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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

想うだけでは足りぬほど


 「だからね、だから、ごめん。うまくまとまんないや」

 「 別れたいって事ですよね?」

 一呼吸置いて、先輩のもつれる口を遮らず出しゃばりすぎず最適解を示す。後輩の彼女はそんな事を常に先輩と付き合い出した時から心がけていた。たまに起きる先輩のテンパり具合を知っているからだ。普段は笑顔が絶えなくて饒舌で声量が大きくて、誰からも注目され好かれる女性なのに、今のように言葉がもつれる時は無理矢理笑う唇が震えるときがある。私が支えなきゃ、私が先輩をそんな時に答えを示さないと。そんな矜持が先輩との恋が終わる間際でも等しく発揮されて、私は苦笑した。この身に染みた癖のせいで、私の中でまだ先輩との関係を続けられるような淡い期待する私がいたけど、それはあり得ない事は私が一番分かっている。だけど私は私を叩きもしないし、心の底に押し込みもしない。先輩のお腹の中には10代前半の頃から付き合っていた男性の子供がいる。異性愛に同性愛が負けたというんじゃないの、と先輩はもう一度笑おうとした口で言った。生まれつき整ったパーツに顔だけは太らない小顔の顔は、美しい。つけまつげも無いのに長い睫からきらきらと輝く大きな瞳から、涙がぼろぼろと溢れていた。それでも笑おうとしている。先輩の癖だと後輩の私は知っていた。いつだって彼女は笑う、激昂したり泣く顔は殆ど思い出せない程に。いつから彼女を好きだったのだろうと、私はぼんやりと思い出し始める。


 「いつから付き合ってたんでしたっけ」

 「ちゅうがく。13の時に告白された」

 「あの事件の時も付き合ってたんですか?」


 先輩は頷いた。後輩も過去の事を思い出していたので、目の前の先輩が笑いを保ちきれなくて髪をしきりに掻き上げながら横を向いて涙を堪え始めたのに、慰めの言葉を言うよりも先にタイムトラベルへ。高校時代のある事件について五感と共に振り返り始める。

夏服に変わるタイミングだったあの日は、月は覚えているが日は忘れた。ただいつものように部活が終わって、部活が違う先輩と帰る約束をしていた。その時の二人の関係は、中学がたまたま同じで、帰り道が同じ。顔を知っていた人なつっこく話しやすい先輩と真面目な後輩というだけだった。部の誰よりも早く着替え、先輩よりも早く待ち合わせのベンチへと大荷物を抱えて一目散に駆ける。アドレナリンで体が火照るなか、後輩は息切れしながら周囲を見渡してまだ先輩がいないことを確認した。大きく深呼吸したまま、どっと疲れが出たのでひとまずベンチに座る。運動場が見える位置にあるベンチは、部活の時間中は特定の運動部の監督やマネージャーの縄張りになるのだが、今は一段落して校舎に灯りがついているので自由に座っていい。だがどうしても縄張り意識が強い学生もいるから、明日何か言われるかもと思いながら唐突に訪れた眠気に、後輩はベンチにそのまま横たわる。子供特有の眠気だ。おまけに身体的な疲労は一年だから当然基礎体力として身に付けさせられる。だから眠くなるのは何の不思議も無かった。

