幕間 ~神の賜物~
!帝国:王城の尖塔
夕陽を背負って立てば当然、長く伸びた影を見ることになる。
マルスは尖塔のテラスの壁に背中を預け、眼下に広がる王城の影を眺めていた。山肌が藍色の衣を纏う頃合い、影は大きく両の腕を広げて城下町を包み込んでいる。そこにはいったいどれだけの数の人々がいて、どれだけの数の家庭があって、そしてそこでどれだけの物語が紡がれているか知れないが、そのほとんどが今日も平和な一日だったことだろう。幾ばくかの妬み、諍い、傷病……そういった翳りが全くなかったはずはないだろうが、それでも概ね平穏だったことだろう。夕餉の支度であろう、家々から立ち上る白く柔らかい煙がその証だ。ともすればマルスにはそれがすべての家々の真中におわすあの方の加護の賜物に思えるが、実際はこの街が高い城壁に囲まれているおかげだ。鉄壁の守りは魔物を寄せ付けず、例え魔王軍が大挙して押し寄せて来ようともびくともしないだろう。
そう、ここには安心があった。甲冑で身を固めれば斬撃に怖じることがなくなるのと同じだ。だが、安全と安心があっても外の脅威がなくなるわけではない。それがマルスにはもどかしかった。
そんなに長らく佇んでいたつもりもなかったが、もう空の半分以上が夜色に染まっていた。そろそろ行こうかと壁に立てかけた槍を手にした時、マルスは近付いてくる足音に気が付いた。
「こんな所にいたのかい。神殿にいないから探したよ、ギル」
小部屋の中から親しげに呼びかけてくる声の主のことが、マルスは嫌いだった。軽薄な声も顔も心根も、彼の何もかもが苦手で気に食わなくて嫌いだった。返事をする代わりに大々的に不機嫌を顔に張り出して睨み据えるが、相手はそれを気にもかけずに問いかけた。
「もう聞いたかい?双眸が帰ってきたって」
それはもちろん、マルスもとっくに知っていた。むしろ立場上、マルスの方が先にその報せを受けているはずだった。己の神経を逆撫でる台詞にマルスは奥歯を強く噛み締めたが、元より堪え切れるものではなかった。
「だったら何だと言うのだ、バーズ?」
「いや~?それを基に軍神マルス様はどんな戦略を打ち出すのかな~?って」
「俺の意見を片っ端から封殺しておいてよく言う。期待通りの結果だったのなら、俺が何を言ったところで、これからも予定通りやるだけなんだろう?」
「いやいや、まさか。上手くいったんなら、予定を繰り上げることだって有り得るんじゃないの?」
予定を繰り上げる――それはつまり、あの元踊り子の少女のような犠牲者が更に増えるということか。
「フェイトがあの子のアンデッド化を確認した。でも双眸は帰って来た。つまり、神の賜物は対象の人間がアンデッド化しても、それに巻き込まれない。だったら、神の賜物はどんどん送り出せばいい。違うかい?」
確かにバーズの言うことは戦略的に見て理に適っている。
敵は死霊王。強大な戦力を送り込んでも、失敗すればそれがそのまま向こうの戦力になるとあっては、魔王討伐の旗を上げるのはとても危険であり、慎重を要するのだ。数年前から各国を通じて暗黒大陸への冒険者たちの渡航を著しく制限しているのも、常勝不敗の軍神と謳われる自分に魔王討伐の勅命が下らないのも、全ては敵の厄介な特性を憂慮してのことだ。
その点、神の賜物を授かった人間であれば、人を凌駕した力で戦うことができ、尚且つ、負けた時の心配は必要ない。霊的な寄生体である神の賜物が対象のアンデッド化に巻き込まれないかが懸念材料であったが、それもないと今回の件で実証された形になる。
有用な手駒が量産出来るというのは、ゲームで言えば反則手として躊躇われるのかもしれないが、現実の戦争であれば使わない手はない。
だが、しかし。
「だが、神の賜物を憑けられる人間は?そんな風に気安く運命をねじ曲げられては、たまったものではなかろう!?」
「運命は変えられないから運命だ、ってフェイトもいつも言っているじゃないか。変わったと思うのは、曲がり角を直進だと錯覚してただけに過ぎない。なるべくして、なるようにしか、ならないんだよ」
突き付けられた槍の切っ先に怯えるでもなく、バーズは肩を竦める。
「ともかく。この機会に神の賜物の扱いについて、みんなでもう一度話し合うべきだろう、だってさ。主だった面々はもう、神殿に集まっているよ。実際、剛腕は未だに行方が掴めないし、双眸もこのまま再び放っていいものかは分からない。胸壁だっていつまでもここに置いておくわけにはいかないだろう?考えることは山ほどあるよ」
両手を広げて解説するバーズを押しのけてマルスは小部屋を出る。
話し合うもなにも、神の賜物を中止するという考えは端から微塵もない。いや、最初からこの流れは止めようがなかったのだ。この非人道的な計画に一番反対すると思われた庇護の女神が容認の態度を示した時点で、大勢は決していた。計画を快く思っていない者は少なからずいるが、声を大にして異を唱える者はもういない。
螺旋階段を下りきったところで遭遇した人影は軽装鎧を着込んでいた。サイズの合っていない兜が少し傾いている。志願新兵よりも若々しい声がマルスを呼んだ。
「やっぱりマルス様でしたか」
「ん?あぁ、胸壁の……」
「ジーナです。テラスに人影が見えたんで、ひょっとしたら……って思って来てみたんです」
「俺に何か用か?」
「特別用ってわけでもないんですけど……えっと、また、稽古をつけてもらえませんか?」
鄙びた山村の村娘に過ぎなかったジーナは、戦いの運命を受け入れてからまだ日が浅い。神の賜物も今一つ馴染んでいないようだが、さっきの話からすれば、その特性を見込んで早々に暗黒大陸に放り込まれてもおかしくはない。彼女を取り囲む現実は過酷で、当人にはその現実が見えていない。マルスから見れば、それは不憫でしかない。
「こんな時間からか?」
「えっ?いえいえ。また今度、マルス様がお手隙な時にでも……」
「俺は今からでも構わんが……今日は少し機嫌が悪い。手荒くなるぞ?」
「はいっ!よろしくお願いします!」
「というわけだ、バーズ。俺は帝都の防衛戦力強化に一肌脱いでくる。だからそっちはそっちで、好きにやってくれ」
事の成り行きにバーズも苦笑した。居心地が悪いに決まっている会議をさぼるために、マルスはその口実を上手いこと捻り出してきた。マルスに帝都の守護が命じられているのは事実だが、あからさまなサボタージュだ。それでいて悪びれる素振りも全くない。
「オーケー。僕も歓楽の神として、ギルの選択は尊重するよ。ジーナちゃんも頑張ってね!」
グッと親指を立て、ほくそ笑んでバーズは二人を見送った。
ジーナの頑張りがどこまで通用するか知らないが、何にしてもまた一つ、マルスをからかうネタを手に入れたことは、バーズにとってはこの上ない収穫だった。




