11:気付いてしまった恋心(5)
「ああ、それともう一人連れてきたんだ。隣の国からの客人なんだが……」
ちらりと後方の馬車にハンネスが視線を送る。すると、中から黒髪の美女が降りてきた。腰まで伸びる長い髪は艶々と光を流している。瞳は宝石のように紅くきらめいていて、思わずアリエッタはどきりとしてしまう。
その美女が、にこりと花が咲くような笑みを見せた。
「……メリッサ」
そう呟いたのは、アリエッタの後ろに立っていたロイだった。
知り合いかと聞こうと思って振り返る。しかし、ロイの表情を見たアリエッタは息を呑んだ。ロイが痛みを堪えるかのように、苦々しい表情をしていたからだ。
「大丈夫? ロイ」
アリエッタが小声で尋ねると、ロイは一瞬だけこちらを見て、すぐ目を逸らした。
美女は笑みを浮かべたまま、軽やかにこちらに歩いてきた。隊長の前で止まり、優雅な礼をとる。
「メリッサと申します。隣のメイフローリア王国で、魔術師団長をしています」
「ああ、どうも……」
隊長が突然現れた美女に混乱しながらも、なんとか返事を返す。その返事に美女メリッサはくすりと笑いを漏らすと、今度はロイをまっすぐに見つめた。
「ロイ、久しぶりね」
そう言うやいなや、メリッサはロイをぎゅっと抱き締めた。アリエッタはあやうく悲鳴をあげそうになったが、なんとか飲み込む。
「ちょっと、メリッサ」
「どれだけ心配したと思っているの? 本当……会えて良かった」
突然の抱擁に、皆が呆然とする。しかし、ロイとメリッサは周りを気にすることなく、二人の世界を作っているようだ。メリッサの紅い瞳から、雫がひとつ、零れ落ちた。
ロイはその涙にぎょっとした顔をしたが、すぐに持ち直して、メリッサの背に手を回して抱き返した。そして、ぽんぽんと軽くその背を叩く。
「ごめん、メリッサ。俺……」
「ちゃんと話を聞かせて。じゃないと、許さないから」
「……分かったよ。あ、ここではちょっと」
ロイが身動ぎをして、黒髪の美女の腕の中から脱出する。
「隊長、先に部屋に戻って良いですか」
「あ、ああ」
「ありがとうございます。ハンネス皇子殿下、マリア皇女様、失礼いたします」
第一皇子とその娘に綺麗な礼をひとつとった後、ロイはメリッサを連れて屋敷の中に入っていった。その後ろ姿を見送った一同は、みんな微妙な顔になっている。
「とーさま、メリッサねえねは?」
唯一幼い皇女だけがきょとんと首を傾げて、不思議そうな表情をしていた。
「うん、後でしっかり話を聞くことにしよう」
ハンネスはマリアを抱き直しながら、乾いた笑いを漏らした。
アリエッタはというと、ロイと美女の熱い抱擁を目にしてから、魂が抜けてしまったかのようだった。まあ、既に肉体から魂ともいえる精神が抜けている状態ではあるが。
メリッサはロイよりも年上のように見えた。年上なのに、ロイに抱き締められ、背中までぽんぽんされていたというのか。なんとなく悔しい。そして、羨ましい。
口を尖らせて、二人が消えていった屋敷に目を遣ると、ぽんと肩を叩かれた。膨れっ面のまま振り返ってみれば、ヒルダがまるで可哀相な子を見るような顔で立っていた。
「あんな美人が恋敵なんて……大丈夫?」
アリエッタは『恋敵』という単語にぴくりと身体を揺らす。笑顔が素敵で、美しく、妖艶で。それでいて、ロイと仲が良さそうなあの女性が、アリエッタの恋敵なのか。
勝てる気がしない。
目を伏せて肩を落とすアリエッタに、ヒルダは哀れむ視線を送る。
「まあ、彼の中では年上女性も恋愛対象になるらしいってことが分かったんだから……良かったんじゃない? さすが、外国出身の子は違うわね!」
慰めになっているような、なっていないような、微妙な感想を述べるとヒルダはそそくさと去っていく。
年上だからって遠慮したり、気持ちに蓋をしたりするのは間違いだったのだろうか。いや、あの女性だけが特別だという可能性もある。
ぼんやりと空を見上げる。アリエッタの心とは正反対に、空は気持ちよく晴れ渡っていた。頭上に広がる明るい青。それは、暑い夏を象徴するかのような、憎らしいほど心を打つ空の色だった。
*
目が覚めると、いつも通り真っ暗な闇の中だった。
相変わらず眠ると地中に潜ってしまう。夜、寝る前に呪文のように「ベッドの上で目覚めますように」と繰り返しているというのに、まるで効果がない。
重いため息をついて、ゆっくりと立ち上がる。そして、いつものように地上に手を出そうと背伸びをしかける。しかし、アリエッタは一瞬止まり、力なくその手を下ろした。
ロイとメリッサが熱い抱擁で再会を喜んでいたのは昨日のこと。あれから二人は積もる話でもあったのか、夕食の時間になっても顔を出さなかった。
二人が話をしている間、部屋の扉は開けてあったというので、何か変なことをしていた訳ではないらしいが、アリエッタの心は荒れまくりであった。
「ロイとメリッサさん、どういう関係なんだろう……」
膝を抱え込んで、闇の底に座る。あまりに暗いので、半透明な自分の身体すら全く見えない。現実から逃避するには、ここは絶好の場所と言えるのかもしれない。
大丈夫、まだ本気で好きな訳じゃないから。
いつか考えたのと同じ台詞を心の中で唱える。ロイのことを異性として本気で好きになっても、明るい未来があるとは思えない。セレスティアル王国に戻ってしまえば、認めてなんてもらえないのだから。
せめて恋敵になる女性が、ロイより年下ならば諦めもつくのに。年上でも良いというのなら自分だって、と変な希望を抱いてしまう。しかし、それはやはり駄目だ、と首を振る。
ぼんやりと蹲ったまま、アリエッタは目を閉じる。
ロイのことは好きじゃない。でも、他の女性と一緒にいるのを見るのは辛い。
ロイなんて嫌いだ。でも、その温かな手が忘れられない。
矛盾した想いに、胸が苦しくなってくる。好き、好きじゃない、好きになってはいけない、好きになってほしい。自分ではどうにもならない気持ちが、いつまでも頭の中をぐるぐると巡る。
拳を握り締めてじっと苦しい想いに耐えている内に、いつの間にか、アリエッタは眠ってしまっていたようだった。ずっと闇の中にいるので、時間がどれくらい経ってしまったのかは全く分からない。あまり気持ちの良い二度寝ではなかったなと思いながら、アリエッタは小さくあくびをした。
「いつまでも地中にいても仕方ないわよね」
少し眠ったおかげか、気分は幾分ましになった気がする。両手でぱちんと頬を叩いて気合いを入れて、アリエッタは勢いよく立ち上がった。




