千年の恋〜エピローグ
(雷が激しく鳴り響き、雨もひときわ激しく振ります)
(源氏の君は、女性を蔵に隠し、弓を持って女を守っておりました)
だから、それは源氏物語じゃない。伊勢物語だ。
(良く気づいたわね。さすが、源氏)
コウは飛び起きる。
激しい轟音が、そして、それに続いたユカリの悲鳴が彼の目を覚まさせた。
「ユカリ、大丈夫?」
「あんまり、大丈夫じゃない」
背後からしがみつかれた。震える声が、頭の真後ろで聞こえる。
「なに、これ?」
火星に生まれたコウは、もちろん「雷」を知らない。ユカリだってそうだ。
「コウさま、ユカリさま」
『花散里』の声が、障子の向こうから聞こえてきた。
「『花散里』、やっぱりどっか壊れたの?」
涙声で、ユカリが尋ねる。
「ああ、驚かせてしまい、申し訳ありません。『神鳴り』の設定をオフにするのを忘れておりました。今のは、この館の住民に外からのアクセスを知らせる合図です」
外部からのアクセス? その度にいちいちあの音が鳴っていたら、うるさくてかなわない。
そんな事を考えるコウに、『花散里』が告げる。
「コウさまに、アオイ・サオトメさまからメッセージが届いております。今、受け取られますか?」
アオイ・サオトメは、叔母さんの事だ。
コウが頷くと『花散里』はメッセージを再生した。
『コウへ』
叔母の声音は、いつも食事中に聞くそれと、何も変わらない。ここにメッセージが送られて来たということは、彼女の中にも何かしらのことがあった筈なのに。
『あなたがそこにいるということは、自分の考えで行動し、真実に近づいたと言うことでしょう。ならば、私も私の知る事実を、あなたに真実を告げるべきだと思います。先ずは、この録音を聞いて下さい』
叔母の声が途切れると、ノイズに混じって別の女の声が聞こえてきた。
『あれは――いつの頃でしょうか。様々な美女や、才能を持つ人々が集う中で、ただひとり。とりたてた才能もないのに、彼の愛を受けた女性がおりました』
それは、コウが聞き慣れた声だった。
『私の名は、『藤壺』といいます。早乙女教授によって作られ、そう名付けられたロボットです。
今から私は自分の罪を告白致します。
でも、その前に私が何故このような罪を犯したのか。そのきっかけを聞いて頂きたいのです。
早乙女裕樹博士は、とても優秀な方でした。様々な美女や、才能に溢れた人々が、いつも彼を取り巻いております。その中で彼の愛を受けたのは、とりたてて目立つこともなければ秀でた才能もない、ひとりの学生でした。
若宮キリカはもっぱら古典の研究をする学生で、趣味で古典物語の編纂などもやっておりました。彼女の所属する大学の名誉教授であった早乙女博士は、彼女の自作VTRを見て彼女に惹かれます。
早乙女博士は、とあるプロジェクトの為に火星に移住することが決まっていました。キリカに自分と結婚して共に火星に移るよう、告げます。
火星に移転した二人は、それはそれは幸せでした。研究を中挫することになったキリカはこの星に生まれる子供達に、大昔の地球の物語を読み聞かせることを決めます。その中には、自分の未来の子供も居る筈でした。
でも、その幸せは長く続きませんでした。適性検査に不具合があり、キリカの身体が火星に適応出来ない事が解ったからです。
二人は何度も相談して。
それでも、結論は出ません。日に日に、キリカは弱って行きます。
早乙女博士が所属する新しいドームのプロジェクトが、中止になったのはそんな時でした。
だったら、地球に帰ろう。
二人が結論を出した時には、遅すぎました。
キリカの体は、星間移動を出来ない程に弱っていたのです。
早乙女は、建設中止になったドームを開発プロジェクトチームの権限を使って買い取りました。
そして、そこにキリカが夢に見た御殿を造って、二人で最後の時を過ごす事に決めたのです。
キリカがずっと研究していた、「源氏物語」の世界を。
早乙女の夢は、かないませんでした。
キリカは御殿の完成を見ずに死んでしまいました。
「六条院」を完成させた早乙女は、彼の妹が持っていたキリカの卵子を使ってひとりの子供を……つくりました。
子供は「ヒカル」と名付けられ、彼を育てる為に乳母ロボットが作られました。
それが、私です。
キリカとの思い出と、キリカの姿を、博士は私に移しました。
それから、私たちは三人であの「六条院」で生きていました。まるで、早乙女とキリカが夢見た世界を再現するように。
早乙女が、亡くなるまでは。
早乙女が亡くなる時に言った台詞を再現します。
「私はキリカに、約束した。君の未来を奪った事と引換に、千年の記憶に残る恋をしようと。君が愛した、物語のように。この場所は、二人の誓いの証。お前はその守人だ。だが、ヒカルは……あの子を巻き込んだことは、私のエゴに過ぎない。あの子にはその名に恥じない光あふれる未来を生きて欲しいと思っている」
早乙女は、彼が亡くなった後で源氏を――ヒカルをアオイさまに預けるよう、指示を残して逝きました。
でも、その命令を私は実行しませんでした。
キリカの記憶を移された私は、いつしか早乙女にロボットにはない筈の感情を持っておりました。
愛する人のいない永遠を、ひとりきりで過ごす事が、私にはできなかったのです。
早乙女が亡くなった後、五年もの間、源氏を手元に置きました。
まるで生き急ぐかのように大きくなる源氏を見て、自分の罪に気が付くまで。
私は、ひとりの少女を『六条院』に招きました。アオイ様に報告をする前に、最後の夢が見たかった。
