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灰を撒く男

作者: 風連

冷たい雨が秋を閉じ込め、冬を呼んでいる。

ここでは、ほんの一時の夏と秋が同居し、長い長い冬が、全てを凍らす。

人は自らの血で運命を描き、跡形もなく消えていく。

本当に知り得たことを、何一つ、伝えず、残さずに。

死から逃れた者は、呪いか祝福か。

その街は、閉ざされたような場所だった。

何百年もここで暮らす者たちが作り上げていたので、嫁いで来た者でさえ、死ぬまでよそ者だったのだ。

外からの者は、住みづらい街だったが、小学校の教師として、彼はここに足を踏み入れた。

暗い雨の昼下がり、行き交う人も無く、ノロノロ走るバスの前には、荷馬車が行く手を塞いでいた。

やがて、バラバラとあられが混じりだし、荷馬車の速度は益々落ちていった。

荷馬車が曲がって、ようやく普通に走り出したバスが、街の中心に着いた。

彼はバスから降りると、コートの襟を立て足早に、バスの運転手に教えられた、小さなホテルに急いだ。

ぬかるんだ歩道は、霰で斑らに白く染まっていたが、暗闇がそれを隠しつつあった。

ホテルは、湿気った匂いがしたが、カビ臭くはなかった。

古いアールデコの家具と重いカーテンで飾り付けられているロビーにも受付にも、ひとの気配はなかった。

カウンターのベルを鳴らすと、パタパタと足音が奥から響いて来た。

出てきたのは、小さな女の子だった。

両側で結んだ髪がリボンと一緒に、ピョンピョンとはねている。

「いらっしゃいませ。

お泊まりですか。」

カウンターから、ようやく出ている顔が、ニッコリと笑う。

「はい、ひと部屋ありますか。」

見ると、少女は薄手だが、ダウンの上着を着ている。

背中には、四角いリュックを背負っていた。

そこに、毛のコートで膨らんだ女が走って現れた。

「すいません。

この子を迎えに行ってたんですが、荷馬車とバスがトロトロ走ってて。

お待たせしませんでしたか。」

少女と同じ緑の目が、申し訳なさそうに、笑っていた。

「いえ、そのバスで来ましたから。」

「まあまあ、ビックリなさったでしょうね〜。

悪気はないんですが、何せ馬車ですから。

今夜お泊まりですか。」

女の子が笑いながら、頷く。

「お泊まりです、ネェ、お客様。」

「あらまあ、すみません。

エア、鞄を下ろしてらっしゃいな。」

「はーい。」

ほほにエクボを浮かべた少女は、鞄を揺らして、カウンターの奥に、走って行ってしまった。

「もう、走っちゃダメよ。

ごめんなさい、ヤンチャで。

お部屋の支度をしますので、あちらでお待ちください。」

古いが、居心地の良さそうな、ソファが並んでいる。

1人掛けの上で、タキシードを着たような白黒の猫が伸びをしてから、伸ばした足のまま床に降り、エアが消えたカウターの後ろに、長い尾を振りながら、消えていった。

ガス式の暖炉が、暖かな色を添えていた。

「では、こちらにお名前とご住所と電話番号を、ご記入していて下さい。」

渡された宿帳と鞄を持ち、ソファに向かった。

暖炉の暖かさが心地よい。

あっという間に暮れてしまった街並みが、雨が流れる窓ガラス越しに、灯りが漏れて輝いて見える。

外の寒々しさとは反対に、あちこちから見える部屋の中は暖かく、柔らかな色がそこらを染めている。

カーテンを閉めないのが、わかる。

全てのカーテンを閉めてしまったら、街は陰気な雨に溺れだし、やがて沈んでいってしまっただろう。

エアが、花柄の黄色いマグカップを両手で掲げて運んできた。

「どうぞ、お茶です。」

「ありがとう、お手伝いが上手だね。」

お茶は甘い香りの紅茶で、匂いだけで、疲れが取れるようだ。

「ご飯はどうするの。

こんな天気だと、お店閉めちゃうよ。」

エアは本気で心配してるようだ。

カウターの横の階段からコートを脱いで手に持った母親が、降りてきた。

「あら、そうですわ〜。

ここいらでは、こんな天候だと、閉めるの早いんですのよ。

よろしければ、ご一緒に食べませんか。」

