16:生きる意味(4)
幸い現場近くの村には魔獣はおらず、一安心した。念のため、いざという時には領主館に避難をするように村人たちに伝えて、来た道を引き返す。
他に魔獣の群れは見かけなかったし、ヒルダも現場に戦いに行く方が良さそうだ。未熟な訓練兵と比べれば、何倍もの戦力となれるだろう。
「ヒルダさん、先に行って下さい!」
アリエッタとヒルダの体力は全然違う。アリエッタの足に合わせていたら、間に合わないかもしれない。
「それは駄目よ! 現場には隊長様とロイがいる。訓練兵が足を引っ張らなければ楽勝でしょう? でも貴女は一人じゃ戦えない」
「私なら大丈夫です! だって、私……透けますから!」
弾んだ息を必死で抑えながら、半透明の手のひらを見せる。ヒルダは一瞬呆気にとられた顔をしたが、すぐに口の端を引き上げた。
「分かったわ。隊長様が怪我でもしたら大変だものね! じゃあ、遠慮なく先に行かせてもらうわよ!」
さっと身を翻し、ヒルダが風のように去っていく。やはり先程まではアリエッタの速度に合わせてくれていたらしい。優秀な傭兵である彼女は、あっという間に見えなくなった。
「さて、私も急がないと」
魔獣が暴れているのは、村の北にある森だという。アリエッタはその方向をしっかりと見据え、ぐっと拳を握り締めた。
魔獣が出た現場に到着したのは、もうすぐ日が暮れるという頃だった。
思ったよりも魔獣の数が多く、怪我をした訓練兵も何人かいた。しかし、そこまで状況は悪くなかったようで、現場はだいぶ落ち着いていた。
ただ、囮になるかのように、ロイが一人で群れに突っ込んでいったという。森の奥へと魔獣を誘って、人々が暮らす範囲から離れるように移動していったらしい。そして、まだ戻ってこない。
「また、単独行動……」
旅をする中で、少しずつ人と協力して動くということを覚えてくれたと思っていたのに。
「アリエッタ。これから私がロイを連れ戻しに行ってくる。あの数を全て相手にするのは、一人では厳しい。ジーク皇国の騎士が援軍として来てくれるというから、それまでなんとか耐えられるようにするぞ」
隊長が真剣な顔で森の奥を見据えた。アリエッタが頷いてみせると、隊長が安心したように笑う。すると、ヒルダが瞬時に二人の間に割って入った。
「隊長様はここにいて下さい! ジーク皇国の騎士が来た時に、すぐに指示を出せるように待機しておかないと! ロイはこの私が呼びに行きます!」
隊長に良いところを見せようと、ヒルダは胸を張って宣言した。キリリと引き締まった表情のヒルダは、凛々しいのにどことなく艶っぽい。隊長への恋心の影響だろうか。
こんな風に堂々と好きな人にアピールできるヒルダが、すごく羨ましい。アリエッタだって、ロイにアピールする機会があれば、堂々とやってみたいものである。
魔獣相手に苦戦しているところに、颯爽と現れて「助けに来たわよ!」とかやってみたい。傭兵として実力のあるヒルダなら簡単にそういうこともできるんだろうな、と思うと、なんだかもやもやしてしまう。
しかし、今回は呼びに行くだけだ。そんな格好良い展開にはならないだろうと思って、少し安堵する。
「……呼びに行くだけ?」
アリエッタはぽつりと呟いた。それからはっと目を見開いて、顔を上げた。
「隊長、ヒルダさん! 私がロイを呼んできます!」
「何言ってるの? 隊長様に良いところを見せるのは、この私よ!」
ヒルダが斜め上の発想で怒る。アリエッタは慌てて頭を振った。
「落ち着いて下さい、ヒルダさん。隊長は関係ないです。ロイを呼びに行くだけなら、私にだってできると思っただけです。ヒルダさんはここで、隊長と一緒にいて下さい。隊長の傍にいる方が、良いところを見せる機会も増えますよ」
「……そう言われれば、そうね」
隊長の名を出すと、ヒルダはあっさりと引き下がった。しかし、隊長の方は渋い顔をしている。
「ロイを呼びに行くまでに、魔獣が出たらどうする。襲われたらひとたまりもないだろう」
「大丈夫ですよ。だって……私、透けますから!」
自慢げに隊長の肩をすかすかと擦り抜けさせながら、半透明の手を振り回す。隊長はきょとんとした顔をした後、急に納得した顔になった。
「そうだったな。忘れていた」
魔獣が出たら戦わずに逃げる。襲われそうになったら擦り抜けて、全力で逃げる。そう約束し、アリエッタはロイを呼び戻す役を与えてもらうことに成功した。
隊長とヒルダに見送られ、アリエッタはロイが魔獣と共に消えたという森の奥へと踏み込んだ。
森は昨日降った雨のせいで、じめじめとした空気に包まれていた。太陽は徐々に西の地平に沈んでいき、ただでさえ暗い森の中はより一層暗く、混沌とした闇へと姿を変えていく。
じわりと恐怖を感じて、アリエッタは息を潜める。こんな闇の中でひとり、魔獣を相手にしているロイのことを思うと、胸が痛くなる。
少しでも早くロイの元に行きたかった。木々を避ける時間すら惜しくて、擦り抜けながら走った。何本もの木を抜けて、息も切れてきた頃。漸く魔獣と戦う音が耳に届いた。
ロイだ。
微かな月の明かりに照らされて、魔獣と戦う青年の姿。アリエッタは幻想的なその光景に、一瞬呼吸を止めてしまう。
明るい青の髪がふわりと舞う。まるで踊るように魔獣を倒していく青年は、儚くも美しく輝いていた。しかし、思ったよりも数の多い魔獣に、少しずつ後れをとり始めている。
「ロイ!」
アリエッタは叫んだ。その声はまっすぐにロイへと届く。
ロイが目を瞠り、アリエッタの姿をその瞳に映す。氷に例えられた明るい青の瞳が、月の光を反射してきらめいた。
キンと高い音が辺りに響いたかと思うと、次の瞬間にはロイがアリエッタの元に駆けつけていた。
「なぜ、どうして、貴女がこんなところに」
ロイの声は震えていた。魔獣に傷つけられたのか、腕には血が滲んでいる。
「貴方を迎えに来たのよ。……死にたがりの困ったさん」




