2:救いの手(2)
ロイが第三特殊部隊にやって来て、三日経った。
「まいったな、こりゃ」
隊長がぽりぽり頭を掻きながら、項垂れる。体格の良い大きな体が縮こまり、なんとも情けない姿になっている。
「どうしたんですか、隊長」
「いや……ロイのことなんだが」
隊長が大きくため息をつく。アリエッタは首を傾げた。
「何か問題でも?」
「傭兵たちと魔獣討伐に行かせただろう。そこで、なんというか、その」
弱り切った顔で言いよどむ隊長に、アリエッタは先を促した。
すると、跡切れ跡切れではあったが、先日の魔獣討伐の様子を聞かせてくれた。
ロイは魔獣を恐れもせず、群れのボスを一人で倒してしまったという。実力主義の退魔隊出身というのも納得だという強さだったらしい。しかし、共に討伐に出ていた傭兵たちを無視していたため、一部の傭兵が怪我をしてしまった。
きちんと周りを見て、傭兵たちと協力して戦ってほしい。ロイにそう言ってみると、ロイは顰めっ面でこう返したという。
「一人で戦う方が、楽なので」
確かにロイは強い。その戦力は、この砦にとってとてもありがたいものだ。しかし、このままでは漸く築き上げた傭兵たちとの信頼関係が崩れてしまう。もし、傭兵たちに見放されてしまったら。
困るのはこちらの方なのだ。魔獣を倒すことは、ほとんど傭兵のみんなに任せているのだから。
「何とかしないとなあ……」
隊長はアリエッタが淹れたお茶を、ごくりと喉を鳴らして飲んだ。
「でも、ロイはここに来てまだ三日でしょう? そこまで考え込む必要はないと思いますけど」
「いや、あいつは王都にいた時も人間関係が上手くいってなかったらしいんだよ。一人で行動するばかりで協調性がない。その結果、ここに飛ばされてきたんだ」
アリエッタはこれまでのロイの様子を思い返してみる。討伐の様子は知らなかったが、砦の中での様子ならたびたび目にしていた。
「そういえば、食堂でもロイは一人で食べていましたね。一度一緒に食べようと声を掛けたんですけど、断られちゃいました」
「アリエッタにもそんな態度を……。本当、困ったやつだなあ」
力なく笑って、隊長は片手で目を覆った。
しかし、どんな問題児であっても、この隊長は見捨てはしない。自分の元にやって来た人間は、たとえ自分がどんな目に遭おうとも守ってしまうタイプなのだ。そんな隊長だからこそ、アリエッタは今、ここにいる。
「私も協力しますから。何かできることがあれば、言ってくださいね」
「ああ。頼りにしてるぞ、アリエッタ」
隊長の言葉に、にこりと笑顔を返す。そして、書類仕事を終わらせてしまおうと机に向かう。今日もうんざりするほどの書類が机の上に溜まっている。
アリエッタは小さく気合いを入れて、机の上に散らかっている書類を手に取った。
*
一週間後。アリエッタは魔獣討伐に同行し、森へと足を踏み入れていた。
昼だというのに薄暗い森の中は、どこか湿っぽくて気持ちが悪い。生温い風が頬を撫でていき、思わずぶるりと体を震わせた。
「ちょ、ちょっと、ロイ! 置いていかないでよ!」
少し前を歩いていたロイが、うんざりした顔でアリエッタを振り返る。その瞳は冷めきっていた。
「なによ、その目」
「別に」
ふいとアリエッタから目を逸らし、前を向いてしまう。アリエッタは軽く首を振って、ロイを追いかけた。
砦に来てからずっと、ロイは単独行動ばかりしている。相変わらず、一人が良いと言い張って、隊長を困らせていた。
困り果てた隊長は何を思ったか、突然、爽やかな顔でこう言った。
「ロイ、アリエッタを守れ」
急なことにアリエッタも驚いたが、ロイもそれは同じだったらしい。途端に不機嫌な顔になった。アリエッタの護衛をしつつ魔獣討伐もやってみせろだなんて、と眉間に皺をよせていた。
はっきり言って、アリエッタには魔獣と戦う力はない。魔獣を目にしただけでも腰が抜けるレベルである。どう考えても、思いっきり足手まといだ。ロイは散々文句を連ねたのだが、隊長は頑として命令を覆さなかった。
「ねえ、ロイ」
「……何か?」
「隊長は誰よりも貴方のことを考えてくれているわ。私の護衛をするように言ったのも、別に意地悪という訳ではないと思うの。きっと何か意味はあるのよ。だから、そろそろ機嫌を直しても良いんじゃない?」
アリエッタはロイに置いていかれないように、小走りになりながらも話す。すると、ロイは足を止めるどころか、逆に速度を上げた。
「ロ、ロイ? 速いってば!」
怒らせてしまったかと焦るアリエッタに、ロイが手のひらを向けてきた。
「止まれ」
明るい青の瞳は、アリエッタではなく遠くの方を見ている。
「……魔獣だ」
そう言い終わると同時にロイが走り出した。腰に佩いていた剣をすらりと抜いて、木々の間を擦り抜けていく。
「ロイ、待って! 魔獣を見つけたら一旦戻って傭兵さんたちに知らせろって言われてるでしょ!」
ロイは答えない。アリエッタの言葉を無視して、そのまま魔獣の群れの前に躍り出た。ひらりと騎士服の裾が翻る。
魔獣は真っ黒な毛で覆われた体を小さく震わせていた。剣を構えたロイに向かって、数匹の魔獣が唸り声をあげる。人間を襲い、その命を一瞬で奪う恐ろしい化け物の姿。
アリエッタは口を押さえて何とか悲鳴を押し殺す。
一匹の魔獣が鋭く吠えた。その声を合図に、魔獣たちが一斉にロイに襲い掛かる。きらりと光る牙が、ロイを食いちぎろうとまっすぐに向かっていく。
アリエッタは身を縮こまらせて、ガタガタと震えた。あまりの恐怖に見ていられなくなって、目をぎゅっと瞑る。しかし、戦闘の音は耳を塞いでいても聞こえてきてしまう。
一頻り戦闘の音に震え、その音が止む頃には汗でびっしょりになっていた。恐る恐るロイと魔獣がいた場所に目を向けると、倒れた魔獣たちの真ん中に立っているロイの姿が見えた。
「良かった、無事なのね」
ぽつりと零れた声は、まだ少し震えていた。とにかくロイの傍に行き、怪我をしていないか確認したい。アリエッタはゆっくりと立ち上がろうとする。しかし、足はがくがくと震え続けており、上手く力が入らない。
ロイは弾んでいる息を整えつつ、剣をおさめていた。少し距離があるため、正確なところは分からないが、その動作は滑らかなので怪我はなさそうだ。ほっと安堵の息が漏れた。
その時、アリエッタの後方で落ち葉を踏みしめる音がした。びくりと体を跳ねさせたが、そこにいたのは魔獣ではなく人間だった。
「傭兵さん?」
その姿に見覚えはないが、傭兵たちが身に着けている服とよく似たものを着ているので、そう問い掛けた。
しかし、その人間はアリエッタの問いに答えず、じっとアリエッタを見つめてきた。
「紺の髪、金の瞳。間違いない」
ぼそりと呟くその声は低く、不快なほど濁っていた。
「見つけたぞ、王女」