吸血鬼のくせにゴリメンだ
こんなヴァンパイアはイヤだ。
ヴァニア・カムラン。
彼女は次期聖人候補の一人にして、前世日本人の記憶を持つ転生美少女である。
ここは、現代地球と同等の文明進化を遂げながらも、同時に数多の幻想生物を排出する、機械と魔の混沌世界イェッラ。
ちなみに、この場合の聖人とは、聖属性魔術の行使により悪しき幻魔祓いを為す国際組織ホルング会において、各国に設置された主要な支部の、その戦士部門の中で最も優れた実力を有していると認められた者のことをいう。
現在は、世界約二百カ国に対し、聖人は三百人ほど存在している。
また、あくまで支部ごとに優劣を決定しているため、その力の差は大きかった。
ヴァニアは、祖国の義務教育が終了したそのままの足でホルング会の門を叩き、約一年の試用期間を経て正式会員となった。
その後は、自らの希望で比較的日本要素の強い島国ジャルガへと転属。
それから僅か三年、十六歳の現在、異例の早さで頭角を現した彼女は、ついに次期聖人候補として名を連ねる流れとなっていた。
特に出世欲があったわけではないが、「手を抜けば抜いただけ被害者の増える状況下にあって、悠々とソレを実行できるほど非情な人間にはなりきれなかった」というのが本人の談である。
さて、そんな立場にあるヴァニアだが、当の彼女は今、上層部の命令により、ひたすらジャルガ国内を行脚させられていた。
説明の際、明確な理由は知らされなかったが、こうして各支部や出張所を巡ることは、聖人の名を頂こうとする者全てに課せられる会発足からの義務であるという。
おそらく、心身を鍛える意味と、自らの守護する国の現状を伝聞ではなく直に把握させるため、あとは、道中の態度や力の振るい方による候補の絞込みなどが行われているのだろうと、ヴァニアは手前勝手に推測していた。
まあ、その考えが当たっていようが外れていようが、彼女が普段からの楽観的な態度を変える理由にはならないのだが。
事が起こったのは、そんな修行じみた旅を半年ほど続けた、ある日のことだ。
次の町へのショートカットになるはずだと、深い森の中を根拠のない自信を振りかざしつつ歩いていると、突然、ヴァニアを中心とした周辺一帯から、一切の光という光が消え失せてしまった。
広がる闇は深く、彼女は一寸先に存在するはずの己の肉体すら視界に捉えることが出来ずにいる。
何がしかの幻魔の業によるものであろうと予測は立つが、仮にも聖人候補であるヴァニアに全く気配を悟らせず術を仕掛けてくる相手など、このような小さな島国にあっては考えられることではなかった。
「誰だ!」
額に浮かぶ冷や汗を無視して、見えない周囲へ視線だけを慌ただしく動かしながら、警戒を露わに彼女が叫ぶ。
すると、見えぬはずの闇が確かに蠢いて、空間に音が浮遊した。
「我が名はラドゥ・ルペスク。
始祖吸血神が御身に流るる一滴の血液より産まれし、ヴァンパイア一族真祖が一柱、ラドゥ・ルペスクである」
応えたのは、いち島国の聖人候補ごときでは到底身に余る、神話級の化け物だった。
逃げることすら許されない大怪物の登場に、恐怖に震え顔を青褪めさせるヴァニア。
そんな彼女の前方で、闇が急速に凝縮され、見る間に人の型を成していく。
「あ……あ……」
生物としての根源的な怯えの感情が、彼女の細い喉から声を奪い、掠れさせる。
「純潔なる乙女よ。
此度、我が糧となることを悦び迎え入れるが良い」
「ッいゃああぁああああああ……あ……ぁ……………………チェンジで」
「えっ」
圧倒的上位者の登場に己の死すら幻視した彼女は、しかし、その姿がハッキリと露わになった瞬間、真顔で悪態を吐き始めた。
「ないわ、マジでコレはない。
服着たザン○エフもどきが、超美形揃いで有名なヴァンパイア一族の真姐?
ハァァ? 意味分かんねぇんですけど?
オッサン、アタマだいじょぶでちゅかー?」
ソレの見目は、伝承の吸血鬼達とは似ても似つかぬ、筋肉ゴリゴリのムサ苦しいガチムチ系オッサンだったのである。
人間の女の現金さは、もはや留まるところを知らない。
「お呼びじゃねえんだよ、ハゲ!
超絶美男美女に殺されるならまだしも、お前みてぇなゴリラ野郎に殺られたんじゃ死んでも浮かばれねぇっつーの!
