001 アイツはまた迷う 空に星があるのと同じように
アリソン=マリア=モルガーナは、ひどくまずい朝食をテーブルに置いた。
朝食とは言ったが、もうとうに日は高く昇ってしまっている。
そして彼女の朝食の味なら食べなくてもわかる。まずいのだ。
湿気た煎餅よりもまずい。それがシリアルだろうとトーストだろうとスクランブルエッグだろうと同じことだ。
だが彼女は居心地のよい場所を提供してくれた。
草の香りのするベッドも心地よい。シルクのシーツの手触りも。
彼女の声も。
ヨサクはゆっくりと半身を起こし髪をかき上げた。
「アンタ、もうちょっとここにいていいわよ」
「<冒険者>が必要か?」
アリソンはベッドに両手をつくと、ヨサクに顔を近づけた。
「<冒険者>は、みんな野暮なの?」
ヨサクはアリソンのブロンドの髪を撫で、そしてぐしゃぐしゃにする。
「ああ、もう」
アリソンをよけてヨサクは立ち上がる。
「服は?」
「そこ。もう着るの?」
何も言わず袖に腕を通すヨサク。
すっかり着替えてしまうと、荷物も見つけて肩に担いだ。
「世話になったな」
「二度も言わせないで。もうちょっといてってば」
荷物から何か取り出してテーブルに置くと、そのまま出ていこうとする。
「朝食は?」
「酒でいい」
アリソンが後を追う。ふと朝食の横に置かれたトゲトゲとした鉱物に目が留まる。
「何これ?」
「この辺りは良質の金が採れる。そのうちこのさびれた町も人で賑わってくるだろう。ちゃんとした目利きに見てもらえ。パイライトだなんて買いたたこうとしたらぶん殴ってやれ」
「もう。アンタ行先はあるの?」
「行きたい場所はある」
「どこ? 案内がいるでしょ」
「ロンダーク」
「どこよそれ」
扉を開けると見渡す限り赤茶けた大地が広がっていた。
遥か遠くに見える山さえ赤茶けている。
ヨサクは<ウェンの大地>にいた。
「バイクでもあれば借りたがな。まあ、あるわきゃねえか」
道路らしきものに出ると、地面に何か描かれている。
道に白く描かれているのはエンブレムか魔法陣のようだった。
中央に大きく数字が二つ並ぶ。
それがこの道の名前らしい。
■◇■
どこまで行っても赤茶けた荒原だ。早くもヨサクは飽きてきた。
先ほどのアリソンの家以外に民家はなく、そのアリソンの家ですらもうどこにあるかわからない。
「水くらいもらってくるんだった」
酒でいいなどと言っていたが、そんなものはもう既に飲みつくしていた。
ヨサクはつい先日まで<ヤマト>サーバーの管轄である<ナインテイル>にいた。小さい島国であるからこのくらいの距離を歩けば<妖精の輪>にたどり着くことができた。
ゲーム時代、<妖精の輪>はタイムテーブルが攻略情報サイトに載っていたので、とても便利な移動手段だった。うまく利用すれば、開催中のイベントにサーバーを超えて次から次に参加することも可能だった。どんどん利用して迷ったら攻略サイトを見るという手もあった。
だが、<大災害>後、<妖精の輪>は不可解な移動装置へと変貌を遂げた。どこにたどり着くか、さっぱり予想できなくなったのだ。
なかなかこれを攻略する者は現れなかった。<ヤマト>サーバーにおいても<アキバ>の<ホネスティ>など大手ギルドが解明に乗り出している。それでも攻略したという話は聞かない。
おそらくは周期的であったタイムテーブルが何らかの原因で壊れてしまっているのだろう。それでも調査団は今なお継続して派遣されているに違いない。
ヨサクが<妖精の輪>を使うのは、単に性分に合うからという理由である。目の前の道が渋滞していれば、脇道に入りたくなる。行列ができていれば隣の店に入る。それがヨサクである。
運が良ければ目的地に早く到着するし、うまい飯にありつける。たとえ道に迷ったとしても、激マズの飯にありつくことになったとしても、人の後頭部や尻ばかり見て生きるよりはヨサクにとってよほどマシなことなのだ。
その程度の理由なのだ。彼が<妖精の輪>を使用するのに何ら高尚な思いなどない。
そのヨサクにしても<ヤマト>サーバー以外に迷い込むような予感は十分にあった。おそらくは経験則による直観だ。
数学の世界にポワソン分布というものがある。
物事はおよそ回数を繰り返すことによって正規分布に近づく。つまりおよそ平均的になるということだ。一万回<妖精の輪>に入ったみたら、ほぼすべての<妖精の輪>に同じ回数出ることになる。
しかしヨサクが利用したくらいの回数ならば、その数値は正規分布ではなくポワソン分布に従ったものになる。少ない回数において傾向を予測できるのがこの分布なのである。
ポワソン分布の例でいえば「一年間に馬に蹴られて兵士が死ぬ確率」が有名だ。ちゃんと〇.六一人と計算できる。
今回のヨサクにおいては、「過去ニ十回の利用中、<ナインテイル>に四回、他の<ヤマト>の地域に五回、他サーバーに十一回出現した。前回の出現地が<ナインテイル>で、次も<ヤマト>サーバー内に出現する確率はいくらか」という問題になるだろう。見た目上五分五分に見えるが、<妖精の輪>総数からすれば、他サーバーに出現する確率の方が圧倒的に高いのである。正規分布ではないため、まだ若干<ヤマト>の目を出す可能性はあるという程度だ。
つまりヨサクの勘は正しかった。
それでもなぜ彼は<妖精の輪>に挑むのか。
そこに<妖精の輪>があるからだ。
だが、この馬鹿げたくらいに開けた荒野のどこにも<妖精の輪>は見えない。
だからもうすっかりこの景色に飽きてしまっている。
退屈な上に喉が渇くのだ。
ヨサクはあたりをきょろきょろと見回す。何かに気付いたようでその近くに歩み寄る。
何もない赤茶けた土をじっと見下ろしている。ヨサクはにやりと口元をゆがめた。
すうぅっと息を吸い、腕をひき拳を握る。息を止める。動きも止まる。
「オリオンディレイブロォオオオオオオオウ」
裂帛の気合とともに拳を大地に叩き付ける。拳を中心に地面にクレーター状の穴が開く。
地面が抉れて砂埃とともにわずかに輝くものが巻き上がる。
<掘削奇術>。<採掘師>で<武闘家>である彼が開発した口伝である。ヨサクの掌には丸い小さな石があった。琥珀である。彼はその能力で宝石を掘り当てるのである。
ヨサクはふぅっと琥珀を吹いて埃を飛ばすと、口に放った。ひんやりとした琥珀が唾液の分泌を促す。飴玉のようにころころと舌で転がすと、また歩く気力がわいてきたようだ。
一時間ほど歩いて、ついに人影を発見した。どうやら馬にまたがっているらしい。
ヨサクは近くに村がないか尋ねようと、口の中の琥珀をぷっと吐き捨てた。
そしてそのまま口をあんぐりと開けていた。
「ねえ、お兄さん。あたしと<竜の都>に行かない?」
テンガロンハットを指先で押し上げたのは、十四歳の金髪の少女アリソンだった。