5話 激闘
虫と同じ目だ。
こちらを見つめるテアマトの思考も、感情もない黒い瞳を見てバグは思った。
テアマトは大口を開けてこちらを捕食しようと、バネのような筋力を駆使して突進してくる。
が、幸いにも距離があったので回避は出来た。
バグはすぐさま魔術を発動する。
「『ファイアボール』」
狙うは目。
どんなに強力な魔物でも視界を塞げば行動は鈍る。
また、生物も魔物も共通して目を保護する能力を獲得していないため、効果的だろう。
そして案の定、テアマトの眼球に火の球が命中する。
「ぎゃあああああああああああああああああああああ!」
悲痛な叫びを上げて、テアマトは手で目を押さえながらのた打ち回る。
その様子は、まるで幼子が物をねだるかのような暴れっぷりだ。
「チャンスよ!」
少女が暴れるテアマトに肉薄して、顔面に剣を突き刺す。
と、同時に右腕にて少女の体は弾かれて宙を舞う。
あの高さは不味い。
バグは直感して、少女の落下地点を予測して駆ける。
意識を失っているらしく少女は、身動き一つ取らない。
間に合わなければ首から落ちる。
人間、本当に咄嗟の時には信じられないくらいの力を発揮するものだ。
何とか間一髪で落下地点に到着し、地面に落ちるスレスレのところで少女の体を両腕で受け止める。
少女を地面に優しく下ろして、テアマトの様子を確認する。
頭部に剣が突き刺さっているが、まだ生きていた。
恐るべき生命力だ。
それどころか、剣を引き抜いて傷部分からさらに一本の腕が伸びて、それが角のような形状になる。
もはや戦うことに特化した、ある種の自然兵器というべきだろう。
今、少女は気を失っている。
ならば都合が良い。
スキル『虫操作』を使う所は彼女には見られたくないから。
テアマトの前に立ち塞がるようにして、発動する。
スキルは、魔力に依存しない人間だけが有する特別な力で、バグのスキルは戦闘で本領を発揮する。
もっとも気持ち悪がられるので、人前ではあまり使いたくはないが。
小雨の中、スキルによって集まったのは、数千匹のハエ。
それが渦を巻いて中空に留まっている。
一匹一匹は脅威ではないが、こうも大量に集まり、かつ怪我を負っている者にとっては恐怖の群衆だ。
もはやハエと言うより何か影のような存在はすぐさまテアマトに覆いかぶさる。
テアマトはそれらを必死に振り払おうとするも、影に腕が当たる瞬間に、それは散る。
バグはハエにある命令を下していた。
それは、体内に侵入すること。
そして、ハエは自身の命よりも命令を全うする。
ハエが侵入口に選んだのは、傷口や大きな口など様々で。
内部に侵入したハエを放出する術を持たないテアマトは声を上げ、またもやその場で暴れる。
痒みと痛みが同時に襲う。
テアマトの頭の中にバグはないだろう。
考えていることは、いかにこの苦痛から脱するか。
そんなこと思考に囚われている中で、攻撃への防御など取る余裕なんてない。
「『ハイクラス・ファイア』」
先ほどの火炎よりも、さらに大きな火がハエごとテアマトを焼く。
バグは攻撃の手を止めない。
続けざまに魔術を繰り出して、確実にテアマトの息の根を止めようとする。
しかし、皮膚が肉が焼けただれても尚、もはや呪いとしか思えない闘争心がテアマトの体を突き動かす。
闘うこと、生きること、ただそれだけに囚われた脳が導き出した攻撃策は、何のひねりもない、ひどく単純な突進だった。
それでも速かった。
即座に回避が間に合わないと脳が理解するには充分な速度だった。
刹那の時間、走馬灯すら見た。
だが、テアマトの突進は届かなかった。
バグが避けたからではない。防御したわけでもない。
ほんのちょっとの生存欲が、バグを救った。
スキルによって、地面から出現した巨大なアリジゴク型の魔物が、燃え盛るテアマトの首を、その凶悪で巨大な顎で切断したのだ。
バグは周りには、虫を操作するとだけ言っているが、これは厳密には嘘になる。
虫型で生きているのなら、魔物でも操作できる。
大体、普通の生物と魔物に大きな違いはないのだ。
しかし、多くの人間は魔物と相対する機会が少ないため、教育や伝承で魔物は恐ろしく、人類の手で操作することなどまず不可能という思想が根強いのだ。
バグも幼少期は当たり前のように、魔物は操作できないものと考えていた。
いや、そもそも魔物が操作可能か、不可能なのかなど考えもしなかった。
気付いたのは、2年前の戦争に参加していた時である。
こんなこと誰にも言えるはずがない、と当時のバグは直感した。
500年前に魔物による大規模な侵攻があってから、今日に至るまで魔物は絶対的な悪とする風潮が強い。
スキルの効果範囲に魔物も含まれる、なんて周囲に知られたらどんな目に遭うか分からない。
さけられるとか、いじめられるとかの次元ではなく、危険人物として国から追放されるとか、最悪の場合そのまま処刑されるかもしれない。
だから、これまでの人生で誰にも話したことはなかった。
アレクにも、カンナにも。
首が飛んだテアマトは音を立てて倒れる。断面からはドクドクと血が流れる。
火の中でピクリとも動かないことから確実に死んだだろう。
虫と違って首がなくなれば大抵の存在は死に至る。魔物も例外ではない。
いや、頭部に剣が突き刺さって生きていたのが異常なのだ。
命令を果たしたアリジゴク型の魔物は地中に潜る。
「はぁ」
バグはやっと呼吸が出来た気がした。
ドッと疲れが押し寄せて、体をくの字に曲げて、両膝に両手を突く。
達成感なんてない。
あるのは疲労感と未だ消えない恐怖感。
指先を見れば、その全てがまだ震えていた。
数回大きく深呼吸して、背筋を伸ばす。
空を見ると、いつの間にか雨が上がっていた。