悪い偶然
ここから彼の身に何が起こったのか、少しずつ判明していきます。
「なるほどね・・・
なんとなく状況が見えてきた」
俺の話を一通り聞いた彼女がつぶやいた。
「その後俺がどんなことになったのか聞きたければ教えるけど・・・」
そう言ったものの、言葉に出すのはつらいものがあった。
思い出すだけでちょっと吐き気がする。
五万円が見つかった次の日、俺は上司から事実確認を受け、その翌日には懲戒免職という処分が決まった。
ただ会社をくびになるより厳しい。
再就職の可能性もないに等しくなるだろう。
さすがに懲戒免職が決まった日は何もできなかった。
ただ部屋でじっとしていた。
友達にだって簡単に相談できる話じゃないし、親には口が裂けても言えない。
そしてその日は気付いたら眠りに落ちていた。
いろんなことが重なって精神的に疲れていたんだと思う。
だけど、次の日目が覚めて、自分は今日を入れて後四日足らずでここを出て行かなければならないという事実を思い出した。
その原因のことを考えると、家にいること自体がいたたまれなくて、部屋を飛び出した。
そして今俺はここにいる。
「いや、そこを話すのはどんなにあんたが前向きとはいえ、しんどいだろ?
とりあえずいろんなことが重なって追い込まれて、ふらっと家を飛び出したらここにたどり着いた。
それで間違いないか?」
「まぁざっくり言えばその通りかな」
それまで自分で作ったお菓子をパクパク食べていた女の子が食べるのをやめて真剣な面持ちで言った。
「ごシュジンさま、コレはけっこうヒドイぱたーんデスね」
「そうだな。
というかほんとに性質の悪いヤツに捕まったんだろう。
こればっかりは運が悪かったとしかいいようがない」
彼女は真っ直ぐ俺を見て話を続けた。
「これからあたしが話すことはあくまで仮定の話だが、おおよそ間違いないだろう。
ここからはあたし達の世界の話が少しずつ入ってくる。
あたしにとっては当たり前のことだから、さらっと話すかもしれないけど、あんたにとっては意味不明なことも多々あると思う。
なるべく自分から説明するように努力はするが、そんときはちゃんと質問しろよ?
その都度必要な分だけ説明する。
全部話してたら頭がもたなくなるからな」
「・・・わかった。
でもその前にトイレ借りてもいい?」
かなり真面目な顔して言ったら、二人はまた顔を見合わせて笑った。
「ワタシ、おきゃくサマのそうイウところ、とってもスキですヨ!」
「さて、トイレで心の準備を済ませたところで、話を始めるとするか」
どうやら俺のトイレの本当の理由が彼女にはばれてしまっていたようだ。
ここまで読まれてしまうとちょっとくやしい気もしてくる。
「お前はリストから該当者がいるか確認してきてくれ」
「リョウカイしまシタ!」
そう言って女の子は最初に飛び出してきた扉の奥へと消えた。
「まず、今のあんたはいずれ手配書に載っちまうようなヤツに目をつけられ、からまれている状態だ。
いつ、そいつと出会ってしまったか、あんたには思い当たることがあるだろ?」
「・・・公園の・・・中?」
「その通り。
あんたが不快に感じた風。
それがあんたとヤツの最初の接触だ」
そうなってくると早速一つ疑問が出てくる。
「そっちの世界の人って見えないのが普通なの?
君が特別ってこと?」
「いや、あたしのように人と同じ姿をしていればあんたの世界の人間も見ることができる。
あんたとあたしの違いは筆法陣が書けるかどうかだけだ。
だけどちょっとでも違うもんが生えてたりすると見えなくなる」
「違うもん?」
「例えば、人の姿はしてるけど耳とかしっぽが生えてる、とか。
狼人間とかドラキュラみたいのを想像してもらえればわかりやすいと思う。
あと根本的に人の姿じゃないヤツはあんたの世界の人間は普通見ることはできない。
動物の姿をしてるけどしゃべれる、とかの場合ね。
まぁ、あんたの想像している以上の人種や生き物がうじゃうじゃしてる世界だと思ってくれ」
たった一つの質問でこんなに意味不明度が高い話になるとは思わなくて俺は苦笑いした。
「ま、今あの子が探しているリストの中に該当者がいれば見せてやれるから、どんな姿かは一回頭の隅に置いておけ」
「うん、そうする」
「たぶんヤツは、筆術師が解除し忘れた開世の扉を使ってあんたの世界に来たんだろう。
筆術師ってのはあたしみたいに筆法陣を扱える人のこと。
あと開世の扉っつうのはあんたとあたしの世界をつなぐ扉のこと。
ここまではオッケー?」
「な、なんとか」
「で、その扉も筆法陣と同じようにこの万年筆で描くんだけど、解除しないと数分間その場所に残っちっまう。
そうするとそれを使ってあんたの世界に悪さをしに行くヤツがたまーにいるんだ。
で、数分すると扉は勝手に消えちまう。
ヤツは元の世界には戻れなくなり、あんたの世界にとどまり続ける。
その結果、あんたはあんたの人生をめちゃくちゃにされるほどの迷惑を被ることになった」
ふとまた疑問が浮かんだ。
「扉が数分そこに残るって言うけど、結構危なっかしいんだね。
出入りするところとか見られちゃうじゃん」
「残念ながらそれはない。
普通、開世の扉を解除するまではその扉の使用者はあんたの世界の人間には見えない。
その扉の力自体があんたの世界に存在しないものだから、その力を行使している間は見えないってこと。
だから開世の扉自体も絶対に見られることはない。
筆法陣もね。
ただし例外がある」
「例外?」
「あたし達の世界の力に強く反応しちまう人間がたまにいるんだよ。
あんたの世界にだって幽霊を見ちゃうとか、引き寄せちゃうような人間いるだろ?