吸血コングは大人しくジャングルにでも引きこもってろや!
オラっ、南はあっちだ、二度と間違えんなタコ助!」
元日本人にして、地元一の勢力を誇るスケバンだらけの不良チーム魔璃亞において八代目ヘッドを就任し数々の伝説を打ち立ててきた記憶を持つヴァニア・カムランの口はすこぶる悪かった。
彼女のあんまりな言い様に、遥か太古の文明の世から生き続ける吸血鬼の顔役は、情けなくも震える声で叫び返す。
「わ、私だって好きでこんな容姿に生まれたんじゃあない!」
「おん?」
「それにっ、こ、これでも同族の男達には逞しい肉体を羨ましがられることも少なくないのだぞっ」
「だったら、さっさと帰ってソイツらのケツの穴でも掘ってな!」
「ぬぐおおっ、止めろ!
我がトラウマを呼び起こすのは止めろぉ!」
「っうお……なん……あー、ええと、悪い。言い過ぎたよ」
途端、頭を抱えて地に蹲り苦悩するラドゥの哀れな姿に、さしものヴァニアも察するものがあったのか、謝罪の言葉を口に乗せた。
キレやすい若者ではあるが、義理堅く情に厚い一面もあるのだ。
威勢の弱まった彼女へ、ゴリラ系真祖ヴァンパイアは潤む紅玉の瞳を向けながら慟哭する。
「そもそもなんだ、お前ら乙女は!
私が人型になった途端、どいつもこいつも明確に落胆した顔なぞしおって!
悲鳴の色を恐怖から嫌悪に変えるのも、すこぶる失礼であろうが!
少々かぐわしく血が香るからと調子に乗りおって、この顔面差別主義者どもめ!」
「いや、だから、悪かったって」
「同情の詫びなぞいらぬぅ!」
そう告げて、ついには自身の太ましい膝に顔を埋めオイオイ泣き始めてしまったラドゥ。
実際、彼がこんな辺境の小さな島国を徘徊していたのも、大陸の乙女たちに違う意味で会いたくない吸血鬼として広く認知されている現状から、少しでも遠ざかりたいと思ったからだった。
ちなみに、同族の女性にしてもムサ苦しいゴリマッチョな見目は受けが悪いようで、真祖の一柱として尊ばれながら、彼は妻になりたくない男ランキングにおいて不動のナンバーワンの地位に君臨している。
ラドゥより少々後に生まれた他のヴァンパイア真祖の男性らは、誰しもが絵にも描けぬと評判の美貌を携えている辺り、惨めさも一入だった。
「そのー、なんだ。元気出しなよ。
混乱してあんなこと言っちまったけどさ、別にアタシはオッサンみたいなタイプも嫌いじゃないよ」
「ぬぅっ?」
憐憫たっぷりの眼差しで、ヴァニアが吸血コングの僧帽筋から広背筋にかけて、ゆるゆると擦りながら囁く。
「美男美女はそりゃあ、目に優しいけどさ。
オッサンみたいにガッチリした体格の強そうな男の方が、何ていうか、一緒にいて安心感あるってーの?
それに、見た目にしたって、印象が暑苦しいっていうか男臭いってだけで、こう、オッサン別にブサイクってワケじゃないじゃん?
アタシは良いと思うよ、うん。
あんなこと言っちまったのだって、ケーキと思ってたものが羊羹だったからキレたみたいなものでさ、普通にどっちも好きだからさ。
だから、あんま落ち込むなよ…………な?」
言葉遣いはさておき、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる美少女の姿は、まさに聖女と評するに相応しい風情を醸し出している。
仮にも万を超える年月を生きる化け物であるからして、表面上ばかりの嘘にまみれた優しさを見抜くだけの洞察力を持っているラドゥは、彼女の慰めのどこにも偽りがないことを察知して、心の底から感激した。
「は……」
「ん?」
「花嫁になってくれ」
「はぁ?」
唐突すぎるラドゥの告白。
理解及ばず眉間に皺を寄せたヴァニアの白く細い両手を、毛深い掌が包み込む。
「貴女のような心まで美しい乙女は産まれて初めてだ。
私の花嫁となってくれ」
「アホかオッサン! どんだけチョロいんだよ!?」
ツッコミを入れつつ、彼女は子どものような純粋さでキラキラと瞳を輝かせる吸血鬼から慌てて距離を取った。
想いを受けた恥じらいからか、少女の眉は困ったように八の字を描き、頬が薄く朱に染まっている。
「……あのな。言っちゃなんだが、アタシはこれでもホルング会の聖人候補なんだよ。
アンタみたいな人間を襲う種族ってヤツは、基本的にゃ討伐対象なんだ。
そういう、敵同士でさ、結婚とか……無理だろ?」
「そうか! ならば、私はヴァンパイアをやめよう!」
「軽い! そして、重い!」
拳を握り声高らかに宣言する真祖たる吸血鬼が一柱へ、ヴァニアの素直な感情が飛んだ。
「っていうか、できねぇだろ種族変えるとか」
「さすがに人間にはなれんが、一族を抜ける程度であれば容易いぞ。
我が花嫁のためならば、私もその何とかいう組織に入会し同族たちを狩ってもよい!」
「だから、軽い! そんで、重い!」
「む、そうか。
我が花嫁は慈悲深き乙女であるからして、例え敵対存在であろうと同族を屠る私の姿を見るなど忍びない……そういうことか。
であれば、幻魔術で人間に擬態し、働く妻に代わって二人の愛の巣を守る主夫の役割を負おうではないか!
