011 迷宮の朱の川
「シェリア!」
うねる渓谷の岸壁に遮られて視線が通らない。モノノフの声がこだまする。蒼い髪の人影を見た気がして追いかけているのだ。
「モノノフ待て」
アロ2がモノノフの腕を引っ張って止める。
「そっち、竜のにおい濃い。でもシェリアのにおいしない」
「待ってくれ。ボクはたしかに見たんだ」
アロ2は首を振る。
「シェリアは、アロの恋敵。でも、モノノフ、必死に探してる、わかる。アロ、モノノフ好き。だから、アロ、嘘つかない」
「アロ2」
「嘘じゃない証拠、見せる。アロにおい覚える、得意。もうすぐヨサク、ワールウィンド、あと知らない人、一緒に現れる」
しばらくそこで立ち止まっていると、前方の崖を滑り下りてくるヨサクたちの姿が見えた。
「な、アロ、嘘つかない」
モノノフはアロ2の主張を信じることにした。
「モノノフ! シェリアはいたか!」
「ヨサク君、まだだ。そちらは?」
モノノフは金の巻き毛の青年を見て訊ねる。
「ボクはジョヴァンニ=G=ジョリッティ。マッパーとしてこちらについていくことになった。ミドルネームのGは、ジョルジオだから、みんなボクのことをジョ・・・」
「俺はミスターGと呼ぶことにした」
「分かった。Gさん、僕らはシェリアを探している。一緒に探してほしい。シェリアというのは、蒼い髪が燦く水面のようにたゆたって、蒼い瞳が世界の全てを見通しているかのように澄んだ眼差しをしていて、とても美しい娘なんだ。そうだなあ、雰囲気は可憐なんだけど、どこか若大将のような感じもするんだよな。あれ、おかしいな。それじゃイメージ黄色になっちゃう。とにかく、綺麗な娘なんだ」
ワールウィンドがヨサクを見て言う。
「かえって伝わりにくい気がするのだが」
「情熱だけは汲んでやろうぜ。ダンジョン内に軽装備の少女はそう何人もいないだろう」
「こういうとき、やれやれというのだな」
「分かってきたじゃないか、ワールウィンド。さあ、早くシェリアを見つけてやろうぜ」
「ヨサク、そっち違う」
アロ2がヨサクが一歩踏み出したのを見て声をかける。
「ん?」
「そっち、竜のにおい濃い。シェリアのにおいしない」
ヨサクが振り返る。
「じゃあ、シェリアのにおいが濃いのはどこだ?」
「ああ、その手があったか」
モノノフはカシャッと額の装備を平手で叩いた。
「分かった。調べる」
アロ2は鼻を高く掲げて大きく息を吸う。小さく数度に分けて吸う。それを何度も繰り返す。
「おかしい。シェリアのにおいどこにもない」
一瞬だが、全員の頭に絶望的なイメージが去来した。
「いや、そんなはずはない。もう一度調べてくれ、アロ2さん!」
モノノフはアロ2の肩を掴んで激しく揺さぶる。
アロ2は頬を染めながら頷く。
「モノノフに求められるなら、何万回でもアロはがんばる」
二度目も同じ結果だ。
「なあ、モノノフ。ゾンビ映画見たことあるか」
「映画ではないが海外ドラマなら。だが、こんなときになんなんだい、ヨサク君」
「ミスターGは」
「ボクは観ないが周りの人は見ているな」
「ゾンビに囲まれちまったら、主人公たちはどうやって切り抜けるかわかるか」
「車に乗って脱出かい」
モノノフはこの状況にこの話題がどう関わるか分からず、深く考えず即答する。
「それ、ヒロイン以外はエンジンかからずお陀仏パターンだな。残念だがわれらがモノノフはお亡くなりになられた。ミスターGはどうする」
「高火力の武器や爆弾で吹き飛ばす」
「そんなものがあって、使える状況ならな。おそらくシェリアは軽装備でそんなものは用意していないだろう」
「シェリアの話だったのか、ヨサク君」
