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月の雫をてのひらに  作者: しゃち蔵
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識姫01

遠い東の果てに【天満月(あまみつつき)の国】と呼ばれる国があった。

首長は【天帝(てんてい)】と呼ばれ、唯一、月ノ宮の姓を持つ。

妻は【十二月(じゅうにつき)】と呼ばれる十二の家から排出される。

姓はそれぞれ睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走といい、【十二月】出自の女は、宮で産まれ、各々の領地で育ち、十八歳になると宮に戻る。そして天帝との子を産む。

ただ、【識姫(しきひめ)】となる姫を除いてはーー。




『かつて、鬼がいた。

鬼は自然を知っていた。

鬼は人に水を恵み、火をもたらし、風を呼び、地を豊かにした。そして人は生を知った。

鬼は特に一人の姫を愛した。

しかし別れが訪れた。

鬼は姫に叡智を与えた。

そして姫は【識姫】となった。』




【識姫】とは【十二月】に稀に生まれる不思議な力を持った姫だ。

水を司る力を持つ【水の識姫】。

火を司る力を持つ【火の識姫】。

風を司る力を持つ【風の識姫】。

地を司る力を持つ【地の識姫】。

呪師よりもはるかに大きな力を操る姫たちは、あらゆる時代に現れ、国を豊かにした。


力を覚醒させると、姫は十八歳になるのを待たずして、宮に入れられる。

そして天帝の妻とはならず、【識姫】として即位し、国に尽くす。

四人の【識姫】が同世代に現れたことは、ここ何百年とないというーー。



ーーーーーーーーーーーー



弥生結珠は【十二月】の姫である。

あと二年で宮に入ることが決まっているが、今はまだ弥生領で暮らしている。


結珠は姫だが、炊事、掃除、洗濯、裁縫、何でもこなす。

自分への自信のなさから、自分で出来ることは身に付けておこうと常日頃考えているのだ。


結珠は背が低く、痩せており、顔から子供っぽさが抜けないことを悩みとしている。

団栗のような大きな丸い眼と波打つ茶けた癖毛は、いわゆるこの国の『美女』の概念からはかけ離れていた。


結珠の憧れは真っ直ぐな黒髪と切れ長の眼だった。


加えて、姫のたしなみである生け花が苦手だった。苦手という言葉では弱いかもしれない。生け花の才は絶望的かつ壊滅的であった。


生け花の先生は結珠の作品を『死に花』と名付けた。

それもそのはず、結珠の生けた花は漏れなく全て萎れ、枯れ、朽ちていた。もはや一種の才能ではなかろうか。生け花の先生は、指導方法に頭を悩ませ、最終的には「姫は花を触らなくて良い」という要らぬお墨付きを得てしまった。


【十二月】の女として宮に入った暁には、妻として、美しく生けた花を飾って天帝をもてなすと聞いたことがあった。

ゆえに結珠は自分に絶望した。


(私はきっと宮を追い出されてしまうかもしれません。)


結珠は不安で仕方がなかった。


(もし宮を追い出されても生きていけるよう、生活の術は身に付けておきましょう。)


そう考えた結珠は、上女中のシマに制止されるのを振り切り、生活に必要な家事をひととおり身に付け、いまでは「どこに奉公に出しても恥ずかしくない」とシマから太鼓判を捺される"姫"へと成長した。


