魔王様……ひょっとして、私のこと…………
その夜。
サーシャも豹の伝令官も寝入ってしまったようで、時折焚き木の爆ぜる音だけが森の中に響いていた。俺はと言えば、不寝番だ。……普通はこーゆーのって、下っ端がやるもんだろうが……細かい事は言うまい。
サーシャの働きにより、任務は無事完了。あの様子なら今後イルヴァーニャ霊廟――ニンゲンの言うところの、名も無き邪神の祭殿に生贄の女児が捧げられることはもうないだろう。誰かがアイナのような目に合うことはもうない。――――誰かが、サーシャのような運命を辿ることも。
「名も無き邪神…………」
ぽつりと呟かれた声に目を向ければ、サーシャがゆっくりと身を起している。
「実在したんですね……魔王として」
「……まぁ、そういうこった」
「びっくりしましたよ。昔の魔王様のお墓だって聞かされて、行ってみればあの邪神の祭殿なんですから」
はははっと、いつになくサーシャが力なく笑う。
ポイント・オブ・ノー・リターン。サーシャにとってあの遺跡は自分の運命の分岐点となった場所だ。多少の年月が経とうとも忘れられるはずもなく、すぐに思い出したようだった。そして自分たち人族が誤解していることを理解した。
「少し疑問に思ってはいたんですよねー。神様が人身御供を要求するのか――?って。魔王城に連れて行かれた時にも、あれ?何か違うぞ?とは思ったんですけど。結局は同じことだし、細かいことはいいかー、って」
「細かいことか、それ?村を助けてくれるのは誰かって……」
「同じことですよ。要は村が助かるかどうかが肝心だったんですから」
両手で毛布をならして座り直すサーシャ。膝を抱えて見上げるその様はいつもの調子を取り戻しているようだったが、それでいてどこか取り繕っているようにも見えた。
「しっかし…………よくもまぁ、そんなよく分からないものを信仰できるよなぁ~……」
「全くです。信仰……してたわけではないと思いますけれど、それにしたって、縋っていたのにはかわりありませんからねぇ……」
魔王イルヴァーニャの伝説はどこかで歪んで人族の間に伝わり続けていた。今ではその名は忘れ去られ、魔族ではなく神の一員として伝わっている。神と言っても、闇にその身を置く邪なるもの、即ち邪神という異端な存在としてだが。それでも2代目魔王を葬った並々ならぬ力の持ち主としてその存在を認知されている。か弱いニンゲンがそれを頼ってしまうのは無理もない話だ。当代の魔王に抗うべく、古の魔王に生贄を捧げるとは、なんとも滑稽な話ではあるが。そうして生贄に捧げられたのがアイナであり、また、サーシャなのだ。
そしてそもそもいくら生贄を捧げようとも彼らを魔王の脅威から守ってくれるものなど、あの遺跡にはいない。邪なる神はもとより存在しないし、古の魔王も生贄で蘇ったりなどしない。だからなおのこと滑稽な話であり、正しく救いようのない話であり、無意味な話なのだ。余計な問題に魔王が頭を抱えてmid削られてるんだから、あながち無意味とは言えないのか?
一つ大きく焚き木が爆ぜて崩れる。その音が暗い森に吸い込まれて消えたのちに、再びサーシャが呟いた。膝に埋めた顔からこぼれた呟きは、とても彼女の声とは思えないほど暗く、沈んでいた。
「魔王様……ひょっとして、私のこと…………試しました?機会があれば……切っ掛けを与えれば、村に帰るんじゃないか、って」
「そんなつもりは毛頭ないが……そう取ってもらっても構わんよ。実際、機会を与えたし、俺は…………見守っていただけだからな。お前がどっちを選ぶかを」
「馬鹿にしないで下さい!」
毛布を跳ね除けてサーシャが叫ぶ。俺を睨みつける目には涙が浮かんでいた。
「私だってちゃんと考えて、選んでいます。最初っから!欲しければ欲しいっていうし、したいことがあったらします。今だって……!」
涙に咽んでサーシャの声が詰まる。俯けばボタボタと涙が零れて地面を濡らした。寄って行ってその肩に触れようとした手は払いのけられた。
「今だって、トランの村じゃなくってジストピアに帰りたいから!私が帰りたいから、私の帰りたいところへ帰るんです!馬鹿にしないで下さい!」
小さな拳が振りかざしたまま小さく震え、やがて一つ、小さく重くこの胸を打つ。
「そうだな。さっさと帰ろうな」
なだめようにもどうにも言葉が見付からず、そんな言葉しかかけることができなかった。が、それも口にしてしまってからしまった、と心の中で舌を打つ。その考え足らずの言葉が、サーシャの心の堰を切ってしまう。溢れだした号哭の中、激しく後悔する。これだから、骸骨は。足りてないのは言葉でもなく、舌でもない。ミソだ。
豹の伝令官.。o0(出て行ける雰囲気じゃない……)




