婚約者が優先する病弱な幼馴染よりも虚弱体質になってしまった
一体、いつからこうなってしまったのだろうか。
私の目の前に、婚約者の従者が立っている。いつものように、彼は無表情で告げた。
「申し訳ありません。カーティス様は、ガブリエラ様が突然倒れられたので、急遽そちらへ……」
もういつから、こうして約束を断られたかは覚えていない。何度聞いたか分からないその言葉に、私は微笑んだ。
「……そうでしたか。それでは、仕方がありませんね」
嘘だ、本当はそんなこと思ってもいない。でも、本当の思いを口に出してしまってはならない。そんなことをすれば、「ガブリエラ様はお体が弱いのだから仕方がないだろう」と顔を顰められる。
私の婚約者であるカーティスには、生まれつき病弱な幼馴染がいた。
名前をガブリエラという。白い髪に青い目の、儚げな出立ちの少女だ。
彼女は、よく、私とカーティスが会う約束をしている時に限って、体調が悪くなり倒れた。そのことについて文句のような言葉を漏らしてしまったことがあるが、カーティスに烈火の如く怒られた。
『ふざけるな、ガブリエラは好きで病気でいる訳じゃないんだぞ!』
そう言われてしまえば、その通りだと頷かざるを得ない。そうして、私は波風を立てないように、自分の気持ちを胸の奥に押し込むようになった。
でも、もう疲れたのだ。
私は踵を返した。そのまま、従者の方を振り返ることなく自室まで歩く。
部屋に入ると、私はそのまま寝台の上に倒れ込んだ。堪えていた涙が、みるみるうちに溢れ出てくる。
枕に顔をうずめていると、開け放たれた扉のそばから、足音が聞こえてきた。
「アイリーン様」
涙でぐしょぐしょになった顔で、私は扉の方を振り返る。そこには、整った顔立ちをした青年が立っていた。
灰色の髪に、どこか冷たい雰囲気を感じさせる赤い目。服の上からでも、その体が引き締まっていることが分かる。
私は更に涙をこぼしながら、その青年の名前を呼ぶ。
「エ、エリオットー!!」
しゃくり上げながら泣いているせいで、上手く続きの言葉が出てこない。エリオットは、そんな私の様子を見て何が起こったのか察したようだった。
「またカーティスの野郎と今にも死にそうな幼馴染が何がしでかしやがったんですか」
エリオットは、私の護衛騎士だ。何がきっかけかは覚えていないが、いつからか彼は私の愚痴を聞いてくれるようになった。
私はエリオットの言葉にこくこくと頷いた。すると、彼は舌打ちをして溜息をつく。
「ちっとも懲りねえ奴らだな」
エリオットは貴族の血を引いてはいるが、何やら複雑な事情で一時期下町で暮らしていたと聞いたことがある。その影響で、彼はたまに口が悪い。
エリオットは部屋の中には踏み入らず、腕を組んだ。
「気にすることはないですよ、アイリーン様。あの幼馴染が倒れるのは毎回決まってカーティスがあなたと会う約束をしている日だ。どう考えても醜い嫉妬をして仮病を使っています」
「エリオット、そんなに大きな声で言ったら誰かに聞かれてしまうわ」
そうは言いながらも、その言葉を聞いて私は少しすっきりとした気持ちでいた。涙を拭って、私は微笑む。
「……いつも愚痴を聞いてくれてありがとう。あなたのおかげで、約束をすっぽかされても頑張れるわ」
そう言い終えるのと同時に、私はごほごほと咳き込んだ。口元を手で覆う。
「薬と、何か羽織るものを持ってきます」
エリオットは、そのまま廊下の向こう側へ急いでいった。風邪をひいてしまって、最近よく咳が出る。
カーティスに、俺がガブリエラに会った時に風邪をうつしたら大変だろう、と怒られるので、なるべく早く治したいのだけれど。
そう思いながら、私は掛け布団を手繰り寄せて、自分の肩にかけた。