 だから後輩は瞼をいつ閉じたかも忘れ、すとんと闇の中に意識が落ちる。だが意識がなんとなくあって、耳は静かな学校の存在感だけがしんとあったのに、男子学生の何かはやし立てるような声が聞こえた気がした。それに次いで体の上の何かがある存在感がする。閉じているはずの視界が急に暗くなった。誰かが上に覆い被さっている、そう生理的反応が起きてようやく後輩は目を渋々と開けた。そこに、モテると噂される先輩B(BOYの略。以下呼称は先輩B)が上に覆い被さっていた。無防備な女子学生がスカートのままベンチで寝こけているのが悪いかもしれないと、社会に出た今の後輩なら分かるが、ここは学校である。ある程度の安全性は確保されているはずだ。それなのに、ベンチで眠っていた私は望んでもいないのに男に馬乗りにされている。イケメンで高身長、話が上手くて勉強も一位では無いけど上位圏内、部活の成績も残している所謂スクールカーストの上位だ。彼を好きな女の子なら、ここでときめきを隠さずに全てを受け入れるのだろうが、あいにくと私は先輩Bに大して興味は無かった。なので、肩を押さえつけられた時に相手の体重が食い込んで来て痛、と顔をひきつらせて言う事で拒絶を示したつもりだった。だが相手はどかない。視界が先輩Bでいっぱいになって、他が見えない。部活帰りの汗と皮脂の混じった男の匂いが濃厚に漂って来て、男と二人の小さな箱に閉じ込められたような恐怖に逃げ出したくて暴れると、後ろから囃し立てるような男達の笑い声。拒否られてんの、ウケるとこれまた女好きで有名な上級生の男の物だとは後々知った。

 とにかく、私は先輩Bの悪ふざけの薄っぺらい理性と分厚い年ごろの性欲とを隔てる一枚岩の上に立っていることが怖かった。ただただ怖くて、暴れてやめてくださいと叫んだ。それ以上に先輩Bは何もしてこなかったが、頼むから大人しくしてと肩に力を込めて動かさないようにしてくる。そのうち恐怖が絶頂に達して、金切り声を上げた所で鈍い固い物が衝突する音がしたと思うと、先輩Bが視界から唐突に消え失せて私の世界は元のように広くなった。先輩Bが頭を抑えてベンチ横にもんどり打ったまま悶えている。急に恐怖で縮んでいた肺が呼吸を初めて、全力疾走後のように息切れし始めた私の前には、先輩がいた。手に何かを持っていたが、それは今も思い出せない。ただ、間違いなく先輩はBから私を守るために、何か重いもので頭を殴りつけた。周りにいただろうBの仲間や上級生が息を呑んでいた。まだBは起き上がれないでいる。そこに先輩の怒号が校庭の端まで響き渡ったと思うと、私の手を引いて先輩はその場から駆け出す。私は救われた。失わなかったであろう処女を先輩がもしもの事態から救ってくれた。その後駆け足で二人で家路を急いで、分かれ道で先輩はようやく立ち止まって、そしてごめんねとだけ言ってくしゃっと笑った。

 私は何も言わなかった。混乱して、異性愛を嫌悪するべきなのか悩むほどの大きな出来事だったが、その時はとにかく逃げ出すのが精一杯だった。その後、先輩からあの日のことで話があるから屋上に呼び出された時に、先輩は一方的にひとしきりBの悪口を言った後、すっきりしたと言いながら愁いを帯びたような顔で屋上のフェンスから校舎を見下ろす。あの時と違い、昼休みに大勢の生徒がそこにいる。まぶしい夏が近付いていたあの日、先輩はきっとBが好きだったけれど玉砕したんだと私は思った。そして先輩はぽつりと、ねえ付き合おっか。とだけ言う。


 私が一呼吸置いたのを見て、先輩は嫌ならいいんだよと言ったが私は顔を真っ赤にしていた。自分でも分からなかったが、きっと頬が上気して喉が渇いて、嬉しいとはこういうことなんだと自分でもびっくりしていた。だからよろしくお願いします、と返すと先輩はくしゃっと笑う。いいの?と。それから私の処女は高校二年生の夏に先輩に捧げた。卒業してからも交流が続いて、先輩は四年制大学に、私は特にしたいことも無かったが興味のある美容系の専門学校へ。離れても私達は恋人同士だった。恋人として呼び出しを受け、こちらも呼び出して、夏は花火大会に冬はクリスマスは無理だというのでイブにデート、そのためのアルバイトを始めて先輩に背伸びしたデパコスのプレゼントをした。彼女の笑った顔は変わらずで、相変わらず歳を経るごとに美人でスタイルの良い先輩は、誰からも好かれてきっと私が見ていないところでも好かれている。もしかしたら他に何人か付き合いを並行されていると気付いたのは、付き合いだして二年目の高校二年、卒業する先輩に祝辞という名の元近付こうとした時、誰もいない校舎裏で先輩が他の男子生徒とキスしているのを見た。Bでもなかったので、Bを諦めて私と付き合ったのかと思ったが、見つめ合う二人の距離は親密で、きっと彼も本命だと思った。だが私も本命だと思ったので、それ以上私は傷付かなかった。待っていれば彼女は戻ってくると信じ、気付いてもそれもあると片付けて自分の心の平常を保つことにしたのだ。

