第102話、タケ、麗華さんと……。
俺は、鈴の音を奏でる虫たちが、騒ぎ立てている侯爵邸の庭園にいた。
昼間、剛人さんに動画を送った後、俺は一人ここにきた。頭の中がぐしゃぐしゃだったからだ。冬に燃やし尽くした芝生も、今は花壇へと生まれ変わっていた。
金貨百枚以上つぎ込んだだけあって、見事な花の楽園である。
全て俺の借金だけどな。後世にタケの花壇とか名が付くのかねぇ。
そんな事よりも――。
「はぁ、兄貴はこれで満足なのかねぇ」
惚れた女が、自分を殺した一味の一人と結ばれる。それで兄貴は納得できるのか。そんな思いが、俺の中で繰り返されている。
確かにガリアンは、兄貴の殺害に関与していない。でも、その一味と行動をともにしていたのに変わりはない。アリシアがいいなら、他人に口を挟む権利はない。 でも、どうしても俺には理解出来なかった。
ちなみに、ガリアンは、アロマが差し向けた監視役だった。その事実をアリシアは後で聞かされたそうだ。そして、アリシアはガリアンを許した。
はぁ、じゃないとそういう関係にはならないよな。
くそっ。煮え切らねぇ。煮え切らねぇのは俺自身の心だ。
俺が狂蛇の剣を殲滅した時に、ガリアンも殺しておけば、この未来はなかった。
はぁ。世の中、何があるのか分からねぇな。
「タケさん、こんな所にいたんですか。夜はまだ冷えますよ」
俺が振り向くと、そこにはネグリジェに厚手のブランケットを掛けた麗華さんがいた。胸元から見える白い肌が美しい。俺は先程の悩みが吹っ飛ぶきがした。
「う、うん。麗華さんこそ、こんな時間にどうして――」
ドキドキして声がうわずる。
「ふふっ。窓からずっと見ていたんですよ。何してるのかなぁって」
ぶはっ。あれこれ悩んでたのを見られてたって。めっちゃ恥ずかしいんだけど。
にしても、今日の麗華さんは一段とかわいいな。なんでだろ。
「えっと、ちょっと兄貴の事を考えてて……」
「もしかして、タケさんはアリシアさんの再婚に反対なんですか?」
反対、反対なのかな。俺は、ただ兄貴はそれで納得できるのかなって思ってただけのような。だってヤツは狂蛇の剣の……。
「反対というか、ガリアンは兄貴を殺した一味だったから。そこが引っかかっているというか……」
「アロマさんから聞きましたが、それは――」
「うん。分かってるんだ。分かってるんだけど……それで兄貴は……」
「兄貴さんは納得できるのかなって事でしょうか? でも、愛する人が笑って暮らせるなら、愛する人が幸せなら、きっと兄貴さんも許してくれると思いますよ。それとも、兄貴さんはそれを望めない程、狭量だったんですか?」
「そ、そんな訳はねぇよ。兄貴は、兄貴は……素性の分からない俺に良くしてくれて、デカい男だった。器の大きな男だった」
そうだよ。兄貴はちっぽけな事なんか笑い飛ばしてた。俺と真逆な。
「ふふっ、なら結果は出たじゃないですか。それに女は打算で生きる生き物ですよ」
えっ、麗華さんに限って、それはねぇだろうよ。いや、あるのか?