そんな彼女の朝は早い。

仕事は空が白み始める夜明け前から始まるのだ。


結珠は使用人たちが動き始める足音で目が覚めた。

季節は初夏だが、朝はまだ空気が冷える。

寝ている間に顎まで引き上げていた布団に潜ったまま、廊下を歩く足音の人物当てを楽しんでいた。

毎朝聞いているものだから、すべての足音をほとんど当てられるのだ。


特に結珠が好いている足音がある。

その足音は、抜き足差し足の忍者のごとくほとんど音は立たない。

しかし毎度どうしても床がギイと鳴いてしまう箇所がある。

そこを敢えて避けることはせず、毎回踏み鳴らしていく。

岡島銀市の足音だ。


銀市は結珠の乳母兄妹であり、親友である。それでいて弥生家に代々仕える一番の従者の家系でもある。


結珠には同じ腹から産まれた兄がいるが、兄は次期天帝の継承権を持つため、産まれたときから遠く離れた都で育った。

それゆえ、近しい者といえば即座に銀市の顔が浮かぶほど、結珠には銀市しかいなかった。


銀市が朝いちばんに何処へ向かうかは分かっている。

朝いちばん、男たちは野良仕事を行うのだ。

領主であり、結珠の叔父である弥生元頼、銀市の父であり弥生家使用人たちを取り纏める番頭、岡島成市までも、しりっぱしょりをして野良仕事をする。

他の【十二月】ではこんな光景ないだろうが、これが弥生家だ。

そのため銀市も、幼いときから、朝はぞろぞろと男衆で連なって畑へ向かうのが日課なのだ。


結珠は毎朝どんな野菜が摘まれてくるかを楽しみにしている。

朝いちばんの取れ立て新鮮野菜を皆の朝餉に仕立てあげるのだ。


結珠はあさぎ色の浴衣に薄紅色の帯をしめた。

袖はたすき掛けにまとめた。

利かん坊の癖毛に留めたのは兄からの異国土産だ。蝶のように大きな常磐緑のリボンの髪留めで、中心には柘榴石が輝いている。守りの呪いが籠められていると渡されたそれを結珠は大層気に入っていた。


布団を畳み身支度を終える頃には、太陽はすっかり青空の高い位置で輝いていた。

障子を開け放つと、草影で牛蛙が一声鳴いた。

向日葵が空に背伸びしている。

結珠の一日が始まった。



台所では、女中たちが食事の準備に勤しんでいた。

墨で干物を焼く者、米を炊く火を見張る者。各々が忙しげにしており、結珠に気付くとパラパラと挨拶が飛んできた。

誰一人として姫が台所に降りてきて驚く者はいなかった。


結珠は皿を並べている女中の側へ行った。

最近になって弥生家に雇われた明野という名の女中だ。

華やかな面立ちでキッパリとした物言いをする。

女中として入ってきた割に炊事が不得手なため、皿を並べることに専念している。


歳が近いこともあり、結珠は明野を気にかけていた。


「おはようございます、明野」

「あ、結珠様…じゃなくて、お姫様」

「『結珠』で構いませんよ?」

「んー。…でも、シマさんが御名前を呼ぶなんておこがましい!『お姫様』とお呼びなさい!って…」


明野は皿を置く手を止めてバツの悪そうな顔をした。

本人にそのつもりがあったかは分からないが、シマの怒った口調があまりにも酷似していて結珠は笑ってしまった。

シマは怒ると声が高くなるのだ。

明野は毎日シマに怒鳴られているため、自然と身に付いてしまったのだろうか。

明野本人は怒られても全く気にとめていない質で、毎度あっけらかんとした様子を結珠は好ましく見ていた。


(シマには気の毒だけど、このような子が入ってきて弥生家は良かったです。シマは根は優しいものの、自分にも他人にも厳しいから、若い女中はすぐに参ってしまいますからね。)


うんうん、とひとり頷く結珠を、明野はシマへの肯定と捉えたのだろう。やや不安そうに眉をひそめ、


「やっぱり『お姫様』って呼んだほうがいいんですかね。あたし、こういうの始めてで、慣れてなくて…」


と、問うた。

その表情がまるで子犬のようで、結珠はまたクスクスと笑った。


「いえいえ、私はどちらでもいいんです。ただ経験論としては、シマの言うことは聞いておけば間違いないです。私もさんざシマには怒られてきましたが、シマの言う通りにして損をしたことは一度もありませんし……」