 案の定、彼女は必ず自分の所に戻ってきて、あげく大学で出会った男に殴られたと腫れた頬で会ってくれたときは、その男を殺そうと思った。ナイフをかざして脅しに行こうとしたが、先輩に止められて未遂に終わる。だがその頃、専門学校の人間関係がうまく築けなくて日常的に孤立していたから、その鬱憤と先輩に依存するぐらいしか社会との繋がりがない気がしていた。昔から優等生を好んだ両親への反発で、明るいオレンジに近い髪色に先輩と会った当日に無理矢理に緑の髪に染めた。地は黒だったが赤髪にしていたのを、無理に染めたので下から染め直せていない髪色がちらちら覗いて、中途半端にパレットに色が混ざったモスグリーンになったが、次の日出会った先輩が驚いてくれたので安心した。

 先輩がオレンジだから、私は補色っぽいのにしました。もお、びっくりした。でも嬉しい、ありがと。

そんな会話に飛び上がるほど悦びを覚えて、手を繋いで、成人した先輩のお祝いでおしゃれな居酒屋チェーンでお酒と、私はソフトドリンクを頼んで喋り明かした。終電も無い時間になって、酔っ払ってぐるぐる動く先輩を連れて家に連れ帰ると、服を着替えたタイミングで腕を引かれ、潤んだ瞳で見つめられて口と口を重ねた。私は知っている。どんなタイミングで先輩が欲情するか、そのために好きな香水と香水を付けた腰を抱き寄せてくれるのを知っている。昼間のデートでは堂々と腕を組んで、軽いキスをして、夜になれば恋人としてふかく愛し合う。そんな関係だが、公言はしていなかった。ただ付き合っている人間がいるとだけ周囲は知っている。だから余分な恋愛市場に引っ張り出されることも無い。一度、学生で付き合っている時にたまたま部活の遠征が重なって、そこに有名なサーカスが公演をしていたので部活の先生を巻き込んでサーカスを見る機会があった。友達として当然のように二人で先輩と並んで座る。たまに視線を合わせてワケありげな目をしてみて、くすくす二人で楽しんでいたら、開幕前のブザーと共に暗転。その瞬間に先輩は私にキスをした。

 後ろの人に見えますよ。大丈夫よ、大人しそうな子だったから。

 後日そんな会話をしたが、直前で灯りの中でキスしようとする二人が見られていたのではと内心どきどきしていた。性的指向が同性愛ばかりだと思っていないし、中学までは好きな男子もいた。だが先輩があまりに魅力的で、美しくて、独り占めするなら他は捨てたって良かったのだ。それでも同学年の子に見られるのは恥ずかしいのと怖いのと混じっていて、でも誰にも噂が立てられなかったから安心したものだ。