◇
その翌週、この間の埋め合わせに、と、カーティスからの提案でお茶会が開かれた。
紅茶を一口飲み込んで、カップをソーサーに戻す。テーブルを挟んで、目の前の長椅子に座るカーティスに視線を移した。
「この間は、行けなくなったことを伝えるのが遅れて申し訳ない。予想以上にガブリエラが辛そうでな」
カーティスの黒髪がさらりと揺れて、青い瞳に申し訳なさそうな色が浮かぶ。その言葉に、私は微笑みを浮かべた。
「……いえ、気にしないでください」
その声色がどこか暗いことに、カーティスは気がついていないようだった。安心したように表情を緩めて、彼は紅茶を口元に運んだ。
膝の上に置いた手で、ぎゅっとスカートを握りしめる。その汗ばんだ手にも、私の顔色が少し悪いことにも、彼は気がついていない。
お茶会が始まる少し前から、何となく体調が悪かった。風邪が悪化してしまったのだろう、とその時は思っていたが、次第にただの風邪では済まされないほどしんどくなってきた。
これは流石にまずい。少し考えてから、体調が悪いことを伝えようと口を開こうとする。その瞬間、誰かが部屋の中に駆け込んできた。
「カーティス様。ガブリエラ様が……」
急いで入ってきたのは、カーティスの従者だった。カーティスはさっと顔色を変えて、長椅子から立ち上がる。
「すぐに行く」
私は呆然とカーティスを見上げた。だが、従者はその言葉に首を振る。
「い、いえ、そうではなく……」
「カーティス!」
弾かれたように、私はその声の方向を見た。
おぼつかない足取りで、一人の少女が侍女に支えられながら歩いてきた。
「もう大丈夫よ、自分で歩けるわ」
そう言って、少女は心配気な侍女を置いてカーティスの元へ歩み寄る。真っ白な髪がふわりと揺れる。そのまま、彼女はカーティスに抱きついた。
その光景の意味が分からず、私はめまいがしそうだった。
「ガブリエラ?どうしてここに……!」
その問いに、彼女はゆっくりと顔を上げた。長いまつ毛が涙で濡れている。
「今日、私が熱を出してそのまま死んでしまう夢を見たの。あなたにも会えないまま。それで、怖くなって……」
ガブリエラは、やっと気がついたように私に目を向けた。彼女は青ざめて、怯えてような表情になる。
「あ……ごめんなさい、私ったら、また邪魔を……!」
しゅんと項垂れたガブリエラの頭を、カーティスが撫でる。
「大丈夫だよ、きっとアイリーンは許してくれるさ」
「本当に?怒られない?」
カーティスは頷き、そうだよな、とでも言いたがな目で私を見つめた。いつものように、何とか笑みを浮かべて頷こうとして、あれ?と心の中で首を傾げた。
何故だろう、上手く笑えない。
何も言わない私に、カーティスが怪訝そうに眉をひそめた。
「アイリーン?」
何か言わなければ。そう思い唇を動かそうとしたけれど、ただ冷や汗が出てくるだけだった。
「……お前、まさかまた何か文句があるのか?」
きり、とお腹が痛む。どっと冷や汗が滲む。カーティスの怒りに満ちた声が、ぐわんぐわんと頭の中で反響している。
「お前は何故ガブリエラの気持ちが理解出来ないんだ」
私は、ぐっとお腹を手で押さえた。
「いや、お前は生まれつき丈夫で、今まで全く病気で苦しい思いをしてこなかったから、ガブリエラの気持ちが分からないのか」
「…………」
俯いたまま何も言わない私に、カーティスは畳み掛けるように続ける。
「お前も一度病でつらい思いをすればいいんだ。そうすれば、健康さだけが取り柄で人を思いやる気持ちがないお前でも、彼女の気持ちが……!」
私は口元を手で覆って、ごほ、と咳き込んだ。その瞬間、指の間通って、何かがぼたりと床に落ちた。
「……え?」
