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「あーマジシャン?俺だよ俺。お前元気にしてんの?」
「深沢?元気元気、田舎はのどかなもんよ。やたら寒いし遊ぶとこないけど」
「いやー、お前がまさか家出て地方大行くと思わなかったわ。あ、そうそう俺彼女出来てさ、桜の時期にそっち遊びに行こうと思ってんの」
「おいおい自慢かよ。おめでとさん。案内するわ」
「いやー照れるわー。髪の毛サラサラでめっちゃかわいい子でさ。マジシャンは彼女とかいんの?」
「俺に彼女が出来ると思うか?」
「そうだよなー俺はマジシャンのこといいやつだと思うんだけどなー」
「地味に失礼だぞそれ」
「じゃあまた連絡するわ」
「はいはい」
「おーじゃあな」
背中をぽかぽかと叩かれてスマホを手にしたまま振り返ると、肩より少し長いくらいに伸ばしたつやつやのストレートヘアと、猫のようにくりくりした目を持つかわいい女の子がふくれている。
「吉備堂の苺大福買ってきてって言ったのに忘れたでしょ」
智恵はクラスいたらアイドル的存在として男子に崇められるポジションに君臨するであろう逸材だが、どうも俺をお菓子のなる木だと思っている節があるのはいただけない。
「智恵ったら。てるてるは勉学で忙しいのよ。それに吉備堂といえばなんと言っても練り切りなんだから。ね、実紅?」
レポートに煮詰まっている俺にさりげなく熱いお茶を淹れてくれるのは、ふわふわの長い髪の毛をゆるく三つ編みにした、いつも笑顔を絶やさない癒し系お姉さんの日向さん。あまり大きな声で言えないが、しとやかな和服に包まれた胸元の包容力も抜群で、ついつい目が奪われる時があるのはご愛嬌だ。
「羊羹がいい」
俺の教科書から目を離すことなく主張してきたのは、座敷童子のような純和風美少女の実紅。切れ長の涼しい瞳が大人びた雰囲気を感じさせる、クールビューティーなお子様だ。
「智恵、お前の食欲に付き合ってると破産する。日向さん、いつもおいしいお茶をありがとうございます。実紅、レポートが進まんから教科書を返してくれ」
三者三様に魅力的で美しい女性が住まう我が家だが、残念なことに彼女たちの中の誰一人として俺の彼女ではないし、もっと残念なことに、彼女たちは人間でもない。
では彼女たちはいったい何者なのか。その説明に入る前に、俺がマジシャンの名を冠する理由を聞いてほしい。
小学校で朝顔を育てる授業を経験した人は結構多いと思う。一人ひとりに種と鉢が配られて、それぞれ毎日世話するやつ。発芽しやすいように種を少しやすりで傷つけて、撒いたら毎日覗きに行って、芽が出たらそりゃあもう大騒ぎするんだよな。
ごく一般的な市立小学校に通う俺も、朝顔を育てることになった。大多数の小学生と同じく芽が出たらクラス中で乱舞して、休み時間ごとに水をやるやつも現れてお祭り騒ぎだった。でも一週間かそこら経つとみんな飽きちゃって、ろくに世話しなくなる。
俺も典型的な子供だからその頃になると朝顔はわりとどうでもよくて、逆上がりの連続回転が何回できるか挑戦することに夢中だった。
でもそうやって鉄棒をやってると、妖気を感じた鬼太郎みたいに髪の毛を一本引っ張られるような、不思議な感覚が襲ってくるんだよ。始めは理由がわからなかったけど、ふと朝顔のことを思い出して水をやってみたらピタリと止んだから、童話と現実の境があやふやな幼少期の俺は、朝顔は水が欲しい時にこういうサインを出すんだと一人で納得した。
終業式の日がくると、他のやつがぎりぎり枯れていないレベルのヒョロヒョロした朝顔を持ち帰る中、魔女の呪いかと思うくらい支柱にツルがぐるぐる巻きになって鬱蒼と生い茂り、数え切れないほど花が咲く滅茶苦茶重たい朝顔を持って帰るはめになった。クラスのやつには笑われるし通学路で人が見てくるしとにかく恥ずかしかった。
夕方帰ってきた親父も、玄関に突如出現した朝顔の小山を見て驚いていた。