そう、源氏が『六条院』で恋をするという、夢を。
――私は、罪を犯しました。処分されるのですね? では、最後にお願いを。
早乙女博士の遺言だけは、どうか叶えていただけますように』
「なんだよ、それ」
『藤壺』の告白を聞き終え、コウがぽつりと呟く。
永遠に、循環する水や大気。庭には四季の花を咲かせ、管理をするのは永遠の命を持つ管理者。
ここは、父の夢の御殿。
その、なんといういびつなことか。
「ばかみたいだ」
自然に、拳が硬く握りしめられる。
「ばかみたいだ。じゃあ、ここはまるで……」
「お墓」
と、ユカリがコウの言葉を引き取る。
「二人の、メモリアルパークだったのね。ここは」
そのメモリアルパークの管理人として作られたロボットは、狂った。狂ったロボットが処分されるのは、当然のこと。
『以上が、「藤壺」の告白です』
冷静な叔母の声が、流れる。
『あなたの部屋で、キリカのディスクを見つけた時から、こんな日が来る事は解っていました。
最初に、謝るべき事は謝っておきたいと思います。
私は、あなたの存在を長い間知りませんでした。保存しておいたキリカの卵子が無くなっていた事も、『藤壺』の告白を聞くまで気が付いていませんでした。
兄もまた、キリカを亡くしたことでどこかおかしくなっていたのでしょう。彼の愛の深さだと思っていただければと、思います。
あなたに謝りたいのは。
あなたの両親が与えてくれた「光」という名を勝手に「孝」に変えてしまった事。
そして、子供の為にならない記憶を削除するという決定に、従った事。
そこは、あなたにとって本当に歪んだ場所だと私は思います。だから、あなたの記憶に残したくなかった。人間嫌いだった頃のあなたに、戻って欲しくなかった。
でもね、コウ。
歪んでいても、偽物であっても。
ひとりよがりであっても、大馬鹿野郎であっても。
私はなぜか、そこで死んだ兄やキリカを「天晴れ」だと思うのです。よくもまあ、そこまで自分の信じた愛を貫いたものだなぁと。本当に呆れるぐらいロマンチストなふたりを、とても馬鹿だと思い、誇りに思います。
この意見についての不平不満は、家で聞きます。
さて。
ここでひとつ問題があります。
うちの家訓、覚えている? そう、「秘密は良いけど嘘はつくな」だったよね?
覚悟を決めて帰られる事を、心待ちにしております。
あなたを愛する、叔母より』
メッセージは、そこで終わる。
「叔母さん……」
コウは軽く額を押さえた。
なんで、こんなに豪快なんだ。
てっきり『藤壺』に続く懺悔を聞かされると思っていたのに。
「天晴れ」で「大馬鹿野郎」。なるほど、言われてみれば確かにそうかもしれない。
「帰ろうか」
コウが呟く。
「そうだね」
ユカリが、普通に笑った。
だから。
そっと、その肩を抱いた。
「ありがとう」
告げたコウの言葉は、「何をするかぁぁ!」というユカリの叫びにかき消されたが。
(愛する人がいない永遠を、生きる事は辛いから)
そう彼女が語ったドームがやがて地平線に消えていく。
二人の乗るシャトルは、まもなくD―4ドームに戻る。
「綺麗な場所だったね。六条院」
ユカリが彼方を見ながら、呟いた。
「綺麗だけど、なんだか悲しい場所だった」
「形にこだわるのは、人間だけだよ」
答えるコウに「そうだね」と相づちをうつ、ユカリ。
形にこだわり、時間に急かされるのは、いつも人間だけ。
生まれるまでには何億年も必要な星の上で、たかだか、生まれて数万年ほどで、ここまで劇的な進化をしたものなんか、人類ぐらいのものだろう。
千年をして「永遠」と呼ぶのも、また。
もちろん、コウだって人間だ。体外受精など、火星では珍しい事でもない。
だから。「千年の恋をしよう」なんて言える相手がもしも側にいたら、それはとても幸せな事かも知れないと、思う。
「千年の恋をしよう、か」
ふいに、ユカリがぽつりと言う。
「な、何だよいきなり」
何故か焦ってそのふわふわの髪から顔をそむける、コウ。
「言われてみたいな、そういう台詞」
「誰に?」
意地悪と、ユカリが小声で呟く。
シャトルは、高速で飛ぶ。もうすぐ、彼等の家のあるD―4ドームにたどり着く。
コウの両親は、未来になにかの形を残そうとした。一見、贅をつくしたように見えるあの宮殿は、言い換えればそこにある資源を生かせなかったものの残骸から出来ている。
どちらが正しいのかを判断するのは、とりあえずコウではない。
ここは、地球ではない。
宇宙規模で考えれば、千年なんてほんの一瞬。星の、一瞬の煌めきに過ぎない。
あの青い星から離れた自分達は、千年後には何処にいるのだろう。火星からも離れて、はるか地球を遠ざかっているのだろうか。
そんな未来に、もしも何かを残せるのなら。
僕らも、恋をしよう。
千年の時を経て語り継がれて来た、物語のように。
書き終えて。
「SF?」と、聞かれて、はっきり「はい、SFです」と言い切れないあたり……。
(コホン)描こうとしていたのは、スペースロマン。
何かが違うと、何度も終盤を書き直しました。
四回書き直して、解った。
主人公をお母さんにしたらよかったんだ!
間に合いません……(涙)
読んでいただき、ありがとうございました。
スペースロマンって、難しいですね……。
かじゅぶ様が、作品の「表紙」を作って下さいました。
火星と、掌の上の「六条院」とても幻想的で繊細な作品です。すごく嬉しかったので早速小説TOPに貼りました。
おお、なんと小説が立派に見えることか! かじゅぶ様、大感謝です。本当にありがとうございました。