母親にも、エクボができていた。

ありがたい申し出だが、彼は休みたかった。

「いえ、お腹は空いていません。」

「ざんねんね、エア。

この子、旅の方の話を聞くのが大好きなんです。

どうぞ、お部屋が整いました。」

「お茶をありがとう、エア。」

嬉しそうなエアを残し、二人は二階の部屋に向かった。

部屋は柔らかいアイボリーとグリーンでまとめられ、総付きの花柄のカーテンが、ひだを幾重にも重ねて、重く垂れ下がっていた。

「シャワーは、ちょっと待てば、ちゃんと熱いお湯が出ます。

主人がボイラーを直したばかりなんです。

朝ごはんは、6時から用意できますが、如何しますか。」

「では、7時半で、お願いします。」

「ごゆっくりなさってくださいね。」

扉が閉められ、男はようやくコートを脱いだ。

この街では、このコートでは、薄着すぎるかもしれない。

ここいらの朝食付きホテルは、本格的なものから、民宿的なものや、道楽趣味でやってるのまで、色々あったが、ここは古い歴史のありそうなホテルだ。

多分、結婚式や葬式などで、ワラワラと集まってくる親類達が、泊まりきれなくなって、やってくる宿なのだろう。

海の向こうにいた時、誕生日だからと、83歳のおばあちゃんの為に、身内が73人集まったパーティに呼ばれた事があった。

簡易トイレまで借りていたが、ホテルが足りなくて、バスで隣町まで送迎していのを覚えている。

結局、友人やその友達など入れて、そのパーティでは100人を超えていたと思う。

同じような姿形をして同じような言葉を話していても、違う風習に縛られているのが、国の違いというものなのだ。

ガス式の暖炉が明々と燃えている。

その横にお湯の沸いた電気ポットとお茶のセットと手作りらしいクッキーが、用意されている。

あの短時間で、手際が良い。

トイレとシャワーの間に洗面所があり、そこで手を洗い顔をあらった。

真新しいタオルも気持ちが良い。

明日の為に、すっかり暮れてしまった夕方の中、男は寝た。

夜を引き裂くような音で起きたのは、朝日の昇る寸前だった。

重く垂れ下がったカーテンを開けると、凍った道に車が2台、重なっていた。

黄色く塗られた消火栓が、先頭の車を止めていた。

その先に、手押車に荷物を積んだ老人が、倒れている。

やがて、周りから、人が出て来て、パトカーのサイレンと消防のサイレンがけたたましく、夜明けの道をかけてくる。

見ていると、老人は転んだと言うより、腰を抜かしていたようだ。

助け起こされると、何やら怒鳴り散らしている。

車から出て来たのは、若い男と女で、後ろの車も同じようなカップルだった。

どうやら、スピードが出ていたのではなく、単にスリップしたようだ。

スピードが出ていれば、消火栓は吹っ飛び、老人もああして口角に泡をたてて、怒鳴ってはいられなかっただろう。

男は、窓から離れ、もう一度ベッドに入る気もなくし、シャワーを浴びに行った。

少し待つと、熱いシャワーが、身体から緊張を、洗い流してくれた。

窓の外は、回転灯や人のざわめきで、賑やかだ。

車があふれてる限り、こういった事故からは、誰も逃れられはしないのだろう。

だが、それは常に他の誰かであって、自分ではないのだ。

男にとってはそれが現実だった。

外の寒さを考えながら、温まっている部屋の中で、遠いあの夏の海を思い出していた。

蝶の様に行き来するヨットの帆が集まる白い港街。

目の眩む様な太陽が、海を乱反射させ、波を重ねて、浜で遊ぶ子供達を笑い転げさせていた。

そんな場所でも、男は変わらないのだ。

思いをたたんでしまうと、1人用の肘掛け椅子から立ち上がり、身支度をした。

下に降りていくと、昨夜はしまっていた暖炉の向かいの戸が開いていて、ダイニングが見える。

歩いていくと、整えられた朝食の席が、あった。

昨夜の母親が顔を出した。

「お早うございます。」

「お早うございます。」

「よく休まれましたか。

今朝は、ボブスのお爺ちゃんが孫のロイに危うく跳ねられるとこで、大変だったんですよ。

どうぞ、こちらに。」