「よく仰いますこと!何度言ってもきかないで、お台所に降りてみたり雑巾かげに四つん這いになったりしているのは何処の姫様でしょうかね!」


噂をすれば影。

土間へと降りる簀に、腰に手をあてたしかめっ面のシマが立っていた。

年々深く刻み込まれる皺は、上女中としての貫禄を際立たせている。

例え寝起きであれ、完璧に整えられた髷が乱れたのを、結珠は一度も見たことがない。


そんなシマの深い深い眉間の皺だが、結珠のほわんとゆるんだ笑顔を目の当たりにすると、どうしても弛緩してしまうことは弥生家では有名な話だ。

今日も今日とて結珠が「おはようございます、シマ」と言えば、しかめっ面は困り顔くらいのものになり、溜め息混じりの「おはようございます、お姫様」が漏れるのだ。


朝食の支度真っ最中の女中たちは、シマの雷を回避したことに、皆密かに安堵し、心の中で結珠に感謝するのだった。


ふと、女たちばかりの台所に、にょきりと背の高い影が土の薫りとともに現れた。


藍色の浴衣をしりっぱしょりにした男だ。


肩ほどの長さの髪をざっくりと後ろで結わいている。

シマからは「シャッキリ結わけ!」と咎められているが、一部の若い女中たちの間では、後れ毛が色気を醸し出していると密かに好評を得ていた。

くっきりした切れ長の二重に、綺麗に通った鼻筋、薄い唇と端整で鋭角な顎。おまけに身体は程よく筋肉痛がつき、逞しくーー岡島銀市は、使用人の女たちが感涙するほど男前な容姿に育っていた。


銀市は勝手口から姿を見せると、「結珠様」と手招きした。

結珠は呼ばれるがまま、とてとてと銀市の方へ向かう。


明野は納得がいかなかった。


「シマさん、アレは良いんですか?」


シマは腕組をしていた。


「アレはいくら言っても聞きゃあしない。」



結珠の朝の日課であり、楽しみのひとつである。銀市からの野菜お披露目会だ。

銀市は腕に抱えた篭から大きな手で次々に野菜を取り出す。


「まあ、立派な茄子ですね。」

「ん。味噌焼きとか食べたい。」

「味噌焼き、良いですね。銀市の好きな甘味噌にしましょう。」

「…これもたくさん採れました。」

「胡瓜ですね!お漬物にしましょう。」


毎朝のことながら、『夫婦か!』と台所の誰もが思っているのは言うまでもない。

主従の立場であり、対等な関係ではないものの、二人に残された時間が二年ほどしかないことを思うと、厳しいシマでも目を瞑る他なかった。


結珠は銀市から野菜をどっさり受け取ると、両の拳を握りしめ、よし!と気合いをいれた。


(本日も皆さんが元気にお勤めできますように!)


役立たずの自分でも、少しでも皆のためにできることを。

結珠の日頃の心構えだ。


前掛けをして、まな板を目の前に据え、結珠はうきうきと茄子を切った。




ーーーーーーーーーーーー



「はーっ、朝から食ったー!」


結珠の目の前で爪楊枝を噛るのは、結珠の叔父、弥生領領主弥生元頼だ。


元頼は、結珠を産んで亡くなった母、弥生結璃の兄であり、結珠の名付け親である。結珠や結珠の兄を実の子のように可愛がってくれるが、その実の子弥生定頼は、結珠たちのことを疎ましく思っている。

どうあがいても宮に入れず、領主の座において補欠でしかないため、特に結珠の兄を妬んでいた。

それゆえ、結珠への当たりはややキツい。


「また朝から台所で遊んでいたそうですね、姫。」


定頼は細い目で結珠を睨んだ。


「弥生家の立場を考えて行動しておいでですか?」


結珠はこの男に睨まれると昔から萎縮してしまう。

頭がぐちゃぐちゃになって何も考えられなくなってしまうのだ。


定頼は容赦なく正しいことを突き付ける。

とはいえ、定頼の正義に反するのに、結珠側にも何か理由があるはずなのだ。

しかし定頼には何を反論しても勝てた試しがない。

そんな敗北を重ねるうちに、彼を前にしたときに言葉が出なくなってしまっていた。


いつもだったら銀市が助けてくれる。

しかし食事時は流石に従者は一緒ではない。


元頼も元来細かいことは気にしない性格のため、定頼と結珠の関係性に気付いていないし、定頼が何か言っても大して気にかけていなかった。


結珠は小さな拳を膝の上で握り締め、俯いたまま小さく「ごめんなさい…」と呟くしかなかった。


この弱々しい態度は定頼を苛立ちを助長させる材料でしかない。


定頼は過去のあれこれを持ち出し、結珠を否定する言葉を雨のように浴びせる。

結珠はそのひとつひとつにじっと堪えながら、ひたすら謝って時間が過ぎるのを待った。


と、その時ーー


スパーンッッ!!


