剣狂、巌流、魂魄、エルフ。の巻 一
正保二年(一六四五年)。宮本武蔵が死んだ。
肥後藩(熊本)の自宅にて、病死である。六十二歳であった。
その死から数日後、武蔵に付き従っていた『二天一流』の門弟らが慌ただしく身辺整理に働いている最中、一人の男が武蔵宅の門前で雄叫びを挙げた。
「出て来ぉい! ムゥサァシィィィィッ!」
白昼堂々、蒸し暑い夏の日差しの下のことであった。
騒ぎを聞きつけた門弟たちが駆けつけると、粗暴な気を放つ浪人が、門衛に詰め寄って嚇怒していた。
「武蔵は俺が斬るのだ! お前は武蔵が死んだとのたまうが、証拠を見せろ!」
「そんな事を言われましても……」
「ええい、話にならん!」
男は憤慨すると、右手で門衛の肩に触れた。すると、腕の玄妙な動きによって門衛の体は腰を中心に縦に一回転し、宙を舞った。
「ぬへっ!」
門衛は地面に強か身体を打ちつけて気を失ってしまう。
「むぅ、こやつ!」
様子を見ていた高弟の一人が浪人の前に躍り出た。
「名乗られい! 師が御隠れになった今、この邸宅に何用か!」
「あーん?」
浪人は高弟を値踏みするように眺めると、つまらなそうに痰を足元に吐き捨てた。
「己は『阿刀現世流』の阿刀景虎。景虎が約束を果たしに来たと、屋敷の奥に隠れている武蔵に伝えろ」
高弟は眉をしかめる。
「隠れたとはそういう意味ではない! 師は、お亡くなりになったのだ……」
「んなワケがあるかぁッ!」
浪人改め景虎は、癇癪を起した。
「武蔵は己と戦うと約束した! 奴が戦う条件として定めた達人たちを、己は打ち倒してきたのだ! 柳生も、槍の宝蔵院も! その他有象無象共も、全部!」
「っ! 訳の分からんことを……」
高弟はいよいよこの狂人じみた浪人、景虎を腕ずくで追い払おうと意を決した。
「師の晩節を騒がす狼藉者め、去らねば成敗してくれるぞ」
高弟が刀を正眼に構える。口振りに反して、既に九割がた斬り捨てるつもりでいる。武門に身を置くということは、そういうことである。
「いいだろう、お前を打ち据えて武蔵を引き摺りだしてやる」
景虎は残忍な肉食獣の目で高弟の佇まいを見据えた。
「不届き者め、覚悟!」
二人の武芸者に、それ以上の言葉は必要なかった。