リネンのテーブルクロスとナプキンには、同じ花の刺繍が施されていて、ここのホテルのイニシャルが、その中に隠されていた。

「お茶と珈琲、どちらにしましょう。

もちろん、両方でも、ご用意します。」

「では、珈琲で。」

手際よく、珈琲が入れられ、オムレツとハムとジャガイモの皿が出て来た。

オレンジジュースと焼きたてのパンの入った籠。

手作りのジャムは、野イチゴとブルーベリーで、柔らかなチーズと白いバターが、添えられていた。

丸い両耳付きのカップには、ベーコンと玉ねぎのスープが、良い香りをたてている。

男は急がず慌てず、ゆったりと朝食を取った。

バスの時間を聞き、支払いをすませると、男は居心地の良いホテルから、泥が溶けかけている、この街の歩道に靴をおろした。

あちこち凍ってもいた。

融雪剤を撒く車が2台、道の先で作業しながら、すれ違っている。

早朝の事故車は、レッカー車に引かれて行ったのだろう、2台とも消火栓の前から消えていた。

バスは、穴のあいた道路にはまりながらも、左右に揺れながら、やって来た。

昨日と同じく、バスの運転手も乗客も、この見慣れない男をジロジロ見ている。

男が降りると、その行き先をも、ジッと見ているのだ。

男が小学校にはいると、憶測おくそくでアレヤコレヤと、バスの中はかしましくなったのだった。

男は必要書類を校長に渡し、手続きの終わるのを待った。

「では、明日から、3年生の補助をお願い致します。

こちらが、学校が用意した家の鍵です。」

ドアがノックされた。

「どうぞ。」

入って来たのは、今朝の消火栓に引っかかってた車に乗っていた女性だった。

「あらあら、お早う。

ルーシー、どうしたのその顔。」

「お早うございます。

ロイが車のハンドルを凍った地面にとられちゃって。

二針縫いましたが、大丈夫です。」

ルーシーのおデコには、ガーゼがデカデカと貼られていて、左目の上が、黄色く変色していた。

「サングラスをして良いわよ。

そのあざ、明日には左の顔半分を埋めちゃいそうね。

こちら、新任のジョンFフリーマン先生よ。

この住所に送って差し上げて。」

「はい、わかりました。

事務のマグナーです。

ルーシーと呼んで下さい。

どうぞ、お送り致します。」

「よろしくお願い致します。

では、明日から出勤します。」

「では、明日からお願いしますね、フリーマン先生。」

校長は、満足だった。

これで、厄介な保護者からの苦情の電話がなければ、今朝は、まずまずの滑り出しだ。

ルーシーの車で着いたのは、あのホテルの裏側にある一軒家だった。

鞄を置くと、ジョンFは、レンタカーを、借りるため、ルーシーに送ってもらった。

ルーシーが、レンタカー屋の親父から、借りてくれたのは、古い日本車だったが、乗り心地は、良かった。

「燃費が良いからね。

あんなステーションワゴン押し付けられたら、たまったもんじゃないわ。

あれを借りるのは、困った旅行者だけよ。」

指差した先には、ピカピカに磨き上げられた荷物が沢山積めそうな、車が2台停まっていた。

確かに、あんな長い車は、ジョンFには、必要なかった。

「あの家も私が整えたのよ。

何かあったら、ここに電話して。

あの家の持ち主は、私のお婆ちゃんなの。

じゃ、明日、学校でね。」

ルーシーは、電話番号の書かれた名刺をジョンFに渡すと、陽気に小学校に帰って行った。

翌日から、小学校にジョンFの姿があった。

やがて、街はみぞれが混ざる天気が続き、泥と雪と融雪剤が道を流れていた。

あのホテルで土日の朝に、食事をとるジョンFがいた。

エアが、珈琲を入れてくれる。

ダイニングがいっぱいの時は、暖炉の前に、席が用意されていた。

タキシードを着てる猫が、クウクウと寝息をたてている。

ジョンFと猫のドンは、お互いのテリトリーを守りあっていた。

その日の朝、食事が済んで、出ようとしたジョンFの前で、事故が起きた。

あの黄色い消火栓の前だ。

猫のドンが、窓から外を見ている。

エアが窓際に来たので、ジョンFは、ドンを渡した。