皆が、呆然と私を見つめている。私も目を見開いて、ゆっくりと手の平を見る。
そこには、赤黒い血がべったりとついていた。目眩がして、その場にふらりとへたり込む。足に力が入らない。
カーティスは、ただ目を見開いて青ざめながら突っ立っていた。
「こ、これは、どういう……」
血の気が引いていくような感覚がする。座り込んで、何も言えずに肩で息をした。その瞬間、誰かが不意に私の体を抱き上げた。
「え」
軽々と持ち上げられて、私は困惑しながらその人物を見る。
「……エリオット……」
「何も喋らなくて大丈夫です、すぐに医者を呼びます」
安心して、急に体の力が抜ける。温かい体温を感じながら、私はそのまま意識を手放した。
◇
誰かの声で、私は目が覚めた。
ゆっくりと瞼を上げる。どうやら、自室の寝台に寝かされているらしい。ぼんやりとした意識のまま、私は声が聞こえる方向に顔を向ける。
「ですから、アイリーン様は今体調が優れず眠っているんです。あなたに出来ることは何もありませんので、お帰りになってください」
少し開けられた扉の向こう側に、そう話すエリオットの姿が見えた。私は体を起こす。窓からは、橙色の夕暮れの光が差している。
「一つ、聞かせて欲しいんだ」
エリオットの背中の向こう側から、誰かの声が聞こえる。
「アイリーンはまさか、ずっとあんな病気を抱えていたのか……?」
「……エリオット?」
驚いたように、エリオットは瞬時に私を振り返る。少し遅れて、エリオットの奥にいた人物が顔を出した。
「アイリーン!」
目を見開いたカーティスが、エリオットを押し退けてこちらにこようとする。それを、エリオットが押し戻した。
「帰ってくださいと何度も言っているでしょう」
エリオットが鋭くカーティスを睨め付ける。カーティスは眉を寄せて、エリオットに詰め寄った。
「俺は彼女の婚約者なんだぞ!少し話をさせろ!」
カーティスの大きな声で頭が痛い。眉を寄せて、私は頭に手を当てた。
どうして彼はこうも私に嫌な思いをさせるんだろう。
段々とむかむかしてきて、私は耳を塞ぎながら口を開いた。
「……うるさい」
「え?」
「うるさいから、静かにしてよカーティス!」
嬉しそうに顔を出したカーティスが、虚をつかれたように目を点にした。
大きな声を出したせいで、ごほごほと咳が出る。はっとしたエリオットが、カーティスを扉の外に締め出して私の方に駆け寄ってきた。
「アイリーン様、もう喋らなくて結構です。寝ていてください」
「あのむかつく人に何か言ってやらないと気が済まないわ……!」
「俺がたっぷり今までの恨みつらみを伝えますから」
扉をばんばんと叩く音がする。エリオットはもう一度私を寝台の上に寝かせて、胸まで掛け布団をかけた。
エリオットが私に背を向ける。起き上がろうとして、頭に痛みが走った。
エリオットが勢いよく扉を開く。目を丸くしているカーティス見える。
「カーティス様の最初の問いに答えましょう」
それは、底冷えするような声だった。
「貴方様の仰る通り、アイリーン様はずっと病気を隠されていました」
自然に嘘をつくエリオットに、何を言っているのかと叫ぶのをすんでの所でこらえた。
ただ風邪をひいていただけなのに、そんな言い方をすれば誤解される。そう思って、はっとエリオットの思惑に気がついた。
なるほど、わざとカーティスに誤解させて罪悪感を植え付けるのだ。
私は、感心しながらエリオットの背中を見つめた。できる護衛である。
「他でもない、貴方様のせいでなってしまった病気を、です」
「…………え?」
そんな声を漏らして、カーティスは瞠目した。同じように私もぽかんと口を開ける。私が血を吐いたのが、カーティスのせい?