と、襖が勢いよく開いた。

あまりの勢いに襖が外れそうなほどだった。


結珠は暗い面持ちで重たい顔をあげた。

しかしそこにいた人物を目にし、真ん丸の眼がみるみる見開かれ、その瞳の奥には喜びが花開いた。


「御兄様……!!」

「久しぶりです、結珠。」


結珠は立ち上がり、兄に飛び付いた。

定頼が「はしたない」と舌打ちしたが、喜びに満ちた結珠にはもはや届かなかった。


兄、弥生暁名は結珠にそっくりのどんぐり目だった。

それゆえ年齢より若く見られ、なおかつ中性的な容姿が都の女性たちを色めき立たせていると専ら噂だった。


結珠からすれば、天帝を除いた唯一の家族であり、銀市とはまた違った心の拠り所でもあった。


次期天帝候補である暁名は本来都にいるはずだ。

それがどうして遠く離れた弥生領にいるのか。

再開の喜びに次いで当然の疑問が湧いた。

しかしその疑問を口にしたのは結珠ではなかった。

定頼が食卓に頬杖を突き、あからさまに不機嫌そうな様子で言った。


「来客とは全く便りが御座いませんでしたが。」


暁名はそれを温度の感じられない瞳で一蹴する。

暁名の華奢な腕は、庇うようにしっかりと結珠を抱き留めていた。


「不敬であるぞ、定頼。それが皇子である私への言葉か。」


顔を青くしたのは元頼で、定頼は気に入らない様子でそっぽを向いただけだった。

慌てたように元頼が言う。


「しかし暁名や…いえ、暁名様…」

「よい。元頼様は我ら兄妹にとって親のようなもの。公ではない時に限り呼びつけにして構いません。」


暁名がフッと笑顔を見せると張り詰めた空気がやや弛んだ。

定頼のみ机の隅で不機嫌そうに背中を向けている。


元頼はいずまいを正すと、領主らしくしっかりとした口調で暁名に問い掛けた。


「して、暁名、何故お前がここにいるのだ?」

「それはですね……」


暁名の背後からの答えに、皆不思議そうにそちらを見やった。

暁名だけがにこにこと満足そうに結珠の柔らかい髪を撫でている。


開け放たれたままの襖から新たな人物が幽霊のように蒼白な顔で現れた。

ゼエゼエと肩で息をし、暁名の背中を怨めしそうに睨め付けている。


彼は柴田光仁。この場の誰もが知る暁名の従者だ。

隻眼であるものの、艶やかな長髪と男前な面立ちで、やはり都で評判高かった。


暁名が現れたということは、光仁が現れても何ら不思議はない。

しかし、たったいま地獄から這い上がってきたかのような様子に、結珠は「まあ」と小さな声を上げた。

そして光仁に駆け寄り、湯呑みで水を差し出した。

光仁は結珠を天使と崇め、しかしその兄に大しては「この悪魔!」と涙ながらに抗議した。


「都から三日!三日ですよ!!夜も寝ずに早馬で蹴っ飛ばし…最短距離と宣い、山越え谷越え川越え…休憩は馬継ぎの際のみ!食事は一日一回立ち食いそば!!」

「立ち食いそば、美味しいですよね。」

「そういう問題じゃございません、結珠様!!」


血走った眼に睨まれ、結珠は兄の袖にしがみついた。

暁名は「やだねぇ、余裕のない男は」と言いながら、結珠の頭を撫でた。


「先だって便りを送ったのです、元頼殿!」

「は、はあ…」


さすがの領主も光仁の勢いに気圧され気味だ。


「それなのにあの悪魔が飛脚よりも自分のが速いはずだとか訳の分からないことを言い出し、唐突に出立を決め、こうして弥生領へとたどり着いたまでです。」

「飛脚よりも早かったでしょう?」

「貴方は何を目指しておいでなのですか!問屋場の馬指しがドン引きしてましたからね!!」


光仁は机をバン!と叩くと、言いたいことを言い終えたのか、息を落ち着けながら結珠から貰った水を啜り始めた。


ところがこの場の誰もが結局何故暁名と光仁が遠路はるばる弥生領までやって来たのか理解できない。

皆の疑問を代表し、結珠が静寂を破った。


「御兄様。結局なにゆえ御兄様方は弥生領へお越しくださったのでしょう?便りとは?」