大人しくドンはエアに抱かれている。

「お母さんの所に行きなさい。」

「はい。」

猫を抱いて、エアはダイニングの向こうに走って行った。

今度は見えた。

その夜、ジョンFは、あの場所で、口を大きく開けた。

ぼんやりした明かりが、口から漏れている。

闇の中で燃えている。

やがて、そこから白い霧が生まれ、渦巻き熱を帯び出す。

渦巻きは、この世の物でない火を巻き込みながら、隠れているものを、あぶり出した。

二重の闇に隠れていても、容赦なくがし出す。

その霧の中で、のたうってるのは形の無い物。

黄色い消火栓をグルリと抱き込みながら、端から燃え、灰になっていく。

白い灰は、それを包み侵食していく。

さわり

留まるべきでは無いものなのだ。

ジョンFは、それらを燃やして灰にして行くのだ。

人がジョンFを見たとしても、重なった闇のせいで、たたずむ男を見る事は出来ないだろう。

足元の怪異かいいも燃えるそれも。

僅かに、灰が舞うのに気づくかもしれない。

ジョンFの中の燃上がる焔は、それほど激しく、静かなのだ。

障を起こす『それ』は、またたく間に、ジョンFの灰になっていった。

何もかも終わって立ち去った後、空からは雪が、落ちだした。

家に帰り、戸を開けると、タキシードのドンが尾を絡めながら、足元をすり抜け先になって入っていった。

暖炉の前に来ると、ドンはフワリとソファの上に乗った。

「間に合ったな。」

猫がニヤリと笑う。

「あれは、あのホテルへの障でしたから、これで、あの子も安心して、暮らせるはずです。」

フワリと浮いたドンは、見えない階段を上がるように、ジョンFの肩の上を歩いている。

「そんな姿をエアに、見せてはいけませんよ。」

左は白、右は黒の羽根を、音もなく羽ばたかせて、興奮している猫に、注意をした。

「彼女の側に居たいから、大丈夫。

お互い、ルールは守ろう。

で、エアの願いは叶うのかな。」

ジョンFは頷いた。

「あれは、灰になりました。

多分明日には、わかるはずです。」

「手数をかけさせた。

では、帰るとするか。

ありがとう、守護しゅごの使いの者よ。」

ドンは、窓を開けてホテルへと、帰っていた。

ジョンFは、窓を閉め、カーテンを引いた。

翌日、泥で汚れていた街は、雪で白く白く輝いていた。

呼び鈴が鳴った。

玄関にはエアがいた。

真っ赤な頬には、えくぼが、輝いている。

「おはようございます。

そして、ごめんなさい、フリーマンさん。

お母さんが赤ちゃんを産んだの。

しばらく、朝ごはんはお婆ちゃんが作るんだけど、今日と明日はお泊まりのお客様もいないから、お休みしたいんの。

急でごめんなさい。」

エアがフードごと頭を下げた。

「おめでとうございます。

そのようにしてください。

お父さんにも、お婆ちゃんにも、エアにも、お母さんと赤ちゃんについていて欲しいですから。

赤ちゃんは元気ですか。」

エアが、真っ赤な頬で笑う。

「凄いの。

元気なの。

弟なのよ。」

もう一度、ペコリと頭を下げると、エアはホテルに帰っていった。

エアのつけた足跡を見送り、ジョンFは扉を閉めた。

部屋の中は、暖かい。

実際は、ジョンFの身体の中の方が熱い。

彼はさわりを燃やし、よこしまな障害を取り除いていく者なのだ。

よそ者のエアの母親も少し、住みやすくなるだろう。

何せ知らないうちに、守護から猫を授かっているのだから。

この街の事故も減るだろう。

明るい海辺の白い橋や、陽気なバースデイ会場にも、よどみが生まれ、さわりが、棲みつく。

浄化じょうかほのおをその身に宿す男は、始まった真冬の最中、人の知らない熱を帯びているだ。

歪みを正しながら、小さな種子をまもっていく。

やがてジョンFは、次の街に向かう。

耐えることのない焔をその身に宿し、陰に潜むものを灰にし、居るべき場所に返すのだ。

産まれ来る者たちの地ならしとして。

今は、ここまで。

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