それと一緒で本人の意思とは無関係に見えちゃったりするわけ」
「じゃあ俺が見たトイレの奥の光は、普通は見えないものだったってこと?」
「その通り。
さすがにここまできたら、少しは物分かりがよくなってきたな。
たぶん開世の扉の力にあんたが引き寄せられたんだろう。
いつもだったら通るはずのない所を通るって感覚がその可能性を裏付けている。
そしてその扉を通ってきたヤツに目をつけられた」
「まさか俺にそんな能力があるとは・・・」
「しかもあんたはどうやらあたし達の世界の力が普通の人間よりも何倍も強い。
開世の扉に近づいたことで潜在的に眠ってた力が引き出されて強くなったのかもしれない」
俺は今まで平凡な人間だと思って生きてきた。
だから突然普通の人間にはない力があると言われても全然ピンとこなかった。
「あたし達の世界の力を持ってる人間自体は珍しいことじゃない。
普段は見えないけど、疲れたり弱ってたりすると見えやすくなったりするらしい。
ほら、妖精を見たって言う人いるだろ?
あれなんかはたぶんあたし達の世界の住人が見えてるんだ。
ちっさいおじさんとかこっちには普通にいるしな」
「あぁ、確かにその類は幽霊とは違うもんね」
「逆に、筆術師以外の住人はあんたの世界に来たとしても、その能力を発揮できない。
だから来ても大概があてもなくフラフラしてるだけか、見えるヤツのそばをウロウロして、そいつの反応を見て楽しむとか、そんないたずら程度のことしかできない。
自ら何か行動を起こすこと自体不可能なんだ」
「え?そしたら俺の今の状況の説明がつかなくなるよね?」
「残念ながらこれにも例外が存在する。
あたし達の世界の力を持つ者、しかもその力が強ければ強い者のそばにいると、それに作用されて筆術師以外の住人も能力が使えるようになる」
ここまで言われてなんとなく話の流れが見えてきた。
「つまり、俺のそばにいれば君の世界の住人もやりたい放題できる。
そういうこと?」
「ご名答」
彼女はちょっとかわいそうな眼差しで俺を見ていた。
「あんたが公園の中を通ったことが偶然だったんじゃなくて、あの公園に開世の扉が解除されずに残ってしまっていたことが偶然だった。
そしてそこからヤツが出てきた。
それも偶然だ。
悪い偶然が重なって、あんたは今の状況に陥っている」
「ってことは俺、なんも悪くないんじゃん・・・」
さすがにちょっとせつなくなってきた。
ようするに開世の扉を描き、解除するのを忘れた人がすべての元凶ということだ。
「そうだ。
あんたはなんも悪くない。
その扉を解除するのを忘れた筆術師は調べればすぐわかる。
扉の解除忘れは違反だし、そのせいであんたにとてつもない迷惑がかかっている。
通常の解除忘れの罪より、かなり重い罪になるだろうな。
解除忘れの犯人は後で必ず見つけて、処罰させるから安心しろ」
「調べてわかるものなの?」
「開世の扉は筆術師でもきちんと免許を取ったヤツしか使えない。
違う世界をつなぐんだ。
そんなに誰彼かまわず描けるもんじゃない。
一応上級の筆法陣だしな。
で、開世の扉を開くとあたし達の世界で記録に残る。
どういう仕組みかまで話すとまたややこしくなるから省くけど、そんなにしょっちゅう扉を開く場所が一緒になることはないから、だいたいの日付と場所さえわかれば、誰がその扉を描いたのかすぐわかる」
「免許っていうけど、こっちの運転免許みたいなもの?」
「あぁ、それが一番近いと思う。
免許取る為に講義受けるし、試験も受ける。
更新の時はまた試験受けなきゃなんないのがめんどくさいけどね。
ちなみに扉の解除忘れは運転免許でいう無免許運転くらいの罪になる。
だが特に問題が起きずに扉が消えてしまえば罰せられることはない。
残念ながら記録には扉を描いた記録は残っても、解除したかどうかの記録は残らないんだ。
無免許だってばれなきゃ罰せられないだろ?」
「確かに」
「だが、無免許の状態で事故でも起こしてみろ。
罪は当然重くなる。
今回のあんたのケースはまさにそれに当たる」
「なるほどねぇ」
「最近は開世の扉を描く筆術師の意識がゆるくなってて情けないよ。
違う世界同士をつなぐことがどれだけ危険なことか・・・
あたしが悪いわけじゃないけど、本当に申し訳ない」
そう言って頭をさげた彼女は本当に怒りと憤りを感じているようだった。
俺はそんな彼女を見て、さっきまで扉を解除し忘れた筆術師のことを憎いとまで思っていたけれど、少しだけ気分が晴れた。
自分以外の人間が自分よりも深く考え、親身になってくれていると思うと救われる気がするものだ。
こういうふうに向き合ってくれる人は好きだなぁなんて、頭をさげてくれている人に対して、ちょっとだけ不謹慎なことを考えたのは秘密にしておこうと思った。