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死霊王(アンデッドロード)は眠らない  作者: 谺響
どうしたの、お嬢ちゃん?
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幕間 ~揉んでやろう~

!帝都.郊外:訓練場


まだ日も登らない早朝、模擬剣が冷たい空気を裂く音と威勢のいい掛け声だけが訓練場に響いていた。こんな時間から訓練に勤しむような者はジーナ以外にいない。独りきりなら雑音もなく集中できるので、ジーナは早朝訓練が嫌いではなかった。

中に鉛を仕込んだ木製の剣は、振るう度に幻影を打ち払う。左腕に着けた鋼の円盾(ラウンド・シールド)も、随分と馴染んできたもので、初めの頃のように振り回される事はもうない。


「すまないが……」


「ひゃぁっ!?」


突然声をかけられたジーナは驚いて振り向いて、更にもう一度驚いた。驚いて小さく飛び上がってしまったが、そのまま尻もちをつかなかったのは、訓練のたまものだろう。

背後に立っていたのは人並み外れた体躯の持ち主だった。見上げる程の丈の、身に纏ったボロ布の隙間からは磨き抜かれた全身甲冑フル・プレート・アーマーが見え隠れしている。頭部をすっぽりと覆う円筒の大甲(グレート・ヘルム)のスリットの奥で瞳は怪しい光を放ち、こめかみから天を衝かんが如く聳える双角がまた厳めしい。背中に背負った大剣(クレイモア)は柄だけでジーナの腕くらいありそうだ。圧倒されるのも当然だった。


「すまない。驚かせるつもりはなかったのだが……随分と熱心に打ち込んでいたものだな」


男は風貌に似合わず柔らかい物腰で謝罪の言葉を口にした。だが、そんなことよりもジーナは自分の稽古姿が見も知らぬ他人に見られていたことと、それを褒められたことに取り乱していた。


「い、いえ、私なんか他の人の倍くらい修練を積まないと、足手まといになるだけですから……」


「筋は悪くないと思うがな。だが、女子が剣を取らねばならんほど、この辺りは人手が足りんのか?」


「いや~……私の場合は、ちょっと事情がありまして。ここいらは魔族も滅多に姿を現さないし、平和なものですよ。あ、でも軍はいつでも新兵を募集していますし、良かったら私から紹介しましょうか?」


「それには及ばない。兵に志願しに来たわけではないのでな。早いところ戻らないとまたロードに何を言われるやら……それで、ここはどの辺りになるのか、教えてもらえないかな?」


「えっ?!ここがどこかも知らずにやって来たんですか?」


男が頷くとジーナは驚いた。剣士が武者修行で各地を放浪するというのはよくある話だが、それにしたって地理が全く不明になるほどの放浪というのは聞いたこともない。ましてやここは――


「ここは帝国領でもその中心、帝都カンブリダです」


そう言ってジーナが指し示す先には、尖塔の影が朝霧の中に聳え立つ。


「なるほど。立派な塔が見えると思ったら、そんな所にまで飛ばされていたのか……」


「飛ばされ?」


「あぁ。少し悪ふざけが過ぎたのか、ロードに次元のはざま(プラナー・ヴォイド)に放り込まれてしまってな」


「それ、笑い事じゃありませんよ!?よく無事に帰って来れましたね……」


ジーナはあまり詳しくはないが、次元の(プラナー)~と言えば時空操作を行うちょっと危険な魔法系列だ。冒険者がアイテム収納に使ったりするが、間違ったって人を放り込んでいいものではない。一歩間違えたら二度と帰っては来られないと聞いている。

感心したらいいのか、それとも呆れたらいいのか分からないジーナを尻目に、男は甕に突き立てられた模擬剣を勝手に漁りだした。


「いつも一人で稽古をしているのか?」


「えっ?えぇ、まぁ……」


ジーナは何となく言葉を濁してしまう。

市壁の中で言えば、ジーナのことをありがたがる人は決して少なくはない。むしろ、多い。しかしことを軍の中に限れば、大半の兵士たちに疎まれていると思ってまず、間違いない。実力もないくせにお偉方には特別扱いされるものだから、特に一般兵からの受けはすこぶる悪い。ジーナ自身は特別扱いされても居心地が悪いだけだし、それが元で訓練の相手にも事欠くのだから、良いことなんて何一つない。

男は模擬剣を漁る手を止めると、ゆっくりジーナの方へと向き直った。


「しかし、一人では出来る鍛練にも限りがあろう。どれ、道を教えてもらった礼に、軽く揉んでやろうか?」


そこまでの動きは実に滑らかでかつ、ゆるやかなものだった。背負っていた大剣(クレイモア)の切っ先を目の前に突きつけられても、そのゆったりとした動作のおかげか、ジーナには恐怖も威圧感も全く感じられなかった。

ジーナが笑みを浮かべながらも丁重に断ろうとした、その時だった。それが、突然に爆ぜた。

弾かれるように大きく後方へと飛び退いたジーナは、思わず自分の眉間に手を当てて検める。一撃で脳天を射抜かれたかのような殺気をそこに感じたのだ。もちろん、血が噴き出しているようなこともなく、全くの無事だった。


「ふむ。思ったよりも反応はいいな」


殺気が感じられたのはほんの一瞬にも満たない間のことで、男の和やかな口調は、それが嘘だったと言わんばかりだ。実際、戯れか何かのつもりなのだろう。しかしジーナは、男が地面を踏みしめたのを見て構えを取った。

