13:生きる意味(1)
魔獣討伐の訓練は、メイフローリア王国の魔術師団長メリッサのおかげで、大きく変わった。
「こんな感じで良い?」
「うん、大きさはそれくらい。で、魔獣の動きはもう少し群れで連携をとっている感じで……」
「こう?」
「そうそう」
メリッサが魔法で魔獣の姿を再現してくれたのだ。まるで本物のような幻影に、目を瞠ってしまう。動きも本物とそっくりだ。
真っ黒な獣が牙を剥き出し、獰猛な唸り声をあげる。魔法で作り出した幻とはいえ、腰が抜けそうになる。訓練兵たちも、青ざめて幻を見つめていた。
魔獣を見たことのないメリッサに、詳しい魔獣の生態を説明しているのはロイである。ロイの描いた魔獣の絵を参考に、メリッサは次々と幻を生み出していく。やり取りが気安く自然で、いかにも仲の良い二人に見える。いや、実際に仲は良いのだろう。
「アリエッタ。顔が不細工になってるよ」
ひょこっと顔を出してきたのはリュカである。リュカは一番お気に入りの人形を抱いて、訓練の様子を見に来ていた。
「不細工ってなによ。それより、私が元に戻る方法、何か新しい手がかりは見つかったの?」
「うーん、なかなか難しいんだよね。だから、メリッサさんに直接聞いてみようかと思って」
リュカは人形の薔薇色の頬を親指でなぞる。うっとりとした顔で人形と戯れるリュカに、アリエッタは呆れの視線を送った。
「あまり本気で手がかりを探してないでしょう、リュカ。今ベアトリクスに着せてるの、それ、ジーク皇国の衣装じゃない?」
鮮やかな色のふわりとしたドレスは、この国で良く着られているものだ。リュカが領主館からちょこちょこ外に出て、町で何かしているというのは知っていたが、人形のための衣装探しに精を出していたのは知らなかった。てっきり、手がかりを探しに行っていると思ったのに。
「やだなあ、僕だってちゃんと探してるよ。ただ、この国の人は皆が魔法を使えるわけじゃなくて、一部の貴族しか使えないみたいだからちょっと難航しているだけなんだ」
「そうなの? 魔法に詳しい国だっていうから、皆魔法が使えると思ってた」
ジーク皇国では、高い身分であればあるほど高い魔力を有しているという。町にいるような平民は魔法が使えなくて当たり前、魔法なんてよく知らない、くらいの認識らしい。
「ハンネス皇子殿下は魔力が高くて、優秀な魔術師でもあるみたいだね。魔法には詳しいんだと思う。でも、さすがにハンネス皇子殿下に手がかりを聞くのは……」
「駄目なの?」
「駄目っていうか、あの皇子殿下、ああ見えて国の利益にならないことはバッサリ切るらしいから。たぶん、何も教えてもらえない」
その点、ロイと親しいメリッサなら、話せば分かってくれそうだとリュカは言う。
「メリッサさんは魔導具にも詳しいみたいだし。元に戻る方法も知っている可能性は高いんじゃないかな。一度、ゆっくりと話を聞いてもらえるように頼んでみるよ」
アリエッタの肉体は、医者であるリュカによって毎日異常がないかチェックされている。保存の魔法はきちんとアリエッタの肉体を守ってくれているが、いつまでこの状態が続けられるかは謎である。
「……早く元に戻りたいな」
アリエッタがぽつりと零すと、リュカがうんうんと頷いた。
「僕も毎日大変だけど、ロイも大変そうだよね。本当、手のかかる先輩だね」
「うう、言い返せない」
アリエッタはがくりと肩を落として項垂れた。本音を言うと、恋敵のメリッサに頼るのはなんとなく嫌なのだが、後輩たちの手をいつまでも煩わせるのも悪い。情けない先輩で申し訳ない。
「あ、訓練兵が転んでる」
リュカが訓練の様子を眺めながら、のんびりと実況した。
幻とはいえ魔獣を初めて目にした訓練兵は、ぎゃあぎゃあと悲鳴をあげて大騒ぎをしている。領主館の隣にある広めの訓練場で訓練をしていたはずなのだが、数人の兵士は領主館の中へと逃げ込むほどの恐れようだ。
「ハンネス皇子殿下の視察も、あと三日くらいだっけ? それまでに訓練兵が使えるようになっているところ、見せられたら良いんだけどねえ」
ハンネスも忙しいらしく、この魔獣対策の訓練を見るのも、あと一回あれば良い方である。まだ良いところをあまり見せられていないので、次こそはと意気込んでいるのだが。
「魔獣の動きに全然ついていけてないね。あんまり怪我してほしくないんだけどなあ。僕の仕事が増えるし」
人形の髪に頬擦りをしながら、リュカは淡々と述べる。そんなリュカの願いもむなしく、訓練兵は幻の魔獣にぽんぽん倒されていく。
「あああ……、僕の仕事、大量発生だなあ」
「……ベアトリクスのドレス、あと一着買って良いから。頑張って」
「え、本当? やったあ!」
先程までの憂鬱そうな表情から打って変わって、明るく笑顔を見せるリュカ。人形を抱いて、くるくる回って喜んでいる。
魔獣の倒し方の見本として、ロイが訓練兵たちの前で実演を始めた。幻の魔獣の攻撃を躱し、急所を突く絶妙な技。訓練兵たちが感嘆の声をあげた。
戦うロイをぼんやりと遠くから見つめながら、アリエッタはほうと息を吐く。何人も人が集まっている中で、彼だけが特別輝いて見えた。半透明な指先をもじもじと遊ばせて、火照った顔を俯かせる。
夏の日差しが眩しい。ちらりと空を見上げ、目を細めるアリエッタ。紺色の長い髪が、さらさらとそよ風に揺れた。
*
魔法で作り出した魔獣を使った訓練は、かなり効果的だった。
すぐ逃げ出していた訓練兵も少しずつ魔獣に慣れ、動きもだんだん良くなってきた。百聞は一見に如かず、といったところだろうか。
ハンネスとマリア、二人の皇族を前に行った訓練でも、それなりの成果を見せることができた。
「これなら、実際に魔獣が出てきてもなんとかなりそうだ」
ハンネスの言葉に、訓練兵も、第三特殊部隊の皆も喜んだ。もちろん引き続き訓練を行い、付け焼き刃の技術で終わらないようにする必要はあるが。なんとか期待には応えられるだろう。
その日の夕食は少し豪華なものが準備されていた。大広間に皆で集まって、華やかな立食パーティーが始まる。
「遠慮しないで、どんどん食べて下さいね」
領主の息子ルトは穏やかな笑みを浮かべ、皆を労っていた。半透明のアリエッタも食事を楽しめるようにと、いろいろ工夫されている。その気遣いに心が温まった。
「ありがとう、ルトくん。とても楽しいし、おいしい食事だわ」
「喜んでもらえて良かったです! アリエッタさんのような方は初めておもてなしするので、少し緊張もしていたんですけど」
えへへと笑う顔は十七歳らしく、無邪気なものだった。赤茶色の髪の毛が柔らかくふわりと流れている。
年は近いのにロイとは全然違うなと思いつつ、ロイのいる方へ目を遣る。すると、ロイもアリエッタを見ていたらしく、ぱちりと目が合った。どきりと心臓が跳ねる。
しかし、ロイはすぐに目を逸らした。なんだか素直じゃない反応である。




