七話 下らない男の下らない終わり方
幾ら煩くても、音の出所ぐらいわかる。これは、港の方か。雨がひどくうるさかった。
いつもが運動不足なせいで、もう息は切れ切れだ。だが、もう一度悲鳴の様なノイズが聞こえてこれば、行かないわけにはいかないだろう。あれがE7とは限らない。でも、俺には走るしかなかった。
何もかもを蹴散らして進んだ先へ。決して高くない俺の身長、平凡的な顔でも、鬼気迫る表情というのは恐ろしいらしい。人は勝手によけてくれた。
路地を抜けて、視界が開けた。
人影だ。いや、あれは物理的に黒い……アンドロイドだ。二体いる? しかも、あの赤いカメラアイ……まさか、どこの国だったかの、正式暴徒制圧様アンドロイド!? よく見れば、脇に抱えられたぐったりしたアンドロイドは――E7。
「FAⅠは目撃者感知。人間です」
「FAⅡ了解。即座に目撃者の排除を実行します」
排除……俺か!? 一瞬びくりと硬直した俺は、体当たりしてきたFAⅡにあっけなくぶっ飛ばされた。メシィっと軋む様な音と共に路地までまき戻ったように飛んで来た俺は、目がチカチカしているのを感じながら咄嗟に横へ転がった。
すると、先程まで俺がいた所に踵落しが降って来た。鋼鉄製だ。ゴリィッとコンクリートを抉った蹴りを食らえば、俺なんて柘榴みたいなものだろうと予想できた。
「ひッ!?」
思わず、悲鳴が漏れた。
我ながら、みっともない。走って逃げ出そうとして、何かに引っ掛かってこけかける。どうやらその一瞬で充分だった様で、再度背中に強い衝撃が走った。また数メートル飛ばされて、カラーコーンに激しく激突した。どうやら、何か注意書きがされたらしいが、痛みにそんな考えはかき消された。
「いてェッ!?」
視界の端で迫る蹴りに、反射的にカラーコーンを掴んで掲げた。一瞬で砕かれたそれは、しかし勢いを緩める役にはたったようだった。少なくとも、致命傷だったのが肋骨がヤバい音を立てて激痛がするだけで済んだ。
しかし、それも一瞬の時間稼ぎにすぎず、悲鳴を上げる間も鳴く第二の蹴りが放たれる。咄嗟につかんだ棒は、カラーコーンよりも盾には適切だった様で、ガゴォンと派手な音をたてて奇妙な形に折れ曲がった。
俺が掴んだ物は、鉄パイプだったようだ。何でこんな所にあるのかは知らないが、都合がいい。俺は何も考えずに、がむしゃらに鉄パイプを振り回した。
適当に振り回した技術もへったくれもないそれに、黒い鉄屑――FAⅡだったか――は跳び退いた。その隙に、痛む肋骨をアドレナリンで無視して何とか立ち上がった。ひぃ、ひぃ、死ぬ! そんな事をぼやきながら。
小説だの漫画だのの主人公は「あばらが何本か折れたかな」でこれを済ましているのか! 折れた瞬間はするどい痛み、それから後は鈍い痛みが連続して襲ってくる。だが、そんな内心の焦りとは裏腹に、俺は冷静にFAⅡをみていた。
痛みよりも、こちらの方が火急の危険だと、脳が判断したのだろうか。すごい勢いで心臓がバクバクいっている。
「目標の脅威度上昇。作戦の遂行が遅れる可能性あり」
「うるせえ……!」
とは強がっても、俺には殴りかかる勇気も、度胸も、元気もない。相変わらずあばらはいたいし、散々だ。鉄パイプを持つ手も震えている。なんともまぁ、情け内格好だ。
これ、次で死ぬなぁ。と、呆然と考えた。どうやっても、自分が助かる未来が見えない。拳が顔面に飛んだら即死。蹴りが来て脇腹か足が粉砕されたらその次で死ぬ。ハイキックが来たら一撃で死ぬ。どうにもならない。
死の瞬間って、意外と冷静なのかもしれない。駆け出したFAⅡをみて、静かにそう思った。
これはきっと、走馬灯だ。姉、姉、姉と続いた後、俺が生まれたときの。過分に想像が入っているのかも知れないが、多分この赤ん坊が俺だ。
意識は切れ切れでぼんやりとしているが、多分これが俺の父と母だろう。顔がぼやけてしまっている。周りにいるのは、爺ちゃんだろうか……。
「よし、決めたぞ。この子の名前は――」
場面が飛ぶ。
「俺は小説家になりたいんだよッ!」
「馬鹿! 尚更勉強しないと駄目だろうが!」
「うるさい! 何時もそうだろ! 俺の行動ばかり制限して、何もさせてくれないじゃないか!」
馬鹿だったあの頃――高校卒業後、三日目か。よくも俺の頭で卒業証書がもらえたものだ。
とはいっても、志望校には入れず、私立の男子校だったのだが。落胆はそこまででもなかったと、今も鮮明に思い出せる。
「この馬鹿!」
「もう知らねェよ!」
あぁ……馬鹿だったなぁ。
そのまま、俺は家出した。もう十数年と前に仲直りはしたが、それでも俺の中に亀裂は大きく残っていた。
馬鹿だった頃の罪償いの為に。俺は、小説家にならなきゃならなかったのに。
家族皆に、良い思いさせてやらないといけなかったのに。
結局、ここで終わる。結局、俺はここで死ぬ。一体俺は、何のためにここにきたのか。何もできない、口しか使えない――唯の屑人間のまま。
死ぬ。
轟音と共に、黒い鋼鉄製の足が俺の首を捉える――
"無力とは、何もできないことではない。何もできない人間などいない。
無力とは、何もしない事を指す言葉だ。何もしない人間は無力である。"
――発言者不明