エピローグ 機械の瞳で見つめれば
まず、事の顛末から話そう。
あの後、E7の力を借り、一週間をかけて文庫本一冊分ぐらいの小説を書いた。相変わらず俺の手は震えて役に立たない木偶の坊であったが、彼女はそうではなかった。誤字をすることが無ければ、脱字をする事もない。俺はざっくりとした話の流れを話していただけだ。後、細かい描写の部分を付け足したり。
題名は、"星ヲ渡ル旅"。星を追い出された少年が、故郷の星を追い続けるお話だ。少々哲学的な話も多くなってしまったが、それでも最高傑作だと胸を張って言える物だった。……いや、全て彼女が書いたから、胸を張るべきなのは彼女なのだが。
何はともあれ、俺は春川文庫に小説を出版してもらう事になった。まずは、星ヲ渡ル旅を少し売ってみて、それなりに売れ行きがあれば本格的に書いてみてもらう、という事らしい。
まぁなんとも、一ヶ月前の前の俺からすれば、「どんな奇跡だ」という話だ。まぁ、偶然直治が原稿を見つめて、ふとそれを編集者にみせて、それが気に入られたという事だから、確かに奇跡に近い話ではあるだろう。
それはさておき、E7のテスターはどうなるのかと思ったが、これからも継続するらしい。特に不都合が無ければ、そのままずっと続けていってほしい、という話だった。
俺にこれといった異存は無い。少なくとも今は、E7がいてくれなければ小説が書けないからでもあるが、恩義を少なからず覚えている、というのもある。
「いやしかし……」
カリカリと音が鳴る部屋で、ヤジロベエの様に左右に揺れていた俺がふと言葉を零しすと、音がピタリと止まった。E7は、ふぅと溜め息の真似事(最近呼吸も必要なのだと知った)をして、此方を向いた。
「E7が手伝ってくれるのは、予想外だったぞ」
何だ、そんな事ですか。そういわんばかりに、E7はまた執筆を始めた。すでにざっくりとしたシナリオは伝えてあるから、後は書きあげて貰うだけだ。そして、E7にしてはめずらしい事に、執筆しながら俺に話しかけた。
「泣いている方を見捨てられる程、私はアンドロイド的思考をしておりませんので」
そういわれてしまうと、少しはずかしい気もする。唯、なるほどなぁ、とも思った。俺だって同じ部屋でE7が――まず無いだろうが――泣いていたら、俺だって助けになってやりたいと思うだろう。人間的思考に助けられたと言うべきだろうか?
「それと」
「……何だ?」
唐突に、E7が口を開いて一言だけ喋った。俺は数瞬後、その言葉の続きを促した。最近、E7はこういうもったいぶりを覚えた。覚えてしまった、と言うべきか。まぁ、どちらにせよ――
「E7ではなく、キャロラインとお呼びください。……私の名前です」
彼女が、本来の役目を果たしている事に、代わりはないのだろう。
まぁ、そんなこんなで。俺はなんだかんだと生きている。
結局今の俺も、一ヶ月前に負け惜しみだけを吐いていた頃と、何ら変わりないのだろう。結局力無く情けない頃の俺と、そして俺を取り巻く関係は一切変わってなどいない。
結局俺は口しか動かせない負け犬作家である事にかわりは無いし、AI搭載のアンドロイドが世界を牛耳っている事も間違いない。世界は相変わらず争いで溢れていて、俺は没個性な八十億の人間の中の一人で有る事に変化はない。無い無いずくしの俺だが、それは当たり前なのかもしれない。
だって、俺は世界を変えられる程の器じゃない。でも、それで良いんだと考えている。
俺には、世界を変える程の大きな手を持っていない。海を跨げる程の大きな足もない。全てを見渡す目も無いし、器用でどこまでも創造的な指すら、ついこの間失った。
だけど、それがどうしたと言うのか。
そんな物を誰が持っていると言うのか。俺が持っていなくても、世間は誰も責めやしない。たとえ大国の大統領や王であっても、それを持っているとはいいがたい。
なら、俺は俺ができる事をするまでだ。誰にでもなく、言葉と文章、物語を投げつける。それしかできない。だったら、俺が傷つく必要は何処にもない。
世界は回る。
どこまでも永遠に。
誰の手も借りる事無く。
唯、この部屋と小説だけは。俺と、キャロラインで回したいものだ。
「所で、外国を確認しインスピレーションを湧かす、という件はどうなっているのですか?」
そんな、少し小難しい考えをしている俺は、不意にキャロラインの声で呼び戻された。海外旅行か。完全に忘れていた。……まぁ、仕事分は昨日終わってしまっているし、送られてくる毎月五万ドルの金銭援助は使う事無く溜まっている。別に、海外に息抜きにぐらいいってもいいか。
「あー……。明後日にでも予約しておくか。キャロラインは何処に行きたい?」
「了解です。私は何処でも構いません」
一番面倒くさい回答しやがって。凛としたすまし顔に、悪戯が成功した子供が見え隠れしていた。まぁ、何処に行こうと彼女と一緒なら、何か思いつくに違いない。ふと彼女を見ると、ドアを透かして外をみている様にも見えた。
考えて見れば。彼女の様に、機械の瞳で見つめれば、世界は、変わって見えるのかも知れない。そうだとするなら、彼女が少し羨ましく感じた。
Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
"風が起つ。生きようと試みなければならない"
――ポール・ヴァレリー