あと、プチトマトを育てるやつ授業もあるよな。朝顔と同じで一人一鉢を苗から育てて、大きくなるまで脇芽をちょこちょこ摘んでやって、実がなったらお祭り騒ぎのやつ。あれもやばかった。
トマトが呼ぶままに水をやって脇芽をつみ、欲しそうなタイミングで付属の肥料をばらまいたらみるみるうちに大きくなってありえないくらい実が付いて、親父と二人じゃ食べきれないから職員室で配ったりした。
終業式の日は一言で言うと苦行で、付属の支柱よりはるかに大きくなった幹が地面をのた打ち回るわ、青々と茂った葉に視界が遮られるわ、歩く振動でポロポロ落ちる実を避けきれずに踏むわで大変だった。あら立派なトマトねぇと通学路で声を掛けてくるおばちゃんに押し付けて逃げたいくらいだった。
夕方帰ってきた親父は、玄関に突如出現した大蛇のようにくねるプチトマトの木を見て驚いていた。
この頃になるとさすがに不審に思ってクラスのやつらにさりげなく聞いてみたが、どうやらあの植物に呼ばれるような感覚は他の子供にはないものらしく、自分の感覚が変わっていることにようやく気が付いた。
同級生で幼馴染の深沢は、華麗なマジックのようにクラスで一人だけやたらと植物を成長させる俺の勇姿を未来永劫語り継ぎたいということでマジシャンというあだ名をつけ、それが定着してしまい今に至る。俺は別に勇姿でもなんでもないと思っていたが、拒否するのもめんどくさいのでそのままにしておいた。
話が長くなったが、鈴木照彦というごくごく平凡な名前の俺がなぜマジシャンと呼ばれているのかお分かりいただけただろうか。
思えばその頃から庭師でも志すべきだったのかもしれないが、気味が悪いくらいによく育った植物と、クラスメイトの笑い、終業式の日の苦行の記憶がセットになり、なんとなく植物とか園芸から距離を置いて生活するようになったし、大学に入るまではこれからもずっとそうだと思っていた。
「お前がなぁ。あの辺りに縁付くとはなぁ」
大学入試の合格発表の夜。ラグビーで鍛えた筋肉をスーツに包んだまま窮屈そうに腰を下ろすと、親父は感慨深げに言った。今夜は祝杯だと言うので冷蔵庫からビールを出してコップに注いでやり、自分のコップには三ツ矢サイダーを注いだ。
「いやいや縁付くって言い方はちょっと。嫁に行くわけじゃないんだから」
笑いながら突っ込むと、親父はぐびりとビールを飲んで
「世の中は縁と運がすべてを握るんだぞ」
と、物知り顔で説経した。
それから急に真面目な顔になると、思いがけないことを口にした。
「実はな、あの辺りにじいさんの家がある。そこから通え」
俺の目は点になった。
「誰のじいさんだよ」
「ぶわっはっは!」
親父の大声に耐えかねたように、ビールの泡がぶるぶると震えた。モロゾフのプリンカップも、まさかプリンの容器という天寿をまっとうした後に庶民の家で酒を注がれる運命が待っているとは想像していなかっただろう。
「お前以外の誰がいるんだよ。わしの父親、つまりお前のじいさんだ。俺が家を出た後に道楽で建てた家でな、お前がまだ赤ん坊の時分に連れて行ったことがあるが、まぁそのあとすぐ死んじまったからな」
親父はぐびぐびとビールを飲み干すと、細かい泡がこんもりとふちいっぱいまで上がるように手酌で注ぎ足した。
「まぁあれだ。当日は軽トラ借りてきてやるし、家と家具の手入れはやっとくから。決まりだな」
「お、おう」
一人暮らしで一番財布を圧迫する家賃が浮くのは有難く、特に反対する理由もなかったので素直に従うことにした。一応住所をグーグルマップで調べたが、隣家と呼べる家はないもののそんなにへんぴな場所でもないし、大学からもそう遠くなくてほっとした。実際行ってみないとどのくらいの広さの家かはわからないが、一人で一軒まるごと使えるのは面白そうで心躍った。
だからまさか、当日なって猛烈に後悔するとは夢にも思わなかったわけだが。