ジーナが大きく飛んであけた距離を男は一足飛びで詰める。そのまま、横薙ぎの一閃。驚きながらも咄嗟に後退ることでその一撃から逃れる。胸先でごうと音を立てて空を断つ剣撃に、肝を冷やす間もなく、剣が跳ねて帰って来る。それを目で追いかけながらもう一歩下がる。やや斬り上げ気味だった一撃は、振り払った直後に急上昇する。そして、急降下。ほぼ垂直に近い角度で振り下ろされる斬撃を前に、ジーナは直感的に感じ取っていた。

この一撃なら、受けられる、と。

円盾(ラウンド・シールド)を頭上に構えると、間髪入れずに重い衝撃が左腕を襲う。大剣(クレイモア)は耳障りな音と共に円盾(ラウンド・シールド)の表面を滑り落ちる。そこにあったのは明確な隙。ジーナは大きく踏み込んで斬り払うが、男が半歩退いたことでそれも届かない。

座学で学んだいろんな種類の武器の弱点のことや、男が放った台詞や、いや、何でこの人、こんな巨大な武器を易々と振り回せるの?ってことだとか、様々な事がジーナの頭の中を飛び交ったが、息を吐く間もなく、次が来る。

それを避け、或いは受けながらジーナは、その一撃一撃をしっかりと噛み締める。

彼は言っていた。「揉んでやろうか」と。そのまま有無も言わさず打ち合いに持ち込まれてしまったが、これは稽古なのだ。それも、ジーナがなかなかその機会に与れない、実戦形式の打ち合いだ。しかも攻撃を受けるほどに、それが如何に加減された丁寧な指導であるかが分かってくる。

一回の打ち込みから大体3撃以上の連繋(コンビネーション)に発展するのだが、技を出し切った後には必ずジーナから打ち返せるだけの隙がある。少しわざとらしいくらいだ。

本気で危険な攻撃には素人でもそれと分かるくらいの殺気が込められている。しかもそんな攻撃が占める割合は徐々に高まっている。

容赦のない攻撃が、ジーナを彼女の限界を踏み越えた世界へと誘う。その事への感謝は、ただただ心の中で唱えながら、ジーナは必死になってそれに追いすがる。

いつしかジーナが何とかして一本取りたいと願うようになっていたのは、高みに足を踏み入れた高揚から、というのもあるが、それを成し遂げることが、稽古をつけてくれている男への、せめてもの礼なのではないかと思うからだった。このまま特訓の成果を何も示せないまま、自分の体力が尽きてお開きというのではあまりにも淋しい。

だが、ジーナの剣は届かない。

そもそもリーチが違い過ぎた。男に隙があっても、間合いを詰めている間に攻撃の機会が潰えてしまう。大剣(クレイモア)のような武器が相手なら、懐に潜り込んでしまった方が安全だというのは、知ってはいても、易々と実践できるものではない。

突きを避けようとして足がもつれた辺りでジーナは、自分の体力の限界が近いことを感じる。すっかり息も上がっている。ここに到ってジーナは覚悟を決めた。

次の袈裟斬りに合わせて、ジーナは一歩踏み込んだ。剣は剣で受ける。堅い樫の刃が大剣(クレイモア)を受けきれずに砕ける。が、芯の鉛棒はひしゃげながらもそれを受け切った。男の攻撃を途中で割ることに成功した。

すかさず反撃に転じる。

両手の痺れを堪えながら、大きく踏み込んでの斬り払い。は、退いて躱される。

更に踏み込んで突き。は、左腕で防がれる。辛うじて繋がっていた木製の切っ先が籠手に当たって弾け飛んだ。

まだだ。もう一撃ーー


盾殴り(シールド・バッシュ)っ!!」


金属音が、朝靄の中を木霊する。

ジーナが放った技は、普通は相手の出端を挫く為のものだ。小盾(スモール・シールド)で守られた左腕で相手の小手先を払い、機先を制する。ジーナがその技に全身全霊を込めた結果、盾に身体を預けた体当たりとなって、男の胸元にすっぽりと収まっていた。

全力のタックルだったにも関わらず、男は微動だにしなかった。鈍く響いた金属音の余韻が、どことなく気まずい。


「上出来だな」


そう言われて、ジーナの身体からどっと力が抜ける。


「だが、重みがまるで足りんな。もう少し食って肉を付けておけ」


「それは……善処します……」


見下ろす視線が何処に刺さったかはさておき。


「うむ。……む?随分と長居してしまったようだな。そろそろお暇するとしようか」


男は一礼すると、剣を肩に担いだ。言われてみれば、空の一端は迫り来る朝日に白く染められている。

ジーナは深く頭を下げた。


「有り難う御座いました」


「此方も楽しかったぞ。人が覚悟を決める瞬間の輝きは、いつ見ても美しい。

だが、武芸の稽古なら誰かに、出来れば自分よりも達人に付き合ってもらえ。何事も向き合わなければ、得られるものなどないぞ」


「勉強になります」


ジーナは再び頭を下げた。

思えば。自分は今まで他人ときちんと向き合っていただろうか?自分を疎む兵士たちから逃げていたと言われたら、否定は難しい。

心の中で自問自答を繰り返すジーナに、男は満足げに一つ頷くと、その場を去った。


「……せめて、街道を行けばいいのに……」


ジーナがそんなことをぼんやりと呟いたのは、男の姿がすっかり森の中に消えた後のことだった。

朝露が陽の光を受けて静かに輝いていた。

ジーナ「今朝、凄い人に会ってしまいました。こーんな大きな大剣(クレイモア)を片手で振り回すんです!」


マルス「……それ、本当に人か?」


ジーナ「へっ?でも、稽古をつけて頂きましたし。いい人でしたよ?」


マルス「ならいいんだが」


ジーナ「でも、模擬剣を壊してしまったのでしばらくはおやつ抜きなんです……」

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