剣狂、巌流、魂魄、エルフ。の巻 六
景虎が身を引いた。一瞬遅れて、そこに光線が三度煌めく。
それらは恐るべき速さで走った刃の軌跡であり、その線と僅かに交わった隠居老人の髷が弾けて飛んだ。
「ヒェ……」
隠居老人が気を失って倒れるよりも先に、高速の斬撃を放った編み笠の剣客に対して反撃の抜刀を行っていた。
だが、既に剣客は景虎の間合いを脱しており、長い刀身の刀を水平に構え直していた。
景虎が間合いを読み違えたのは、そのあまりの長さゆえである。刀身は三尺を越え、メートル法ならば1メートルの大台を飛び越えている。それに応じて柄も二尺ほどの長さがある。一寸を競う刀剣の世界で、その長さは奇剣とも呼べた。
巌流島において、それはある流派、ある剣豪、ある刀を想起させずにはいられない。
宮本武蔵と敗れ、流派と共に滅びた天才剣士と、その愛刀、
「巌流、佐々木小次郎の『物干し竿』かァッ!」
景虎は思わぬ相手の登場に狂喜した。武蔵の代理に戦うのならば小次郎。
景虎は瞬時に納得し、目の前の剣客を粉砕するべく居合の構えを取った。
居合とは納刀した状態から状況に対応した戦闘態勢に素早く移行するための消極的危機対応技術であるが、『阿刀現世流』ではこの納刀状態が攻撃であり防御、全ての始点であり終点でもある。
対して、抜身の長剣『物干し竿』を携えた剣客は静かに景虎を見つめていた。笠の奥から覗く眼光は冷ややかでであり、それ自体が刃のような鋭さを放っていた。
「……」
やがて、剣客は何を思ったのか、編み笠の端をつまんで、素顔を曝した。
「ハァッ!?」
編み笠の下から現れたのは、女の顔だった。
佐々木小次郎は女と見まがうほどの美男子だったと伝えられているが、こちらは正真正銘の女に違いなかった。
注意深く観察すれば、女性としての身体的特徴は旅装の上にも見て取れた。
切れ長の瞳は凛々しく、長い後ろ髪を縛ってまとめているところなどは、伝え聞く小次郎の似姿に似つかわしい。
「むぅ、女か……っ」
景虎からしてみれば、女性が物干し竿を究極に近い領域で軽々と扱えていたという技量的事実が何よりの驚きであった。
女は、景虎の様子をしばし観察すると、小さくため息を吐いた。
「貴様は近頃各地の武術家を襲撃してまわっている『剣狂』、阿刀景虎だな。
おのれ、武蔵め、妙な奴に引き合わせる……」
女は吐き捨てるように呟くと、竿を下ろした。
「そういうてめぇは?」
景虎は睨みを利かせたまま訊ねるが、女はそれを睨み返した。
「私は巌流、巌流佐々木ツバメだ。父の仇、武蔵めを斬りに来た」
景虎は睨みを緩め、怪訝そうに眉をしかめた。
「斬る? 武蔵は、死んだんだぞ」
「そんなことは知っている。だが、奴がただで死なぬからこそ、私もお前も此処にいる。でなければ、誰がこんな屈辱の地に赴くものか」
「ふむ……」
景虎は、ツバメこそ果たし状の相手なのではないかと勘違いをしていたが、どうやら、ツバメも果たし状を受け取った側らしい。