「当たり前だろう。ゾンビの群れを歩いて突っ切るなら、ゾンビを担ぐなり、臓物ぶちまけるなり、においをカモフラージュするもんだろ。シェリアだって、自分のにおいを消すくらいの知恵は使ったんじゃないかって話さ」
「そうかー! その発想はなかった。期待がもてる気がしてきたよ、ヨサク君!」
アロ2はうなだれる。
「アロ、何の役にも立てない」
「そんなことはないよ。君のおかげで不要なエンカウントを避けながらシェリア探しに集中できるんだ」
アロ2はうっとりした表情を浮かべてモノノフを見つめる。
「モノノフ、好き」
「あ、いや、ぼくはそんなつもりじゃ」
「話がまとまったところでこっちにするぞ」
ヨサクは竜のにおいが濃いという方に再び踏み出す。
「だからそっちは!」
「虎穴に入らずんば虎児を得ず。竜の巣に突っ込まなきゃシェリアも見つからないだろうよ!」
ワールウィンドは腕を組んで呟く。
「こういうときは、我がやれやれと言うべきであろうな」
■◇■
「どいつもこいつも好き勝手なことを」
カウェールの真意は別にあった。<竜討伐大隊>を名乗ってはいるがその目的は<竜の渓谷>クリアなどではなかった。
再移住である。
一度は放棄した土地であるが、この<竜の都>は都市機能を有しながら<冒険者>が少ない土地である。そこにカウェールは目をつけたのだ。
<冒険者>の過密な地域では技術革新でも起こさない限り、数の力には抗えない。あらゆるものの利権のほとんどは搾取されておしまいである。
カウェールは新天地を求めていた。
討伐大隊の話は降って湧いたようなチャンスだった。
東洋史をかじっているカウェールは、徐福伝説を思い浮かべていた。秦の始皇帝の命により不老長寿を求めて大隊を率いて渡海した徐福を己に重ねて夢想する。
徐福は秦には戻らなかった。カウェールもそのつもりだ。このミッションは長くかかればかかるほどよい。
水問題なら召喚術師を雇えばいい。高台にある伯爵邸に泉を作れば水道設備だって作れるだろう。ミッション攻略の間にこの街を住みよく作り変える。
数ヶ月あれば、増援も届く。そうすれば支配権ののっとりも夢ではない。
誤算があるとすれば、伯爵家が何を考えたか街の大半を封鎖して占拠した状態にあるということだ。この数ヶ月の間に親交を深め、基盤を築こうという策略の実現は少々難しそうだ。
誤算とまではいかないが、ヤマトから来たサムライチームも厄介だ。それにつられて他のチームも動き出してしまった。
「くそ! 伯爵は一体何をしているんだ」
■◇■
「最愛の息子を鉄の鎖で戒めねばならないとは。私は一体どんな罪を犯したというのか」
白亜の邸の一室で、邸の主は何かに祈るように呟いた。
「主様!」
激しいノックのあと、叫ぶような声がする。
「入れ」
「若様が檻を抜け出したようなのです」
「誰がそのようなことを」
「それが、若様ご自身のようなのです」
「檻は鉄で出来ているのだぞ。鎖はどうした」
「柵は曲げられ、鎖は千切られています」
「そんな馬鹿な!」
階下の牢に駆けつける。尋常ならざる力で牢が破られた跡がある。
「どういうことだ。アレンは、アレンはどこに行った」
「目下捜索中です」
邸の主はその場に膝をつき、何かに祈るように五指を交互に組み額の高さに掲げた。涙を堪え、怒りや憤り、煩悶その他一切を身の内に止めようと必死なのかも知れない。
その肩は震えていた。
■◇■
膝をつき一心に祈るアリソンに近付くものがいた。
「やあ、ここにいましたか」
アリソンの祖母を連れて声をかけたのは、<竜戦士団>の団長だ。
「おばあちゃん、と・・・だれ?」
「私はクリストファー。シェリアの養父です。もしかしてシェリアのために祈ってくださっているのですか」