「俺のせいとはどういう意味なんだ」
「アイリーン様は、ストレスのせいで体の免疫力が落ちている状態です。同じ原因で、体内に傷が出来てしまい、そのせいで出血が起きました」
「…………!」
夕暮れの部屋に、少しの沈黙が落ちる。やがて、震える声でカーティスが問うた。
「つまり、彼女のストレスは俺だと……?」
「ええ、その通りです」
目に見えてカーティスが狼狽える。無言でその様子を見ていたエリオットは、一歩踏み出して地を這うような低い声で怒りを露わにした。
「アイリーン様を弱らせたのはお前なのに、よくもまぁ病人の気持ちが分からないだの、病気になればいいだの言えたな」
カーティスは何か言いかけて、口を閉じる。彼の目が泳ぎ、不意に私と目が合った。
「……アイリーン……」
ふらふらとカーティスが部屋の中に入ろうとする。当然、エリオットがそれを止めた。
カーティスが、縋るように私を見つめている。私は体を起こして、ふわりと微笑んだ。
「……カーティス」
彼の顔が少し明るくなる。期待するような目を向けるカーティスに、私は胸の前で手を合わせながら言った。
「私は本当に貴方のことが嫌いでした」
「は?」
私は怒りに満ち溢れた笑顔を浮かべながら、ぽかんとしているカーティスに続ける。
「貴方の顔を見るだけで不快なの。お願いだからその気持ち悪い面を私に見せないで。大切なガブリエラ様と所構わず仲良くしていればいいわ」
「ア、アイリーン?」
「そういえばこの間、ガブリエラ様が『顔色が悪くなるまじない』とやらがかかった薬を買っているのを見たけれど、それでもやっぱり彼女の方が心配だものね!彼女は、私と貴方が約束をしている時に毎回毎回倒れるほど病弱だもの!」
そこまで言って、私は少し咳をする。唖然としているカーティスに、冷たい目を向けた。
「貴方と会話していたら気持ち悪くなってきちゃった。そろそろ消えてください、さようなら」
エリオットに目配せをすると、彼はカーティスを引きずっていった。扉が閉まり、ようやく静けさが戻る。ごほごほと咳き込んで、私はまた掛け布団の中にもぐった。
しばらくして、部屋の扉をノックする音がした。
のそりと起き上がって、少し掠れた声で返事をする。扉を開けて、部屋の中にエリオットが入ってきた。
「少し換気しましょう」
エリオットが、寝台の奥にある窓を開ける。ありがとうと微笑んで、私は俯いた。
「……まさか、カーティスのせいで病気になってしまうだなんて……」
「ご安心を。アイリーン様には俺という優秀な護衛がいますから、何一つ不自由はさせません。あとあの野郎は俺が今夜奇襲します」
「奇襲はやめて」
エリオットが黙り込んだので、きっと本気で奇襲を仕掛けるつもりだったのだろう。悪びれもせず牢に入れられるエリオットを想像して、私はぶるりと身震いをした。
「寒いですか?」
「いいえ、ただちょっと嫌な想像をしただけ。絶対に奇襲はなしだからね」
そう念を押して、私はぱたんと寝台の上に寝転がった。
ぼんやりと天井を見つめながら、私はこれからのことについて考える。
「私の病気の原因がカーティスなら、きっと婚約破棄できるわよね……!……ただ問題は、次にいい人と婚約出来るのかってことだけど……」
エリオットが窓を閉じる音がする。窓の鍵をかけて、エリオットがさらりと言った。
「ああ、それは俺がいるので大丈夫です」
彼があまりにも自然にそう言ったので、私はそのまま聞き流しそうになってしまった。
「……え?」
「まさかアイリーン様は俺がいい人ではないと?」
「そんなことは思っていないわ、そうじゃなくて……!俺がいるってどういう……」
エリオットはその質問には答えず、覆いかぶせるように言った。
「すみません、アイリーン様。俺は旦那様の所に行かなくては」
「え?どうして……」
扉の前まで歩いていって、エリオットが振り返る。口の端を持ち上げて、意地悪な笑みを浮かべながら。
「アイリーン様の次の婚約者として俺を売り込まなくてはならないので」
安静にしていてくださいね、と言い残して、エリオットが出ていく。閉じられた扉を見つめながら、肩にかかった掛け布団がずり落ちた。
熱くなった頬に手を当てて、わなわなと震えながら私は叫ぶ。
「ェ、エリオット……!!」
私の叫びは、部屋にこだまして、廊下にまで響き渡る。
部屋を出て廊下を歩くエリオットが、その声に肩をすくめた。
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