21:生きる意味(9)
ぼっと火がついたように、アリエッタの全身が熱くなった。頭の中では「そんな急に言われても」とか、「命を狙われている女なんだけど」とか、言い訳がぐるぐると回っている。しかし、結局アリエッタができたことといえば、黙ってこくこく頷くことだけだった。
「ちょっと、ロイ。なんか強引すぎない? アリエッタちゃんが溶けそうになってるじゃないの」
「メリッサ、煩い」
「まあ! 生意気な弟ね!」
ぐりぐりとロイのこめかみに拳骨を捩じ込むメリッサ。ロイは痛がりながらも、アリエッタを離そうとはしなかった。逆にぎゅっと抱き込まれて、アリエッタは目を白黒させた。
「ははっ! ロイ、お前、小さい頃から変わらないな!」
「お気に入りの縫いぐるみを抱っこしてた時と同じだな」
二人の兄が、ロイを見て噴き出した。アリエッタはロイに抱き締められたまま、小首を傾げる。
「お気に入りの、縫いぐるみ?」
冷たい表情で生意気な態度をとるロイを見慣れているため、突然出てきた可愛らしい単語に驚く。
二人の兄はお互いに目配せをすると、鞄を探りだす。そして、首を傾げたままのアリエッタに、古ぼけた縫いぐるみを差し出した。
「……青い、うさぎの縫いぐるみ?」
差し出された縫いぐるみを受け取って、じっくりと観察する。随分と可愛がられてきたのだろう、その縫いぐるみにはところどころ修繕された跡がある。縫いぐるみの顔は愛らしく、微笑んでいるように見えた。
「なぜ、これがっ?」
ロイは心底驚いたようで、声が裏返っていた。
「母さんが持って行けって言うから」
「お前が家出するのにこれを置いていくなんて信じられないくらい、お気に入りだったもんな」
「懐かしいわね。どんなに泣いていても、このうさぎを抱っこしたらすぐ泣き止んでいたものね」
二人の兄に加えて、メリッサまで話題に乗っかってきた。
縫いぐるみの顔を見つめていると、幼いロイの姿が想像できるような気がした。青いうさぎをぎゅっと抱き締める小さなロイ。なんだか微笑ましくて、頬が緩みそうになる。
「俺はもう、縫いぐるみなんか卒業してる!」
兄姉にからかわれて仏頂面になったロイの横顔を、アリエッタは仰ぎ見る。「家族」を前にくるくると表情を変えるロイを見ていると、なんだか胸が温かくなる。
「縫いぐるみ好きでも、私は構わないわよ? ほら、リュカだって人形大好きだし」
アリエッタは慰めるように言ってみる。しかし、ロイにその思いは上手く届かなかったらしく、大きなため息と共に項垂れてしまった。
「ああ、ロイ、アリエッタ。ここにいたのか」
応接室の扉から、隊長とリュカが顔を出した。リュカの腕に人形が抱かれているのを見たロイが小さく唸ったが、アリエッタは聞かなかったことにした。
「ん? この二人は?」
「あ、二人とも俺の兄です。放っておいても問題ないです。そんなことより隊長、何の用ですか?」
ロイはあっさり説明を省いて、隊長に続きを促した。隊長は片眉を上げ、兄とやらを本当に放っておいて良いのかと思案していたが、当の兄たちが気にしないと手を振ったので、迷いながらも口を開いた。
「アリエッタの調子は?」
「もう安定しているそうです」
「ああ、良かった。実はセレスティアル王国に帰還するように命令が来ていてな。すぐにでも戻らないといけなくなった」
突然行ってこいと送り出したくせに、今度はもう帰ってこいだなんて。相変わらずセレスティアル王国は、第三特殊部隊の扱いが雑である。
しかし、アリエッタを元に戻すという最大の目的は達成できたので、まあ良いだろう。魔獣との戦いの基本もなんとか伝えられたことだし、任務も充分果たしたと言える。
「そういう訳で、ロイ、アリエッタ。二人とも荷物を纏めて帰る準備を」
「ちょっと待って下さい」
ロイが隊長の言葉を遮った。
「俺はセレスティアルには戻らず、メイフローリアに帰ります」
ロイはまっすぐに隊長を見据え、堂々と宣言した。隊長はというと、ぽかんと口を開け、「は?」と間抜けな声を漏らす。
「いや、いきなり何を言ってるんだ、ロイ」
「セレスティアルではアリエッタと結婚するのは難しいじゃないですか」
「え、いつの間にそんなことに」
隊長とリュカが同時にアリエッタを見る。アリエッタはぶんぶんと首を振ってそんなことにはまだなっていないと主張したが、今一つ説得力がなかった。
「……アリエッタ」
またも耳元で囁かれた。その上、ロイはアリエッタの耳に軽くキスを落としてくる。
(もう、限界!)
急な展開に頭も心も追いつかず、とうとうアリエッタの意識はことりと落ちたのだった。
*
それから二日後。
話し合いの結果、ロイは兄姉たちと共にメイフローリア王国に帰ることとなった。第三特殊部隊を辞め、故郷に戻るという形である。
一方、アリエッタはセレスティアル王国へ戻る。ロイがかなり不服そうだったが、こればかりは仕方ない。アリエッタは亡国の王女として、セレスティアル王国に監視されている立場なのだ。そう簡単に第三特殊部隊を辞める訳にはいかなかった。
「すぐに迎えに行きますから」
ロイのまっすぐな視線を受け止めきれず、アリエッタは目線を泳がせた。
メイフローリア王国に帰れば、アリエッタよりももっとロイにふさわしい女性が出てきそうな気がする。ロイはまだ十八歳だ。若いことだし、気持ちが他に行ってしまってもおかしくない。
アリエッタは曖昧な笑みを浮かべるしかなかった。
そして、いざ、旅立ちだと言う時。ロイはアリエッタに青いうさぎの縫いぐるみを渡した。ロイのお気に入りの縫いぐるみである。
「これ、大切なものでしょう?」
「大切だからこそ、貴女に預けるんです。……必ず、取り戻しに行くので」
アリエッタの不安を見透かしたような顔で、ロイが笑った。
セレスティアル王国に向けて、ゆっくりと馬車が動きだした。アリエッタはうさぎの縫いぐるみをぎゅっと抱き締める。
どんどんロイの姿が小さくなっていく。お世話になった領主館もすぐに遠くなり、見えなくなった。
空はどこまでも青く澄み渡っている。吸い込まれそうなその青さに、アリエッタの心が震えた。ロイもこの空を見ているだろうか。
生温い風が頬を撫でていく。暑い夏の日差し。馬車は軽快な音を立て、遠くの国を目指して走る。
長い旅の始まりだった。




