15:生きる意味(3)
「あ、ロイ」
メリッサが扉の方を見遣って声を掛ける。アリエッタも釣られて振り向くと、アリエッタの肉体を横抱きにしたロイが立っているのが見えた。
ロイはアリエッタの肉体を優しくソファに横たえる。その手つきがとても大切な宝物を扱っているかのように感じられて、アリエッタの胸がどきんと鳴った。
「ご苦労様、ロイ。大変だったでしょう」
「……別に」
メリッサの労いの言葉に、ロイがそっぽを向いてぽつりと呟く。ロイはメリッサの前ではかなり子どもっぽく見える。気を許しているからなのだろうか。
「アリエッタちゃん、肉体の方にも触るけど、良いかしら?」
「あ、はい。大丈夫です」
メリッサはアリエッタの肉体に触れ、何かを読み取るように目を伏せた。黒く長い睫毛が白い頬に影を落としている。第三特殊部隊は全員、固唾をのんで見守った。
しばらくすると、メリッサはふうと軽く息を吐いて、肩の力を抜いた。そして、ロイの方をちらりと見遣った後、口の端を微かに上げた。
「メリッサさん?」
アリエッタが不安になって声を掛けると、メリッサはにっこりと微笑んだ。
「安心して。そんなに強い魔法が使われた訳ではないみたいだし、このあたしなら簡単に元に戻してあげられる」
「ほ、本当ですか!」
さすが、魔術師団長をやっているだけのことはある。隊長もリュカも安堵の表情を浮かべていた。
「ただ、肉体と精神が離れてから時間が経っているから、少し肉体の方に魔力を馴染ませておかないと駄目ね。それには三日くらいかかると思うわ」
魔力を馴染ませる方法は簡単。そう言って、メリッサはアリエッタの肉体をぎゅっと抱き締めた。
「こんな風に抱き締めるだけ。密着していればいるほど、魔力は馴染みやすい」
美女に自分の肉体が抱き締められている様子を見るのは、なんとなく複雑である。
「その作業は他の者に頼むことはできないのでしょうか。メリッサさんには明日も魔獣の幻を作ってもらって、訓練の続きをしたいのですが」
隊長が申し訳なさそうに、おずおずと切りだした。メリッサはアリエッタを抱いたまま、うーんと考える仕草をする。
「魔力を持っている人なら誰でもできると思うけれど……」
メリッサはそう言ってロイを見た後、リュカの方へと目線を移動させる。
「リュカと言ったわね。貴方、魔力があるわよね。セレスティアルの人間にしてはかなり豊富な魔力量。貴方ならできると思う」
「え、僕?」
リュカがきょとんとしながら自分を指さした。メリッサは頷いてみせる。
お気に入りの人形をいつも抱いているリュカ。案外違和感はないかもしれない。人形が人間の肉体に代わるだけである。
魔力を馴染ませる役がリュカに決まりかけた、その時。
「リュカは訓練兵の手当てをしないといけないだろう。馴染ませるくらいなら、俺でもできる。もう訓練兵たちに見本を見せる必要もないし、俺が一番手が空いている」
すっとロイが立ち上がり、メリッサが抱いていたアリエッタの肉体を奪う。
「えっ?」
アリエッタが思わず声をあげると、ロイが眉を顰めて睨んできた。
「俺では嫌だと?」
「そ、そうじゃなくて! ただでさえロイには迷惑かけっぱなしなのに、これ以上頼るのは悪いかなって! それに、ロイってそもそも魔力あるの?」
「……ありますよ。魔獣を討伐するときにも使ってます。気付いてませんでしたか?」
ロイはしっかりとアリエッタの肉体を抱き締める。
「ロイ、ありがとう……」
アリエッタが真っ赤になりながらお礼を言うと、ロイは思いっきり顔を背けた。
「とっとと元に戻ってもらわないと、毎朝大変ですから!」
顔を背けたままそう言い放つロイの顔も、アリエッタと同じように赤い。メリッサはそんな赤面している二人を交互に見て、くすくすと笑った。
「じゃあロイ、しっかりと頼むわよ。ただ、貴方の魔力量はそこまで多くない。ずっと抱き締め続けるくらいの覚悟は要るわよ」
「分かってる」
アリエッタの肉体に魔力が馴染んだら、メリッサが元に戻る魔法をかけてくれるらしい。この半透明の身体ともあと少しでお別れだ。その時が来るまで、ずっと肉体はロイの腕の中というのは恥ずかしくて仕方ないが、なんとか耐えることにしよう。
気付けば窓の外は雨が上がり、背の高い木の向こう側には虹が出ていた。灰色の空にぼんやりと浮かぶ七色の光はしばらく消えることなく、綺麗な弧を描いていた。
*
その翌日。
もうすぐお昼ということで、領主館の厨房からおいしそうな匂いが漂ってくる頃。
「た、助けて下さい!」
泥に塗れた二十代くらいの青年が、領主館に駆け込んできた。青年は十歳くらいの少女を背負っている。少女の方はぐったりとしており、苦しそうな表情を浮かべながら目を閉じている。
「どうした? なにがあった?」
たまたま近くにいた訓練兵の一人が青年を支えて聞く。すると青年はガタガタと震えながら、訓練兵の手に縋りついた。
「大きくて、真っ黒な獣が、いきなり襲ってきて。妹が、妹が……!」
「獣?」
「見たこともないやつで。何匹もいて。親父が一人で向かって行って、それで」
急な騒ぎに何事かと、次々と人が集まってくる。アリエッタも第三特殊部隊の皆と一緒に、その青年のところに駆け寄った。
「……魔獣だろうな」
隊長がぽつりと零す。思ったよりも早く、このジーク皇国に魔獣が辿り着いてしまったらしい。まだ訓練兵たちは本物の魔獣と戦うには不安が残るレベルだ。しかし、頑張って戦ってもらうしかない。隊長は顔を顰め、悔しそうに唇を噛んだ。
「とにかく、リュカ。妹さんの手当てを。念のため、お兄さんの方も診てやってくれ」
「了解」
「ロイは訓練兵を連れて現場に。アリエッタとヒルダは他に被害はないかの確認と、逃げ遅れている人がいればここに連れてくるように」
「はい!」
隊長の指示に頷いて、アリエッタはヒルダと共に駆けだした。故郷ではこんな風に魔獣が出るのは日常茶飯事だったが、ここは違う。見たこともない獣に襲われた民がパニックを起こしてしまうと、被害が拡大する恐れがある。
「急ぎましょう!」
ヒルダの金色の髪が揺れる。凛とした彼女の背中を追いかけて、アリエッタも全力で走った。




