ったアリエッタ。目が覚めると、半透明な人影になっていた。どうやら精神と肉体が離れてしまったらしく、現在アリエッタの肉体は中身のない空っぽの状態である。
今のアリエッタが意識して動かせるのは精神体のみである。その姿が半透明とはいえ、他人にきちんと見えるというのは、不幸中の幸いだった。
「でも、透けてしまうのは問題だね。物にも触れないんでしょ?」
リュカが首を傾げながら、アリエッタの手を取ろうとする。しかし、その手は取られることなく、空を切る。アリエッタは慣れない感覚に微妙な顔になった。リュカの手が自分の手と重なった瞬間、触れているようで触れていない妙な感じがしたのだ。そのまま手は通り抜けていき、少し背中がぞわっとした。
「うーん、触れないけど、感覚はあるみたいなのよね……」
「そうなんだ。じゃあ頑張れば触れるものも何かあるかも!」
リュカとアリエッタは頭を捻りながら、いろいろ試し始めた。
そんな二人を眺めながら、ロイは苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。どこか納得のいっていない様子に、隊長は軽くため息をついた。
「なぜアリエッタが暗殺者に狙われているか、教えておいてやろう」
隊長の言葉に、ロイが胡乱な視線を寄越す。どこにでもいるような女性が命を狙われる理由。見当もつかないのだろう。
「あの子はな、王女だったんだよ」
「は?」
「今はなきミンブルー王国の王女。他の王族は皆、命を落としているから、あの子は王族唯一の生き残りだな」
この砦のあるセレスティアル王国のミンブルー地方は、五年ほど前まではミンブルーという名の小さな国だった。
小さくても土地が豊かで、それなりに穏やかな国だったという。しかし、魔獣の数が増え始めた頃から、少しずつ平和は崩れていった。
十年ほど前、魔獣対策のため税を上げる決断をした王が、クーデターにより弑された。その後、国の頂点に立った貴族は魔獣のことを軽く見ていたようで、その対策を取ろうとしなかった。税が上がらなかったことに民は安心し、新しい君主に希望を見出していたのだが……すぐに最悪の結末を迎えることとなる。
「五年前だったかな。魔獣が大量発生して、ミンブルー王国はあっという間に消えてしまったんだ」
魔獣対策は必要なことだった。王は間違っていなかった。
生き残った民は、王への忠誠を再び誓うが、時すでに遅し。
「退魔隊がミンブルーを助けに行った。そして、それを理由に我がセレスティアル王国は、国の一部としてミンブルーを統合した」
しかし、ミンブルーの民はそれを嫌がった。そのため、生き残りの王女を中心に、もう一度国を再建しようという話が出てきているという。
セレスティアル王国としては、その動きが気に入らない。王女さえいなければ、ミンブルーの民も大人しくなるに違いないと考え、王女暗殺へと乗りだした。
「あいつが、その王女? でも、それならなぜ、セレスティアル王国の騎士団なんかに……」
隊長の語ることが本当ならば、王女は命を狙う犯人の手の内にいることになる。どうして、そんな状態になっているのか。ロイは首を傾げた。