 「私たちの関係ってさ、映画とかお芝居とかサーカスとか見る前にバツって暗くなるでしょ。そんな時にこっそりキスするような関係よね」

 そうだ、私たちの関係は、映画や感激が始まる前のほんの少しの暗転にキスをする、そんな関係だ。

 「先輩はそれが嫌になったんですか?」

 「いいえ。でも。あのね、妊娠したの」

 Bの子供を妊娠。意識が遠のくような気分だが、それは先輩にとって罰ゲームでも試練でも無いように愛おしそうに腹を撫でる。

 「私たち、付き合ってるの知ってた?」

 「いえ。他の男の人なら知ってましたけど」

 「あなたってやっぱり知ってたのね。そうだと思ったわ」

 先輩が泣き笑いの顔で言うのを、感情無く後輩は眺めていた。高校を一足先に卒業した先輩は、四年制の大学に通っていたが後輩は何の進路も希望も夢も持たなかった。スポーツに打ち込んだ部活動も、先輩との禁断の恋愛の前では感情など微塵も使わずに終わって、何となく続けているだけになった。思春期の瑞々しく尖った感情が全て先輩との美しい恋に使用されて、日常がぬけがらになった後輩はなんとなく美容の専門学校に通うことにした。何でもいいから手に職を、と母親に言われたので学費が安く済む方法を模索して、一刻も早く受験を早く終わらせてプレッシャーから解放されて、都内の大学生になった先輩と会える時間を増やすことを考えた。そのせいでか後輩は専門学校では浮いた存在になった。孤高の存在、一匹狼、その狼が女と付き合っているらしいと、誰が目撃したのか分からない真実の噂が流れ、学校中の好奇の目にさらされた。だがそれでも淡々と日々を過ごしていたが、専門学校の空気感は後輩をつまはじきものにして、遂に折れた心が体を引きずったので、いつしか行かなくなった。その時には家を出て都内の安アパートに暮らしていたので、夜間のバイトさえすれば食いつなげる。そして先輩さえいればいい。19歳の終わりにしてそんな考えで家に引きこもる事が多くなった後輩にとって、先輩は自分の代わりに世界のかがやき全てを謳歌して教えてくれる目だった。だが20歳になった頃、お酒が飲めるからと居酒屋に連れてくれた先輩は学校を卒業してと説教してきた。面食らった後輩だが、とっくに学校から親に通知がいって、行くのか辞めるのかと説教を喰らったばかりだったので、まさか先輩が言うなんてと目を丸くした。学校が無いから、先輩と自由に会えることが出来て、隅田川の花火大会も行ったし、近所の公園で花火を買って人目を忍んでこっそりやったことも、ゲリラ豪雨の中を二人手を繋いでけらけら笑いながら逃げ込んだビルのエントランスで、監視カメラの存在を忘れてキスしたこともある。日々の養分全てを与えてくれた先輩が、自立してくれると嬉しいし、君なら出来るからと真剣な目で語ってくれたので、後輩はもう一度学校に行くと約束して実行した。相変わらず嫌がらせに遭ったが、堪え忍べば良いだけのことだ。高校時代だって、殆ど先輩との思い出以外にも思い出せない。なんとか人並みの高校生活は送ったはずだが、この専門学校の嫌な思い出もいずれ消えて先輩の栄光の日々の前に塵芥と化す。遅れた分の履修を済ませて卒業し、その間に興味を持った美容師の職に就くことになったと報告したら先輩は喜んでくれた。後輩は22歳になった。先輩は23歳になった。大学は無事卒業したと卒論前のグロッキーな時期にも何度も会って励ましたので、就職をするのだと後輩は思っていた。そして先輩はこれからもずっと傍にいてくれるのだと、ぼんやりと人生設計を建てていた矢先の急転直下、青天の霹靂だ。


 先輩はモテるし、何人ものソフレもセフレもいる。選べないタイプなのだと後輩から見た先輩像だ。食べたい物も迷って幾つものお店の前を行ったり来たり、意を決して入ってもメニューと3分以上にらめっこする。誰もが振り返るような美人の先輩に、誰も文句など付けたことは無いし、そんなところが可愛らしい。だから今日、大事な話があると言って部屋に呼ばれた時に、先輩の一人暮らしの部屋がめちゃくちゃに荒らされて、居間で頬を押さえてへたり込む先輩を見て意識を失いかけた。殴られちゃった、と言った先輩の頬をアイスノンで冷やして、部屋を片付けていると先輩がくしゃっと笑いながら言った。ソフレの子、大学の後輩なんだけど怒っちゃった。またなんか言ったんでしょ。言ったよ。言ったの。別れよって。LINE消して、ブロックしてフェイスブックも辞めるからって言ったらこんな、こんな暴れて。

 殺意しか湧かなかったその男への感情を押し殺し、部屋を綺麗にした後で後輩は先輩の部屋で勝手知ったるとあたたかい紅茶を入れる。先輩のお気に入りのカップを知っているから、それを出した。先輩が落ち着くかと思っての後輩の配慮だ。紅茶を美味しそうに飲む先輩に、後輩の緊張の糸もほどけてゆく。その途端に、先輩がきゅっと真剣な顔をして、後輩に言った。別れてくれる?と。