「なんか信じられないって顔ですね。でも、本当ですよ」
「例えば?」
「そうですねぇ、この人と一緒ならお金持ちになれるとか。この人なら苦労しないで、この先、生きられそうとか。家の事も、この人なら安心だな。とか……この人なら気持ちが楽だなぁ。とかですね。誰だって、そうやって打算的なんです。アリシアさんも身重の体で、不安だったと思いますよ」
俺は麗華さんの言葉にあぜんとした。俺は兄貴と、自分の事ばかり考えてた。そして、アリシアはずっと兄貴の事を考えて生きるものだと思ってた。でも、子供が大きくなるにつれて、不安な気持ちになっても不思議じゃなかった。はぁ。女が男より精神年齢が高いと言われる訳だわ。麗華さんに気づかされるとは。
「はぁ。麗華さんの言うとおりだ。俺の思い込みだったよ」
優しくほほ笑む麗華さんは、母性の塊のようだな。もしかして、そんな麗華さんにも悩みとかあるんだろうか。
「ふふっ、良かったですね」
「あの、れ、麗華さんにも悩みとかあったりする、の?」
思い切って聞いてみるか。俺に、できる事ならしてあげたい。それにアロマの件だってあるしな。麗華さんはどう思っているのか……。
「ふっ、当然、私にも悩みはありますよ」
ほんの微量の嘆息の後、麗華さんは告白する。その、はかなさにも似た表情に、俺の視線は釘付けになる。
「それは、どんな――」
聞いていいのか。そもそも、教えてくれるのか。これで、嫌われたりしないよな。俺は臆病だ。自分で聞いた癖に……。
「そうですねぇ、私はここへ来てまだ日も浅いですから。それに、将来への不安だって勿論ありますよ。ここは日本とは違いますから」
確かに。お互い異世界に肉親はいないからな。俺の場合は、家に居づらかったからそこまで気にしてなかったけど。でも、麗華さんは違う。剛人さんという兄貴がいる。やっぱり寂しいのかな?
「そ、そうだよね。でも、俺もいるし――それに、いつかは――」
うはぁ、言葉になってねぇ。声はうわずるし。メチャメチャかっこわりぃ。
「でも、タケさんはアロマさんと――」
なんでそんな悲しそうな顔すんだよ。そんな顔されたらアロマとは結婚しねぇ、としか言えないよ。俺は麗華さんが一番好きだから。
「アロマとは結婚しねぇ。あれは陛下が勝手に言ってるだけだから。だから俺と」
だから俺と――。くそっ。意気地がねぇな。俺は。この先が言い出せねぇなんて。ほら見ろ。麗華さんが困った子供に向けるような視線で見てる。
「うーん、私はアロマさんとタケさんが結婚しても良いと思ってるんですよ」
えっ、何で……何でそんな事言うの。俺の気持ちは。俺は麗華が……。
「そんな顔しないでください」
好きな女の子に振られれば、情けない表情にもなるよ。別の女と。って言われれば。ダメだ。もうダメだ。自分にウソは付けねぇ。
「ごめん。俺は麗華さんが好きだ。麗華さんと結婚したい。だから、そんな事言わないでください」
語尾は尻すぼみしたけど言ったぞ。言ってやった。でも、麗華さんの顔色がすぐれねぇな。なんで?
「ならこれから大変ですね。私も、こっちの風習になじまないとッ」
うん? どういうこと? ゴメン、分かるように説明してほしいかな。でも、麗華さんの顔色――暗くても分かる位に赤いぞ。それって、オッケーってこと?
「えと、それはどういう――」
麗華さんは声を押し殺して笑ってる。何かしたのか、俺。
「はぁ。おかしいですね。本当にタケさんは――。アロマさんと結婚するとタケさんは公爵さまになるんですよ。第二夫人がいても不思議ではないですよね」
あへぇ。いや。ダメでしょうよ。俺も麗華さんも日本人よ。日本は一夫多妻は認められないんだから。
「えっと、日本は一夫一妻制ですけど」
「だからですよ。私が、ここの風習に合わせるって言ってるんです」
えええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ。それは、つまり。
「アロマと麗華さんと結婚するって意味――なの?」
「それ以外にありませんもの。私も、タケさんを手放したくないし――」
うわぁぁぁ、麗華さん、さらに赤くなった。で、よほど、恥ずかしかったのか俯いちゃった。やばい。心臓バクバクいってる。あっ、麗華さん上目遣いでこっち向いた。どうじよ。どうすれば――。熱のこもった視線ってこういう――。
麗華さんとの距離が縮まる。勿論、物理的に。時間がなげぇ。息が荒くなるよ。 はぁはぁ。すぐ目の前に、麗華さんが――。ええいっ。
むはぁぁぁ。温かい。柔らかい。麗華さんの吐息がかかる。良い匂いだ――。
俺の鼻息、掛かってないかな。心配だ。
ちょっぴり目を開けると、揺れた麗華さんのまつげが頬をくすぐった。
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