心配には及ばない、私は家事が得意なのだ!」
「色々おかしいだろうが!?」
御年数万を数える怪物は、まさかの初恋に浮かれ、酩酊状態に陥ってしまっているようだった。
いい年こいて恋愛脳に目覚めた雄のアプローチはしつこく、そして、ねちっこい。
「私を嫌っていないというのならば、どうか……あぁ、どうか我が花嫁となって欲しい。
望みあらば、全て叶えよう。
障害あらば、全て打ち砕こう。
惚れた乙女のためならば、もはや、この命すら惜しくはない」
「うえぇ」
困惑するヴァニアの足元へ跪き、ガチガチの筋肉に覆われた右腕を差し伸べるラドゥ。
真祖ヴァンパイアの直球すぎる求愛に、さしもの彼女もたじたじである。
なんだかんだで悪い気はしていないのが、聖人候補として中々に由々しき事態であった。
「ばっ、バカじゃねぇの……そんな、ちょっと優しくされたくらいで、花嫁だの何だの。
アタシ、別に全然、ジヒ、とか、深くないし。
どうせ、アレだろ。想像と違うって思ったら、すぐ冷めるんだろ。
そんな簡単な気持ちに、いちいち付き合ってらんねーよ」
熱すぎる眼差しから決まり悪げに視線を逸らし、それが心の距離と言わんばかりにヴァニアが一歩分身を引けば、ラドゥはたちまちマッスルコングボディを小刻みに振動させ始める。
「なにを……」
「ガハーーーーーーーッ!!」
「おわぁーーーーーーッ!?」
瞬間、吸血鬼の口腔から滝のような鮮血が飛び散った。
「ちょ待っ、なんでいきなりメッチャ血ぃ吐いてんだよ、オッサン!?」
「……我が花嫁に信じてもらえぬストレスで臓腑という臓腑に穴が開いた」
「重ぇよ!!」
ドン引きする彼女へ、真紅に染まる唇に手をかざしながら、ラドゥが言う。
「いや、案ずることはない。
この程度、我が超回復力をもってすれば、どうということもない。
先ほど私は言ったはずだ、全ての望みを叶えようと……。
乙女が我が花嫁の立場を拒否すると、そう決断したのであれば、私も強硬するつもりは……つもり……は……ゴボォッ!」
「めちゃくちゃ無理してんじゃねーか!」
人間であれば、とうの昔に致死量を越えているであろう膨大な血液が吐き落とされ続けているが、そこは真祖ヴァンパイア、この程度では死にようもない相当に強靭な肉体を有しているようであった。
しぶとい。さすが真祖、しぶとい。
「ゲブッ、あ、案ずるな……」
「あんずるわ、バカ!
あぁもぉーっ、悪かったよ! 疑ってかかってゴメンって!
アンタの気持ちはガチだった! よぉく、分かったよ!
アタシももうちょいマジに考えるから、とにかく早くソレ治せ!」
「お、乙女……」
吠えながら、ヴァニアは自身のバックパックから清潔なタオルを取り出し、彼の口元を拭い始める。
そんな彼女の優しさに感極まったらしい吸血鬼は、透き通る紅玉の瞳を潤ませて、ただひたすら、されるがままになっていた。
旅は道連れ、世は情け。
聖人候補の美少女ヴァニア・カムランは、その後、愛に目覚めたヴァンパイア一族真祖の一柱に流されるまま絆され、お試し期間の名目で、行脚の道中、清いお付き合いを果たすこととなったのである。
旅の終わりに二人の関係がどうなったのか、それはホルング会上層部の者のみぞ知る。
おわり