怨憎魔王。の巻 三
ハルトロンの術とは、世界と世界との間に抜け穴を穿ち、その狭間の夢幻なる空間に樹の虚のような空間を穿ち、通路とする神秘の荒業であった。
よって、彼らがいるここはただの木の洞ではない。世界と世界の狭間に位置する、時間も距離も仮初の場所なのである。例えるならば、星と星の間に横たわる宇宙空間に空気の通じる筒を通し、行き来をする星間エレベータの如き代物である。
そこで何かと出会うことなど、考えにくいことであった。先ほどの例えで言うならば、それこそ通りがかりの宇宙人ぐらいしか相手がいないだろう。
「ホ、死霊が一匹に、『色無し』が二人。それに、『緑』んところのハルトロン=ミーダとは。何とも奇妙な取り合わせ……」
立ちはだかる影は、人間の骸骨の形をしていた。炎とも血飛沫とも取れぬ紅蓮の煙が朽ちた白骨の胸の辺り、肋骨の内側から濛々と噴き出している。その紅蓮が骸骨の息遣いのようにも感じられた。
燃え上がるような紅蓮の気は背後から差し込む光に代わって洞窟を赤く染めあげている。
「おっと、申し遅れた。アッシは紫の神『マダラメイア』様を拝んどります、怨憎魔王『ファントムドア』と申す者。我が神の微睡を守るべく世界の淵を歩いとりましたら、奇妙な虚が生じておるので、手の空いている身体で見に来た次第」
訊いていないのにも関わらず、乾いた声で骸骨ことファントムドアは嘯くように語り、時折何かが面白いのか顎関節をカクカクと震わせた。声は、煙の噴き出す中心から響いているようだった。
「いやはや、『色無し』の人を外から連れて来とるんですか。これはまた思わぬものを見つけた」
愉快気にファントムドアは骨を鳴らす。
「? 『色無し』とは、己らのことか」
景虎は刀に手を伸ばしたまま訊ねると、ファントムドアは大袈裟に頷いた。
「そうともそうとも、魂魄の色がまるで見えんので『色無し』。アッシらの敵は時たま、あんさん方のような奇妙な連中を味方につけおって、兼ねてから狡いと思っとったんですわ」
「む、奇妙とは」
「んー、妙に技が冴えとるし、こちらの術の効きも悪い。あんさん方も、中々の達人と見えますな」
「ほう、分かるか」
「分かりますとも」
景虎は、口の端を釣り上げた。
意外と喋れる相手である。景虎はそう思って愉快がっていたが、ハルトロンの顔は白を通り越して青ざめている。
「景虎、警戒したまえ。僕たちは、途方もない怪物に見つかったんだ……っ」
ファントムドアは、ハルトロンの動揺を嘲笑しているのか、また顎をカラカラと鳴らした。
「見苦しいですぞハルトロンさん。お互い、永い時間を生きとりますでしょう。今さら何を恐れることがありますか」
ハルトロンは錫杖を構えた。
「死すらも超越したくせに、化け物め」
「ホホ、その手のお世辞は好きませんなぁ」
機嫌を悪くしたのか、ファントムドアの紅蓮が勢いを増した。どことなく、興醒めしているようにも見える。
「まぁ、仰る通りですわ。アッシら魔の者とあんさんが出会った以上、やることは一つ。魔王ですから、やらんとイカンでしょう」
ファントムドアは自らの剥き出しとなっている肋骨を一本だけ折り取ると、紅蓮の気を何重にも纏わせた。一本の湾曲した骨はメキメキと形を変えて膨れ上がり、身の丈ほどの大鎌と化してファントムドアの手に握られる。炎のように僅かに身をくねらせた禍々しい刃は、血塗られているかのように紅蓮を噴き出していた。
「来たところで悪いですが、この世界の狭間で、果ててもらいましょ」
ファントムドアはゆっくりと一行に迫り始めた。