「え、いや、ああ、はい。シェリア、<竜の渓谷>に独りで入ったので心配で」
「どうぞ、顔をあげてそちらに腰を掛けませんか」
碧の目をもつ団長は、アリソンに手を差し伸べた。
「サンクス。団長は心配ではないのですか」
「いえ、心配ですとも。ですが、あなたが彼女を心配する気持ちとは意味合いが違うかもしれませんね。アリソン、あなたはあの子と付き合いが長いのですか」
「今日知り合ったばかりだけど」
「そうですか。それは弱りました。付き合いが長いのなら偏見などなくあの子と接してもらえるかと思ったのですが、では話さぬ方がよいでしょう」
「ちょっと待って、待って。えっと、団長さん。私に何か打ち明け話をしようと思ってた?」
「左様。アリソンはシェリアと同い年くらいでしょう? あの子は孤独に<北の廃都>に住んでいてねえ。同世代の女の子などいないものですから、アリソンがあの子の友だちになってくれるのならと思ったのです。それなら彼女の生い立ちから話しておいた方がよかろうと。でも、それは必要なかったですね」
「だから、ちょっと待ってってば。付き合い長くなくちゃ友だちって呼べないの? そりゃああの子のこと何も知らないけどさ。大事な友だちだって思ってる。これから先も」
団長は微笑む。
「ありがとう、アリソン。おばあちゃんから聞いていたとおりのお嬢さんだ」
「おばあちゃん、団長さんに何話したの!?」
「孫のアリソンは、美人で優しい子ですよって」
アリソンは、照れ笑いを浮かべる。
「では、やはり聞いてもらおう。シェリアの・・・むう!!」
団長は谷を眺めながら話を始めようとした、その時である。谷から虹色の泡が光の粒をまとって、アリソンたちを包み込むように湧き上がってきた。
「え、何?」
アリソンが顔を腕でかばったが、泡はぶつかることなく、アリソンの背後の<幻竜神殿>へと吸い込まれていった。
「アリソンではなく、私の心配の方が的中したのやもしれません」
「待って。ねえ、今の、何?」
「おそらくシェリアによって傷つきたおれた<冒険者>の魂魄」
「シェリアによって? 言っている意味がわからないよ。団長さん。ねえ、なぜシェリアが<冒険者>を傷つけるの? ちょっと待って、じゃあ、まさか、今の。ヨサクやモノノフじゃないの!?」
アリソンは<幻竜神殿>に飛び込む。
「アリソン!」
「そこは入るものじゃない!」
祖母や団長もアリソンを止めようとした。時既に遅く、アリソンは足音を響かせて、神殿の中にいた。
奥の石室がある部屋には、石の寝台がいくつもある。その上に何人も<冒険者>が横たわっている。アリソンはその中にヨサクの姿がないことを知り、ホッと胸を撫で下ろしたのだが、代わりに見知った顔を見つけた。
「シーザー?」
バンダナを巻いた彼は、トレイルセンターでアリソンに親切にしていた<冒険者>だ。
「ねえ、シーザー。起きてるの?」
アリソンは彼に触れるべきかどうか迷っている。
「ねえ。シーザー、起きて。死んじゃやだよ。ねえ」
数秒悩んだ後、彼の肩に触れたアリソンはシーザーの身体をゆすりはじめた。
「ぐは!」
深い川から水上にやっと顔を出せたように、シーザーが息をした。
「ひゃわう!」
突然起き上がったシーザーにアリソンは腰を抜かす。
「アリソン。なぜ君がここに。ああ、<大神殿>なのか、ここは」
「あ、ああ、えっと、はぅわゆぅ」
「混乱させているならすまないな。正直に言うと気分はよくない。だが、ボクは君に伝えるべきことがある」
シーザーは無意識でアリソンの腕を掴んでいた。
「君が探していた蒼い髪の女の子に会った。そして――――――、ボクらは殺された。彼女に殺されたんだ」