第165話、タケ、アロマを回想する。
アロマの亡骸を前に、俺の頭の中が真っ白になった。
大事な人を亡くすのは、この世界へ来て二度目。キグナスの時も今回も、全ては俺が弱いから。もっとうまくやれていれば、こんな事にはならなかった。
この王都の惨状。そして、侯爵邸の様子を見れば、他にもう生存者のいない事は疑い様はない。俺の体は、アロマの横たわるベッドの横で自由を失った。
あんなに艶やかだった白銀の髪は真っ白に変わり、手入れの行き届いた肌は紫に変色していた。窪んだ瞼を閉じているのがせめてもの救いだった。
これで恐怖に戦いた表情だったら……俺も正気を保てなかっただろう。
ぼんやりとした頭で思い出す。初めてアロマと会った日の事を。
初めてアロマを見たのは、サラエルドの街を脱出する時だった。フルプレートのガリアンの後ろに立ち、切れ長の目で俺を見てたな。アリシアと違って腰まで伸ばした白銀の髪を風になびかせながら、散々、兵士を倒した俺を真っすぐ見てさ。
普通のお嬢様なら臆するだろうに……。後から知った事だが、幼い頃に死んだ長女の役目を引き継ぐのに必死だったんだよな。アリシアと同じ青の瞳は、否応にもアリシアを思い浮かばせたっけ。
もっとも、アリシアは切れ長の目というより、ちょっとだけ垂れ目だったが。姉妹なだけあって似てたからな。
侯爵家と関わりを持てば持つほど、アロマとの距離は近くなっていった。
家督を継ぐんだと気を張って、豚の言いなりになって。健気な女を演じてたよな。本当の彼女は、引っ込み思案なのに……。それを面に出さないようにして。
豚と離れてから、初めて彼女の素に気付くことができた。
気を張らないアロマはかわいく思えたっけ。
スキーの時とか楽しかったな。俺に教えを乞う姿は、雛鳥のようだった。もっとも、すぐに巣立っちまったけどさ。物覚えは良かったからな。
魔法の使えなかったアロマはいつも留守番で、俺たちの出かけるときは決まって寂しそうな顔してたな。クソッ。こんな事ならもっと一緒に居てやればよかった。
麗華さんとは違って家事は丸っきりダメだったな。ははっ。筋金入りのお嬢様だ。仕方ねぇよな。でも、筋肉の付いてない体は、抱き心地が良さそうだった。
あの柔らかかった腕が、こんなに細くなっちまいやがって。
俺と交わした唇も乾ききって……カサカサじゃねぇか。
なぁ、アロマ。早く聞かせてくれよ。いつものようにさ、『遅いお帰りですのね。私も行きたいのですわ』って。そしたら今度こそ、連れてってやるのに。
何でだよ。何で……。早く起きろよ。俺に言いたいことがあったんだろ。
一番に俺の嫁になるはずだったのに、結局は最後になって。怒ってるよな。憤慨してたよな。恨んでるよなぁ。なぁ、ハッキリ聞かせてくれよ。いつのもようにさ……。
くそっ、くそっ。何が器が最大値だよ。何が女神の寵愛だよ。全然弱いじゃねぇか。キグナスを死なせた時と、何も変わってねぇじゃん。
こんなんじゃ誰も救えねぇ。このまま弱かったら、いずれ皆も死ぬ……。
なぁ、女神様よぉ。死んだ人を生き返らせる事はできねぇのか?
元に戻してくれよ。頼むよ……。
『…………死んだ者を生き返らせる事はできなくもないですよ。でも、あなたはエリクサーを持っていません』
「はっ……、そうだよ。運営の景品交換にあった。エリクサーって……。どこに行けば手に入る。どうすれば?」
『……エリクサーは三百年前の戦いで消失しました。聖なる泉が枯渇し、今では作れません』
「女神の力なら、神様の力ならできるだろ? なぁ、だって、万能なんだからさ」
『元来、人の生き死にを覆す事は、理を外れてるのです。それを覆せば、いずれは身を崩します。ですから容易く聞き入れることはできません』
「何でだよ。それじゃ、何のために俺は――樹海に、アルフヘイムに、獣人の国に行ったんだよ」
『……………………………………』
「……せ。……らを。もっと。もっと俺に力を寄こせよ!」
『それはできません。それをすればあなたは人でなくなりますよ。それに、力を手に入れてもこの未来は変わりません。それでもほしいのですか?』
「人じゃなくなる? 上等だこの野郎。こんな末路しか迎えられないなら人なんてやめてやるよ。だから、寄こせ! てめぇの力を全て俺に……。未来だぁ? そんなモノは俺が決めるんだ。もう神の手の上で踊るのだけはまっぴらゴメンだ!」
『……………………………………フッ。いいのですね。それで』
「あぁ。こんな結末は受け入れられねぇ」
『分かりました。あなたに全てを捧げましょう』
俺の体に異変が生じる。血は沸騰したように熱く、骨は砕かれた様な痛みに襲われる。神経は何度も針で刺されるように刺激され、脳には焼き切れそうな衝撃が加わる。俺の体は、俺のモノではなくなる。
「う゛あぁぁぁぁぁぁぁぁ、ぐはっ、があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。おぇっ。がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「タケさん!」「タケ様!」「んが……」
遅れて部屋に入ってきた奥さん達が駆け寄る。しかし、苦しみ藻掻く俺を誰も止められない。皆が暴れる俺を止めようとする。だが、異常な力で弾かれる。
「これは一体……」「タケ様、タケ様」「ふむ……」
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ。はっ、はっ、ひっ、ぐぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「サラフィナさん、どうすれば……」
「麗華様、すみません。私にも分かりません」
「旦那様のマナが尋常ではない早さで増殖しておるのじゃ。これは、まさか……」
「ブラッスリーちゃん、何か、何か知ってるんですか?」
「うーん、知ってる様な、知らない様な……ただ神の顕現に似てるのじゃ」
「「神様っ?」」
「うむ。神がこの世に降りるとき、この様な膨大な力が働くと聞くのじゃ」
俺の骨は万力で締め付けられ砕けた。血液は度重なる熱で蒸発する。肉体は粉々に切り刻まれ。神経はズダボロに引き裂かれた。もう痛みすら感じない。俺の肉体はどこにある。何も見えない。何も聞こえない。何の臭いも感じない。
俺はどうなった……。俺は生きてるのか?
あれ、そういえば、俺。何をしていたんだっけ?
ここはどこだ、真っ白い世界だ。温度も感じない。何も頭に浮かばない。
本当にこれは俺なのか。あれ、そもそも俺って誰の事だ。さっきまで、俺は何をしてたんだっけ。思い出せ。俺が何者なのか。聴覚を研ぎ澄ませろ、誰かの声が聞こえないか。喉を潤せ、味覚から手がかりを掴め。触れるモノを感じろ、そこにいる誰かを感じるために。
さぁ、目覚めろ。俺は誰で何者だ。ここから出ろ。俺を必要としてくれている人と会うために。
さぁ、顕現しろ。
「タケさん」「タケ様」「あっ、目覚めたのじゃ」
「んがっ……」
「タケさん、大丈夫ですか? 一体何があったんですか?」「タケ様、私が分かりますか?」「旦那様、ボサッとしてる余裕はないのじゃ」
「あ……」
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