 後輩は物わかりが良かった。まとまらない先輩の言葉を拾って繋げて、ちゃんとした言葉に直して渡すことが常で癖だった。そうすると先輩は喜ぶから。すごいね!と褒めてくれるから。だから別れた方がいいんだろうと後輩は冷たくなっていく自分の感情に、冷たい言葉を重しとして乗せる。感情が蘇ったら、きっと自分な何をするか分からないから。そうして話をしていくと、アイツとの子供が出来たからだという理由だった。

 男性恐怖を植え付けまではしないが、そこまで「私を傷を付けた相手と何故なんですか?」と疑問をぶつけると先輩は涙を拭きながら呆れたように笑った。

 「アイツ、謝ってなかったんだ。ばか、ほんとバカ・・・。あのね、あの時アイツ、先輩といたの、覚えてる?女好きで有名なチャラ男の・・・」

後輩は頷いた。

 「そいつがね、あそこの女馬乗りで襲って来いよって命令したの。アイツさ、アイツ気だけは弱くてさ。チャラいふりしてるだけなんだけど、先輩命令に逆らえなくて。そこに君がいたの」

 「あたしさ、アイツを一斗缶で殴ったの。何か近くにあったから。角に当たったし、何回も殴ったから余計にアイツ死ぬぐらい痛かったみたいで。それで君を送った後、会った時にあたしもぼこぼこにしたの」

 「しばらくアイツ顔腫れてたけど、気付かなかったよね。それでもアイツは一度も反撃しなくて、狂ったみたいなあたしを落ち着くまで殴られてて、ごめんって言ったのよ。謝る相手が違うって言ったんだけど、俺どんな顔で謝ればいいの?って困り果てた顔して。その時思ったの、守らなくちゃって。だから好きになっちゃって、中学の時から変わらず好きだったの。アイツのことが」

 そこまで言って、込み上げた感情に嗚咽を漏らすまいと先輩は手で顔を押さえつけた。


 「バカみたいだよね・・・。今も付き合ってるし、家族も知ってる。でもね、お互い恋人がそれぞれいるの。君もそう、本命と遊びの人達が何人かお互いに。でも一番長いのは君だけで、ソフレくんは二ヶ月ぐらいだから、見抜けなくて」

 「異性も同性も好きみたいなの、私達。それで不摂生も幾らもしたのに、全然体型が変わらなくてさ。ずっと言われてきたの、私達。女(男)を知らないとか勿体ないよって。私たちそれを信じて、ずっと色んな人と会ってきた。いつの間にか好きではあるけど、二人だけでいると何かを言われるんじゃ無いかって怖くなっちゃった。もっといい人がいるのにって単語が、凶器みたいで聞きたくなかったの。」

 「私達はずっと戦ってたの。」

 「自由恋愛市場のキングとクイーンだ!お前等が言うより知ってるし謳歌してるけど何か問題でも?って。だけど子供が出来たら、そんな焦りは消え失せちゃった。どうしてかな、ほんとにぽんと消えちゃったの。アイツは就職するから、私は産むことにしたの」

 先輩が涙が零れ続ける目で後輩の目を見つめる。

 「君はアイツに負けたんじゃないの。神様に負けたんだって思って欲しい。神様がまさか私に子供をくれるなんて、思ってもいなかった。産めないってきっと思ってたから」

 「大好き。でもこの子には私、命を賭けて守りたい」

 もうこれ以上何を言っても先輩の決意は変えられない。後輩は蓋した感情の上で記憶を引き出すと、そうだそういう人だったねと納得した。

 「分かりました。 お元気で」


 それだけ言うと慣れた足取りで先輩の家を出た。玄関のドアが閉まりきった音がする。本当に分断されたんだと感じて、先輩と後輩は同時になみだが溢れて止まらなくなった。

 先輩のアパートに先輩Bが帰ってくる。就職は決まったので身辺整理してくると言ってスーツで出掛けたのだが、夜の電灯の下でその顔にはひっかき傷だろうかガーゼが貼られて痣が出来ていた。

