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夢〜遠い物語

「おっはよ、コウくん」

 いつものように元気よく声をかけてきたのは、ユカリ・ミソノ。ハイスクールの同級生だ。

 ウェーブのかかった焦げ茶の髪が可愛い少女は、コウにとって「数多い友人」の中でも「本音を言い合える親友」のような存在だった。

 二人の出会いを一言で表現すると、「あなたは! 多分、知らない人」という台詞につきる。

 入学式でユカリを初めて見た時に、既視感があった。無意識に手を挙げて挨拶をしかけ、「あ、やっぱり知らない子」だと気まずく手を下ろした時だ。向こうが、「ああ!」という顔をして、コウを見た。

 次の台詞が「あなたは!」。その後しばらく硬直し、「多分知らない人……」と消え入りそうな声で、ユカリは言った。

 初対面の女の子を相手に爆笑したのは、あれが初めてだ。

「ねぇねぇ、知ってる? 富士山の名前の由来」

 得意げに、ユカリが話す。

 火星には勿論、富士山はない。だが「火星富士」ならある。それはD―4ドームの象徴で、実は「火星富士」がある場所に、このドームは作られたのではないかと、コウは疑っている。

「富士は、『不死』だろ? 不老長寿の妙薬をそこで燃やしたっていう言い伝えがある筈だよ」

 普通に答えるコウに、ユカリは何故かふてくされた顔をした。

「何だよ?」

「別にー。コウくんって、『なんでそれを知ってるかな』ってことを知ってるよね?」

 なるほど。

 ユカリの目の下の隈に気づき、コウは苦笑する。勉強中に、コウが好きそうなネタを見つけたのだろう。

「古典では、ユカリには負ける気はしないな。あと、音楽も」

 不敵に笑い、彼女の最も苦手とする分野を指摘するコウに、ユカリはますます唇を尖らせる。

「はいはい。どうせ私は、学年きっての音痴でございますが、それが何か不都合でも?」

「別に、音痴でも生きていけないわけじゃなし」

「それは、フォローしてるつもり?」

 はぁと深い息をつく、ユカリ。

「待て待て、落ち込むな。芸術分野で僕に勝とうと思う方が間違っている」

 「そこまで言うか」と、逆に笑みを浮かべるユカリ。

 もちろん、コウが「そこまで」言えるのは、相手がユカリだからなのだが。

 女の子って、みんなそうなんだろうか。ちょっとした事で、ころころと表情を変えるユカリは、本当に一緒に居て飽きない。

「芸術分野だけじゃないでしょ。でも、古典は特に強いよね。なんか秘訣でもあるの?」

「ないし。それに、古典に強くても意味ないじゃないか」

 今の時代、しかも火星で「日本文学」の「古典」に強くて何になるかと、コウ自身も思っている。

 だが、何百年前の文学の中には、心惹かれる何かがあった。

 だからだろうか。

 夢の中で語られる物語は、いつも日本の古典だ。

 そう、富士山が「不死」に繋がるのは、「かぐや姫」の物語。

 かぐや姫と呼ばれる天女から授かった不死の霊薬を、時の帝は日本一高い山の上で燃やした。その時から、その山は「不死の山」と呼ばれる事になる。

 物語は、そういう終わりかたをしていた。

(どうして、そんな大事なものを燃やしてしまったの?)

 幼いコウが尋ねると、その人は寂しげに告げる。

(愛する人がいない永遠を、生きる事は辛いから)

 愛する人がいない「永遠」。

 それを想像すると、何故か心が痛くなった。

「コウくん?」

 呼ばれて、はっと我に返る。

 夢のことを考えているうちに、夢に引きずり込まれたような感じだ。どうかしている。

「疲れてる?」

 ユカリが心配そうな顔で尋ねる。コウは笑って首を振った。

 夢の話なんか、出来るわけがない。馬鹿にされるのがオチだ。

「そっちこそ、目の下に熊が寝てるけど?」

「うるさい。こっちはコウくんみたいな秀才じゃないんだから、授業についていくのに必死なのよ」

 ユカリが右手の拳を突き出し、軽くコウの肩のあたりを叩く。柔らかそうな髪がふわりと広がった。

 そんな彼女の可愛いしぐさに、何だかほっとする。

 夢はあくまで、夢でしかない。ここは火星のドームの中。そして、自分は当たり前に学校に通う、ただの学生なのだから。


「お帰り、コウ」

 叔母の住居でコウを出迎えてくれるのは、メイドロボットのエミリ。

 このメイドロボットも、物心ついた頃からコウにとっては友達だった。

 エミリは、ロボットのくせに人間のようだ。家事の腕はもとより、相手の話を聞くのが上手で――相づちの打ち方が、絶妙だとコウは思う――それに、他の友人の家にあるメイドロボットみたいに「融通がきかない」事もない。

 後で聞くと、設計者はロボット工学の権威だと言われた、早乙女裕樹博士。

 叔母の兄で、コウの父親だ。

 映像でしか知らない父親は、厳格な顔をした年輩の男性だった。コウとは全然似ていない。

 その博士が設計したロボットを叔母は大切にしていたが、少し前までは「エミリは『お友達』ではないのよ」と事あるごとに言われた。「人間のお友達と遊びなさい」だとか「相談は、人間相手にしなさい」だとか、しつこい程に。

 エミリは所詮、ロボットなのだから、と。

 そんな叔母は医学博士で、昼間は仕事、夜は遅くまで研究を続けていた。だから、この叔母と顔を合わすのは夕食の時ぐらい。しかし、叔母がその時間を自分の為に作ってくれている事は、コウだって知っている。

