ロード、何かお悩みですか?
豹のお守りの効果は絶大だった。2人にはバレないように前後左右各方向の少し距離を取ったところに骸骨の斥候を配備していたのだが、それらを含めても完璧に遭遇戦0だった。城を出て7日、明日には目的の地に着くだろうというところまで来ているが、これだけ順調に来ると逆に不安が募ってくる。マズいフラグが立っている気がしてならない。もしそんなものが立ってるとしたら、立てたのは間違いなく自分なんだが。
頭上には月が昇っていた。ここ暗黒大陸には日は昇らないが、月は昇る。日が暮れたわけではないが月は昇ったので、ここで今日の所は一区切り。ということで森の中でもやや開けた場所で野営を張った。
サーシャはもう、毛布にくるまってすやすやと寝息を立てている。ちらっと覗いてみたが、可愛いものだった。あんな可愛い顔をしていながら、この歩き詰めの旅路に音を上げる気配すら感じさせない。大したものだ。
薄靄の向こう、おぼろに霞む月を見上げていると豹の伝令官が声をかけてきた。
「私が見張ってますから、ロードも休んで下さい」
「馬鹿か、お前?死霊は休息なんて取らないんだよ」
「……その割には公務は頻繁に休みますけどね……」
未だにツッコミが厳しい。というか、むしろそういう方向にキャラが変わってきているような気もする。
「ひょっとして何か、悩んでます?」
「はぁ?」
突然の指摘に面食らう。
「なんかこう……眉間にしわが寄ってますよ」
「骸骨の眉間にどうやったらしわが寄るんだよ……」
焚火に目を落として首を振る。
「別に。ちょっとまぁ……億劫ではあるな」
「もし私が着いてきたのがまずかったのなら……」
「そういう話じゃねぇよ」
豹の伝令官の言葉を断ち切る。断ち切られた方も断ち切ってしまった方も押し黙る。しばらくの間焚火が燃える音だけがあたりに響いたが、やがて豹の伝令官が口を開く。
「その、イルヴァーニャ霊廟にいったい何があるというんです?」
「何にもなければ良かったんだけどなぁ~……」
空を、おぼろな月を見上げてぼやく。そううまい話があるはずもなく、霊廟の監視員からは既に異変アリの報せが入っており、応急処置に当たらせている。あまりぼやぼやしている暇はない。既にこの件は、スルーすることが許されない段階なのだ。
この旅の目的地であるイルヴァーニャ霊廟――それは第3代魔王、イルヴァーニャの霊を祀る墓所だ。
一桁台の魔王についてはその多くが謎に包まれている中、イルヴァーニャだけは関連する遺跡や記録も数多く残されていて、広く認知されている。それだけ多くの災いをもたらし、それだけ多くの者に恐れられた存在なのだ。獣族でありながら高等な魔術を使いこなし、瘴毒を吐き散らして生あるものを寄せ付けず、気に食わないものは先代魔王でも喰い殺し、生贄を捧げなければその怒りを鎮めることはできない。
そんな暴虐の権化として畏怖されるイルヴァーニャの墓所だ。並の魔族では恐れ多くて近寄る者など、全くと言っていいほどいない。ニンゲンの勇者に討ち取られ、万年単位の年月を経ても今なお恐れられている魔王の眠る地。目的地を聞いた時の豹の伝令官のビビり様と言ったらなかった。
「俺だって出来るなら引き返したいけれど、それじゃ禍根を残すからな」
溜息が漏れる。俺、息なんてしていないのに。
そう、既に引き返せないと知っていながら、本心ではそれはなかったことにしてガン無視決め込みたいのだ。それができないから、未だにうじうじと考え込んでしまう。つまり、豹の伝令官の言う通り、俺は柄にもなく思い悩んでいたのだ。
「ここに至ってまだ、何かもっといい方法があったんじゃないかって、ついつい考えちまう」
「らしくないですね。考えたらいいじゃないですか?そういうのこそ、ロードの真骨頂だったんじゃないんですか?」
えらくあっけらかんと豹の伝令官が言ってくれるが。確かにそうなんだが。この件ばかりは俺の力ではもう、いかんともしがたいのだ。
「お前、双六はやるか?」
「いえ、私は博打はあんまり……」
「1なんか出してたら他の奴との差が開く。できれば5を出してもう1回振りたい。でも6は一回休みだからそれだけは絶対に出したくない。いろんな思惑を胸に賽を振るわけだが…………どの目が出ても、きっと納得できないってなったら、どうする?」
訊かれて答えに窮する豹の伝令官。この胸中を(アバラの内はすっかすかだ)少しでも理解できたのか、あるいは博打などしないという彼には例えすら理解が追い付かないのかもしれない。
唸った末の彼の回答は案の定と言えば案の定、さして面白いものでも画期的なものでもなかった。
「それは……諦めるしかないですね」
「諦める、か」
「その一投で勝敗が決してしまうのでなければ、そういうのもアリなんじゃないんですか?それでまた次の手番に良い目を狙う。そうやって一喜一憂するのが博打なんじゃないんですか?私はあんまりやりませんから、よくわかりませんが。大体、いつものロードだったら自分だけ全面6の賽を持ち出して来たり、都合よく盤面を書き換えたり、終いには振らないとか言い出して結局自分の思いのままにしちゃうんじゃないですか?本当、どうしたんです?」
心配そうに豹の伝令官が顔色を窺う。どれだけ窺われても、骸骨に変わりはないんだがな。
考え得る結末の、そのどれもが自分を満たしてはくれない。結末を見たくないからこそ、気が引けて億劫になる。しかし、そうも言ってはいられない。
「もうな、賽は振られちまってるんだ」
傍らで眠るサーシャを見やる。相変わらず規則正しい寝息を立てて安らかに眠っている彼女は知らない。
自分がとてつもない運命の岐路に立たされていることを。