 「どうしたの?!」

 「女に殴られるの好きみたいだな、俺」

 へへ、と笑うBに先輩はその昔自分が殴った事を思い出しながら力一杯抱きしめた。そして二人の鼓動が落ち着いた時に、ふとガーゼの出所が気になって尋ねると、Bの同性愛の相手である二つ年上の男性の所に行ったら心配して手当てをしてくれたという。先輩は直接会ったことが無いが、高身長でさわやかなソーダにあまいバニラアイスを溶かしたような雰囲気だと言われ、勝手に存在する俳優の顔を当てはめていた。その男性がBと付き合った経緯は知らない、先輩もBも、互いの恋人の存在には気付いても詮索しないのが暗黙の了解だった。

 だが男性の処置の仕方を見ると、Bを深く愛していた物的証拠になった。慈しむように憐れむように優しい男性はBの別れについて悲しげに眉をひそめたが、すぐに笑顔になったという。最後のキスも求めたりしなかった。その話を聞いて、先輩も涙が再び溢れ出す。

 本命といってもいい存在の後輩や男性は、二人ともは、絶対に愛する者に手を上げたりしなかった!一方的で身勝手な理由なのに、二人は最後まで愛する者の姿勢を貫いてくれた!その事を泣きながら喚く先輩に、Bも泣き出す。

 「私達はいいよ、お互い泣いたら抱き合える存在がいるんだから!あたしは、誰もいないのにあの子を外に追い出して・・・憎まれるかな、嫌われたかな、消えたいよ!」

 「大丈夫。きっと嫌われないよ」

 「大好き!大好きなの!でもこど、も、子供を私・・・貴方と一緒に育てたいよ・・・」

 「俺も。絶対に育てたい。そんで、その子供が大きくなったら、どんな恋愛指向でも即答できる親になる」

 「あなたも大好き、子供も大好き、でも、でもあの子も大好きだった!」

 「俺も大好きだ。でもハルさんは一生一緒にいたかったよ!愛してた!」

 互いに別れた相手への膨大な愛情を口々に泣きながら叫び合う。支離滅裂な行動だが、彼らの愛情はそれほどまで複雑な形であるのに単純だ。

 「今頃きっと泣いてる」

 「泣いてるよね・・・」

 「・・・忘れて欲しいね」

 先輩はBに強く抱きついた。近くなったBの顔からガーゼから消毒液の匂いと、Bが付けてい香水が男性の物なんだと思って呼吸するのを躊躇う。残り香はBに吸わせてあげたかった。自分だって後輩にどんなタイミングで抱きたいと思う夜があったか、バカみたいにはしゃいだ思い出だけが逆光の中の動画のように焼き付いているので、その日々をずっと子供が生まれても腹の奥底に大事にしまうんだろうと思った。


 Bが男性の元を訪れたのは、他に付き合っていた女性との別れを告げた後だった。突然ごめんと謝るが、唐突な訪問にも男性はにこやかなほほえみで迎えてくれた。だがすぐに、Bの顔の傷に気付いて顔色を変える。大丈夫?と救急箱を持って来て、すぐに手当をしてくれた。そのほっそりとした指も、穏やかな性格なのに自分のことになると目の色を変えてくれるところも、愛している。だが別れを告げなければならなかった。子供を盾にするつもりは毛頭無い。だが子供のために少しだけ誇らしい人間でありたかった。そんな世間体を、同性愛を教えて愛をはぐくんできた相手に告げなければならなかった。

 だが男性は、全てを分かったように頷いて別れたいんだねと言った。Bの顔は涙でぐしゃぐしゃになったが、男性はいつものように抱きしめてくれなかった。ただ肩に手を置いて、落ち着くのを待ってくれていただけだ。

 「ごめん。忘れられそうにないかもしんない、ずっと」

 しゃくり上げるBの声に、男性がとんとんと肩を叩く。Bが顔を上げると、男性は微笑んでいる。

 「ありがとう」

 別れだと悟ってBは涙のせいじゃなくて目を閉じた。目が開けられなかった。嗚咽を堪えていたので、唇が震えた。そうして先輩と暮らす家に戻って、二人で抱き合って泣いている。