「ああ、すみません。光仁が全く的を得ない説明をしてしまい。」


結珠の横で光仁が噎せた。怨めしげに暁名を見ている。暁名はそれを爽やかな笑顔でかわした。


暁名は改めて領主・弥生元頼に向かって上座に座る。

暁名が改まればその高貴な佇まいを誰も無視することができず、不貞腐れていた定頼すらもきちんと正座をした。

もちろん光仁は暁名の雰囲気が変容したことに気付くと、暁名から一歩退いた傍らに控えた。

自分より上座に付いた暁名の従者に定頼は目を見開いて抗議したが、元頼に窘められた。


このような場面で結珠は戸惑わない。自然と上位から二番目に位置どるあたり、姫としての自覚の高さがうかがえる。

暁名は結珠に満足そうな笑みを見せたが、結珠はなんのことやらわからなかったらしく、不思議そうに暁名を見つめていた。


さて、と切り出した暁名に、場の空気は一瞬で張り詰めた。


「水無月家から【水の識姫】が出ました。」


それは弥生家ーー否、天満月の国にとって大きな事件だった。


現在、識姫は、【火の識姫】として葉月領が長女、葉月十彩が即位していた。

呪師ほどの力を持った姫はままいるが、識姫ほど大きな力を持った姫が同世代に二人もいることは歴史を見てもなかなかない。

しかも【水の識姫】となれば、枯れた地に雨をもたらすことができる。

例え干魃の年があろうと、あと数十年の間、国は安泰だ。


皆が言葉を失うのも無理はない。


しんと静まり返る部屋でまず声を上げたのは元頼だった。

零れ落ちるような小さな声だった。


「…いやはやめでたい。」


元頼は立ち上がり、今度は持ち前の大きな声で言った。


「なんとめでたいことか!何年も待ち望まれた【水の識姫】が覚醒されたとは!定頼、これは領民たちも喜ぶぞ!」


元頼は定頼の両手をぐいと掴み、立たせた。そしてぴょんぴょんと跳ね踊った。迷惑そうな顔をしながらも、定頼の口許は綻んでいた。


元頼の嬉々とした声に、光仁も腕を組んで頷く。

しかし結珠は普段はほとんど見せない眉間の皺をぐっと寄せ、俯いていた。

顔色が悪い。

細貝肩は小さく震えていた。


「結珠?」


壊れそうな肩を暁名がそっと触れる。

すると、先程までの表情は見間違いかと思うほど、晴れやかな笑顔で結珠が顔をあげた。


「おめでとうございます。即位式はいつになりますか?」

「あ、ああ…次の満月です。およそ一月後に都で執り行います。」

「御兄様は私を都へ呼びにいらしたのですか?」

「ええ、そうです。」


即位の式典には【十二月】の姫全員が召集される。それは【火の識姫】のときに経験していることだから、結珠は承知していた。


「それなら御父様にお会いできますね。御父様はお変わりないでしょうか?【十二月】の皆様にお会いできるのもとても楽しみです。都の【お月見饅頭】も久しぶりです。」

「結珠?」


暁名は矢継ぎ早にペチャクチャと喋る結珠の様子がとても気になっていた。彼女は控え目な性格で、こうして人の言うことを聞かず一方的に話すことはない。むしろ話さなすぎて自分の意見をひとり飲み込んでしまう性質なのだ。兄はそれを知っていた。

しかし、


「銀市にも話してきてよろしいでしょうか?」

「ええ、行ってきなさい。」


震えるほど固く握り締めた拳の中に仕舞い込んだ胸のうちを、離れて育った兄に吐露してくれることはないのだろう。


(何が皇子だ。妹ひとり守ることすらできぬ…)


聞くなと言わんばかりに言葉を紡いだ妹の小さな背中を、自分の不甲斐なさを叱咤しながら暁名は見送った。


(せめて銀市にだけはお前の心を話しておくれよ。)


元頼はシマを呼びつけ、酒を用意させようとしていた。

やや汗ばむような気温のなか、宴は始まろうとしていた。

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