 そう、一時期「人間嫌い」だったコウの為に、叔母が作ってくれた語らいの時間だった。

「何だか、今日は浮かない顔だね。少年よ」

 おどけた口調で語りかける、叔母。叔母と二人で(正確にはメイドロボットエミリと三人で)生活を始めて長いが、実はこの叔母の事はコウにはよく解らない。

 たまに、ものすごく色々なことを考えていたり、たまにものすごく豪快であったり。

 どうして結婚しなかったのかとか、聞いてみたいが聞くのが怖い。

「学校で、何かあった?」

 さらに問いかける、叔母。夢の事は、彼女にも言えない。病院に強制連行されるような気がするから。

 だから、コウは別の事を口にした。

「ずっと、考えてるんだ。この星に、真実ほんとうってあるのかな?」

 立体映像を駆使した公園。空の色、雲の形、四季の温度差にまで気を配る、D―4ドーム。でもそれは、偽物に過ぎない。ともすれば、夢で見る景色のほうがよほど、「本物」に近いような気がする。 

 尋ねられた叔母は、きょとんとした顔をしてコウを見て、それから吹き出した。

 「言わなきゃ良かった」とわざと聞こえるように呟く。本当は、心のどこかで解っていた。そんな反応があるであろう事は。

「ごめんごめん。では、答えてしんぜましょう。此処に本当はあるのかと問う、キミのその質問の中にこそ、真理がある」

 叔母さんの返事は、まるで謎かけだ。

「何? わけがわからない」

「悩み、考え、自ら真理を求めたまえ、少年よ。さすれば道は開かれん」

 そう言って彼女は、にやりと笑う。

「それにしても、やっぱりコウは兄さんの息子だね。言う事がそっくりだ」

 そこまで言って叔母は時計にちらりと目をやり、残っていた料理をかたづけるようエミリに指示を出す。

「父さんが、何なのさ?」

「惜しい、タイムオーバー」

 いつものように、叔母は二十時きっかりに食事を終えた。

「何にせよ、さっきの答えは自分で見つけなきゃ意味がない。がんばれ、少年」

 そう言って、豪快に笑いながら部屋を出る、叔母。

 なんだかいつも、両親の事を聞こうとしたらはぐらかされるような気がする。確かに忙しい人には違いないのだが。

 両親。映像でしか知らない父親と、映像さえも残っていない、母親。

 実は、例の夢を見始めた原因は、解っている。

 父親の遺品整理中に見つけた、マイクロディスク。そこには、「キリカの読み聞かせタイム」というデータが入っていた。

 再生すると、ひとりの女性の立体映像が、綺麗な声で朗読をしていた。

 「いずれの御時にか」で始まる、源氏物語。

 「いまは昔、竹取の翁といふものありけり」で始まる竹取物語など。

 古文で冒頭だけを読み、次に現代文で解説をしてくれる――だが、その解説が無茶苦茶で。「なんだこれ」と笑えるようなものだった。

 例えば、あの有名な『若紫』の冒頭。

 ――何の因果か、源氏は病に倒れてしまいました。あれこれと手をつくしてみますが、医者がヤブなのかまじない師がインチキなのか、いっこうに効果がありません。

 見かねた知人が、『北山のなにがしという寺に、たいへん高名な僧がおります。その方に来ていただいてはどうでしょう?』と、教えてくれました。早速、その僧を呼び寄せようと手紙を使わします。

 ところが、返事は『そらあんさん無茶苦茶ですがな。この足腰もよう立たん年寄りに、都に来いとはなんちゅう無体な。途中でぽっくり行ってしもたらどうしてくれますのんや。あんたさんの方からおこしなはれ』とのこと。源氏は『どうして自分ともあろう者が、男の所に通わなければらなんのだ』とは思いながらも、しぶしぶ重い腰を上げ、その寺に行くことになりました――

 流れるように無茶苦茶な意訳を語る、美しい女性。その語りが本当に楽しそうだったので、見ているコウも自然と笑ってしまった。

 夢を見るようになったのは、その直後から。

 女の顔は、夢で見る彼女にそっくりだった。そして、今になって思えば、コウにもよく似ている。だったら、もしかしなくても――。


 お話をして。

 そうお願いするコウに、女がは腕を組んで考える。

(じゃあ、今日も源氏の君の恋物語をしましょうね)

(源氏の君はいつものように恋に落ちます。でも、この女性はとても身分の高い方でした。周りの反対を押し切り、愛し合った二人は、手に手をとって逃げました)

(逃げる二人の後を、鬼が追っています。二人は気づかず、ある小川のほとりに出ました)

(そこには、小さな花がつぼみをつけておりました。花に浮いた露を見て、女が感嘆の声を上げます。『なんとうつくしい。あれが、真珠というものですか?』)

(でも、源氏の君は答えるができませんでした。不意に日が陰り、雨が降り始め、雷まで鳴り始めてしまったのです)

 「どうなったの?」と、コウが聞く。

(雨宿りをする間に、女は鬼に連れて行かれてしまい、源氏は涙にくれます。『あれが、真珠ですかとあなたが聞いた時に、露と答えれば二人で消える事ができたのでしょうか』と)

 今のコウは、知っている。それは「源氏物語」ではない。別の物語の一部だ。

 そういえばあの人の物語は、たまに無茶苦茶な時がある。だからこそ、面白いのだが。

 だから、夢の中で突っ込む。

(それ、伊勢物語だろ? 「芥川」じゃないか)

 女は驚いたようにコウを見て、そうして笑った。

(さすが、わたしの源氏)


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