 「俺さ、気付いたんだ」

先輩が泣き続けて言葉にならないが、応えるように腕に強くしがみついた。Bは思い出して震える手で先輩を強く抱き返す。

 「俺達の本命ってさ、他のやつらと違って。責めないよな。俺達に手を上げなかったよな」

わあわあ泣く先輩が首を大きく縦に振る。

 「いい人達だったよな。俺達には勿体ないくらい」

大好きだ。だから自分達を忘れてどうか幸せになって欲しい。きっと今頃泣いてくれているだろうけれど、泣いたら綺麗さっぱり忘れて欲しい。」

 「・・・絶対に、」

 「ん?」

 「絶対に、幸せにする。お腹の子供、絶対に」

 Bは頷いた。

 「結婚式、しないの?」

 「しないよ・・・出来るわけ無い。だって」

 「俺は見たいけどな、Bの綺麗な姿」


 「先輩、赤ちゃんの写真。送ってくださいね」

 「できないよ。するわけない」

 「見たいんです。先輩の赤ちゃんなら」

 まるで傷付いていないかのような素振りで祝福を口にした、愛する人。声も出さずに泣き崩れている愛しい人。きっと今生きている世界が終わったって、これ以上の悲しみは存在しないだろう。



 後輩は家路に着きながら、あえて人通りの多い繁華街を歩きながら込み上げる涙を袖で必死に拭っていた。それなのに一筋一筋と溢れて止まらない。通行人が気にする素振りはないが、ふと視界に入ったビルのエントランスにしゃがみ込み、歩道から外れて声を押し殺して泣いた。大好き、そして憎らしい。でも大嫌いにならない。大好き、笑った顔も、怒った顔も、香水を好きって言ってくれたこともお揃いのリップも、きめこまやかな肌もやわらかくて良い匂いも全部、全部。選ばれなかったことへの悔しさが憎しみに変わるのに、それよりも早く愛しているという感情が全てを吞み込んで過去の先輩との思い出に連れ去っていく。だから余計に一歩も動けない。過去のにはぐくんだ愛情が、全て、私の全てでした。大嫌いになれたら良かったのにと後輩は目が痛くなって顔を上げた。きっと鼻水も出ているしメイクも滲んでひどい有様だろう。保守的な人は、異性愛に負けるのだから同性愛は非効率だと言うのかもしれない。だが勝ち負けなどは人の情には存在していないのだ。先輩は選択したのだ。子供という神様からの贈り物を社会的に最も効率よく育てるために。同志のようなBを相手に選んだ。そこに私への無関心は存在していないことが、私が一番良く分かっている。

 先輩は社会性を選択した。それだけだ。ようやく私が独り立ちするからと言って、こんな贈り物はあんまりだと何故か後輩は笑ってしまった。泣いたまま変に込み上げる笑いで声が出る。奇怪な目で見られているだろうが、後輩は過去と現在を行き来しながら、それでも壊れそうな心を修復しようともがいていた。そのもがきを誰も笑うことなど出来ない。

 昔の記憶。校外学習だったのか、たまたま訪れた地に世界的なサーカス団がテントを張っていた。顧問の先生だったか、誰かに交渉して私と先輩は十数名の団体と共に見に向かった。記憶が混在しているのかもしれない。学年を超えてそんなイベントがあっただろうか。だが回送は続き、サーカスが始まる前のほんの一瞬、ぱっとテントが暗転する直前で横に座っていた先輩が私にキスをした。見られますよ、と言うと後ろの子は大人しそうだから大丈夫と、先輩はいたずらっぽく笑った。そうしてサーカスを見終わって、証を残そうと先輩は持っていた黄色のスカーフをぽんと座席に置いていった。檸檬のよう。怒られるねと先輩が笑ったのに、私も笑った。

 「どんな事になっても、愛してますよ」

呟いた言葉は空に散って消える。


原典:一行作家

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