0:プロローグ ――半透明な彼女――
このお話は前作「鏡の向こうの子守歌」の約17年後のお話になります。
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彼女が半透明な精神体の姿になったのは、自分のせいだった。
床からは、その彼女の半透明な手のひらが生えている。救いを求めるかのように、ぱたぱたと動く。
半透明の手のひらに、手を伸ばす。そして、その手をしっかりと掴んで引き上げた。
「なんで手を離すの! びっくりするでしょう!」
涙目の彼女は文句を言いつつ、しがみついてきた。
精神体のみの姿なので、油断をすればすぐに擦り抜けてしまう。なぜ自分だけが彼女の手を取ることができるのか。それは謎だが。
自分より、少しだけ年上の彼女。こうしてしがみついてくる姿は、なんとなく幼さを感じさせた。
「もう、離さないでね」
その言葉に、ぐらりと来た。
思わず、半透明な彼女を抱き締める。まあ、擦り抜けてしまうので、抱き締めるふりにはなってしまったが。
「貴女を救えるのは、残念ながら俺だけのようです。貴女が嫌でも、俺を頼るしかないんです」
「そうなの?」
彼女はきょとんとした顔をした。しかし、すぐにへにゃりと笑う。
「そう。私はもう、貴方がいないと生きていけないのね」
精神が肉体から離れてしまった今の状況で「生きている」と言えるのかどうかはさておき、彼女が自分を必要とするのは間違いのないことである。
自分を必要としてくれる人がいる。それだけで、ほの暗い喜びが胸を満たした。
ぱちりと彼女と目が合った。
「ふふ、貴方の瞳の色は、本当に綺麗ね」
そう言ってはにかんだ彼女が可愛くて。
ああ、この女性が欲しい、と思った。
遠い昔、家族も瞳の色を褒めてくれた気がする。あの優しい家族は、何に例えてこの明るい青の瞳を褒めてくれたのだったか。今はもう、掠れてしまった昔の記憶。
ぼんやりと窓の外を見上げ、灰色の雲を瞳に映す。
彼女に仕事仲間だと紹介されたのは、十日ほど前のこと。
こんなに簡単に一人の女性に心を搦め捕られるなんて、思いもしなかった。
半透明な彼女を抱き締めたまま、十日ほど前のことを思い返す。
新人として、彼女の前に初めて立った、あの日のことを――……。