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初夏と呼ぶには暑すぎる地獄に耐え切って電車に乗り、はや三十分。
「ここだな……」
俺、大久保匠は指定された○○駅へと到着した。
「すぐの和菓子屋って言ってたけど……あれか」
改札を出てすぐ、件の店を発見することができた。
遠くからでも分かるほどの存在感を放つその外観は、周りの店舗との積み重ねて来た年月の差を如実に物語っている。
こんな店で俺がすることなんて本当にあるのか?何をするんだ?
…………怪しい。
そんな思考を追い出すのに苦労した。だがなんにせよ、行ってみなければ何も始まらない。
「……うしっ」
意を決して近づく。
入り口まで五メートルほどまで来たところで、
「あ、君、もしかして大久保くん?」
コックコートを完璧に着こなし、俺の名を呼ぶ目の前の老人は、凛々しいだとか、荘厳だとか、そういった言葉が陳腐に聞こえるほど人間離れしていた。
「あっ、はい、そうッス」
「お、そうかそうか、思ってたより早かったね。私は上尾と言う。取り敢えず中に入った入った」
上尾、と名乗った老人は口元の白い髭をさすりながら破顔すると、俺を誘導した。電話口の印象と同じく、ギャップがすごい人だ。
自分よりも二十センチ程高い背中を追い、中に入る。
「さあさあ、座ってくれ」
店の奥へと通される。広がっていたのは殺風景な事務室……ではなく、こたつとみかん。
七月ですけど?!
喉元まで出かかったが慌てて飲み込む。こちらはお金を貰う身。何が雇用主の逆鱗か分からない以上、下手なことは言えない。上尾さんがキラキラした目でこっちを見てくるのも得体が知れなくてとても怖い。
促されるままこたつに足を入れる。
あっ、掘りごたつだ。
「…………さて、今回のアルバイトについてなんだが」
対面に座った上尾さんが切り出す。
「はい、軽作業って何をすればいいですかね?」
「まあ、ね」
「その……、笑われてしまうかもしれないんだが……」
なんだろう。このご老人が見かけによらずギックリ腰だった程度なら吹き出さない自信はあるけれど。
「世界をね、救って欲しいんだ」
「……………………はい?」
なにかの冗談か?認知症っぽい言動は無かったと思ったけどなあ。
「君にはね、こことは違う別の世界、そうだな、異世界って呼べばいいか」
「そこにね、行ってきて欲しいんだ」
「そこで、世界を救ってくれ」
「もちろん、そのための力も授けよう」
「普通な、特別じゃない君にしか扱えない能力だ」
「いやいやいやいや、何言ってるんスか?ボケてるようには見えませんでしたけど?そんな冗談よりも俺の仕事って
「いいや、大真面目だ。大久保くん、君に世界を救う仕事をしてもらう」
「そして、
「んなバカげた話続ける気なら帰りますよ?
(ったく、やっぱり怪しかったか。ボケ老人に付き合ってる暇はないんだ)」
「残念ながら君に拒否権はないんだ」
「………………は?」
こたつから出ようと畳に手を置いた瞬間。
さっきまで自分が座っていた場所が、まるまる一畳分、無くなっていた。
「これは神直々のお願いだからね。受諾する以外の選択は人間にはない」
「え、ちょ」
そこにあるはずだった掘りごたつの底、その深淵へと落下していく俺の網膜に最後まで映っていたのは、最初見た時と変わらない上尾のにこやかな笑顔だった。
「楽しんでおいで、異世界生活」
「まってまって、どういうこと?いやちょ、落ちてるんだけど!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!!!」
はじまりましたね、大久保くんの異世界生活。