リレー ⑲ 天界音楽
「キイチーーーー!」
鳥船が叫ぶ。
キイチの体が宙を舞い、岩の祭壇から落ちていった。
ミカが小さく悲鳴を上げて、キイチの名を呼ぶ。タケルはまだ動く気配もなかった。
「ミカ、手を貸してくれ。俺を運べるか?」
『あ、あたし? 運ぶっていうか、落ちる速度を遅くするくらいなら……』
「ええいもう、それでもいい! とにかく頼む!」
『はいは~い! これでようやくあたしも天さんのお役に立てます~~』
岩の祭壇までの高さは約五メートルほどか。何の装備も持たない鳥船では落ちることしかできないが、ミカの助けを借りればまだ少しマシなはずだ。だが、悠長にしている暇はない。辺り一帯が崩れるのではないかと思われるほどの地響きと揺れが酷くなってきていた。
『いきますよ!』
ミカが鳥船の両手をギュッと持って言う。空中に浮かべる彼女がバンザイした鳥船を掴んで跳ぶスタイルだ。真下を目指すのではなく、斜めに滑空するように飛ぶこと、鳥船が踵から着地して衝撃を和らげることで怪我を最小限に抑える作戦だ。
「頼む!」
鳥船の合図でミカが跳ぶ。一瞬ふわっと浮かび上がったが、落下は一瞬だった。そのあまりにも短い時間はしかし、鳥船の目に焼きついていた。
――異形
まさにそう形容するしかない汚泥にまみれた芋虫のような、蛇のようなそれは、横腹にびっしり触手を生やしていた。その触手からさらに枝分かれするように触手が伸びており、さながら動く根のようにも見える。
触手の先端は様々な形状で、口があるものや目玉がついているものもあった。粘液を垂らしながらウネウネと動くそれらはおぞましくもなまめかしく淫靡だ。
それが今、全身を狂おしくうねらせ、のたうち回っている。咆哮を上げ、触手を打ちつけ、大量の汚泥を吐き出し撒き散らしていた。
『ふんぬ〜〜〜〜!!! あぁああ、もう無理ぃ!!!』
「よっと。タケル、しっかりしろ! キイチ! キイチー!」
ミカの尽力あって無事に着地した鳥船は、タケルを蹴飛ばし声をかけた後、祭壇の端から下を見下ろし、キイチの姿を探した。しかし、吐き出される汚泥は増えるばかりで、目を凝らしてもキイチの金髪は見つからない。
「くそ……! どこだ、キイチ!」
『キーちゃん! 返事してください!』
鳥船は叫び続け、ミカも空中からキイチの姿を探して飛び回った。その二人の後方で、タケルはムクリと起き上がるとまだぼんやりした顔でつぶやいた。
「……沈む」
予言めいた言葉はまさに現実になった。
祭壇がヒビ割れ真っ二つに分かれていく。土台も何もかもが瓦解し、悲鳴とともにすべては飲み込まれていった……。
◇◆◇
ちとせがハッと意識を取り戻すと、彼女はなぜか真っ暗な空間に立っていた。
前方に明かりがひとつ。
上空から差し込む光の柱の中に、膝を抱えて丸くなっている真っ白い着物姿の子どもがいた。雪のような光の粒が、ゆっくりゆっくり落ちてきては消えていく。
「そこにいるのは誰?」
だが、訪ねても応えは返ってこない。ちとせは肩をすくめると、その子どもの側まで歩いていき、横に腰を下ろした。
「どうしたの? こんなところに一人で。おうちの人はどこ?」
「…………」
「お姉さんでよければ、おうちまで送って行ってあげますよ」
ちとせはそう言いながら、内心首を傾げていた。自分は子どもが好きではなかったはず……普段ならこんなおせっかい、絶対にやいていない。
「……帰れないの」
ちとせはそのか細い声を聞いて、あら、と思った。顔が隠れていて見えなかったため、この声を聞くまで女の子だと確信が持てなかったのだ。年齢は十かそれくらい、首も手足も細い子で、髪の毛は肩のところでバッサリ切っていた。
子どもの声が今にも泣きそうな響きを持っていたので、ちとせはそっとその背を撫でてやった。
「迷子なの? でも、大丈夫よ。一緒に帰り道を探してあげるから」
「そんなの無理だよ。だって、わたし、もう、飲まれた後なんだもん」
「えっ」
ちとせはギクリとした。頭を上げた子どもは、彼女の顔をしていた。ちとせと同じ顔の少女は能面のような無表情で言う。
『捧ゲロ、スベテヲ! 恐怖、恥辱、哀惜、絶望! 泣ケ、叫ベ! 無力感ニ打チ震エロ! 怒レ、呪エ! 怨嗟ノ慟哭デ我ガ飢エヲ満タセ!!』
「きゃあっ!」
暗闇から現れた何本もの触手がちとせの体に絡みつく。
『ハハハハハ! オ前ノ絶望モ ヨコセェェエ!』
「いやぁあああっ!」
ちとせの衣服が引き毟られ、白い裸体があらわになっていく。触手たちはそれを待ち望んでいたように、ちとせに群がり、そして彼女は絶望の声を…………上げなかった。
「何これ、そういうプレイなんですか? いいですけど、痕つけないでくださいね?」
『ハ……』
「だからぁ、遊んであげますって言ってるの!」
『…………』
ソレは慄いた。これまで幼気な少女や若い娘たちを蹂躙し、凌辱し、声も枯れるほど泣き叫ばせてその体を引き裂いてきたが、こんな穢れた女は初めてだった。少女たちの壊れやすい繊細な心とは真逆のしたたかでしなやかな生命の息吹……これまで溜め込んできた負のエネルギーを根こそぎ持っていかれそうな恐怖に、この土地に縛られていた蛇神は震えた。
「どこに行くの? あ、もしかしてソッチの方がお好みですか? 大丈夫、わたし経験者ですから!」
『ヤ、ヤメロ……! 近ヅクナ!』
「痛く、優しく、天国に送ってあげますね」
『ヤメロ~~~~~~!!!!』
◇◆◇
一夜のうちに村一つ、そのすべてが飲み込まれ地底湖に沈んでいった。
冴えわたる湖面には翳りなく、白く丸い月が映されていた。
と、そこへザブンと水面をわけて現れたのは、男の頭だった。
「ぶふーっ! なんだコレ!? どうなってんだ? ミカ! ミカー!」
『ぷは~~~っ! 天さん! 助けて、あたし泳げないんです! 息が! 息が~~~』
「いや、お前は息してないだろ!」
鳥船とミカが一番乗りに現れて漫才をしている間にも、タケル、キイチ、ちとせが順に顔を出す。なぜか全員大きな怪我もなく、無事だった。
「ちとせちゃ……!?」
「あら、わたしどうして裸なのかしら」
ちとせが不思議そうに言い、見事な双丘を持ち上げて見せる。
「隠せよっ!?」
『天さん、見ちゃダメっ!』
鳥船のツッコミに慌ててミカが鳥船の両目を手で塞ぐ。あいにく彼女の半透明な手では目隠しにはならないのだが。
「ひょ~、いい眺め~!」
「キイチっ、少しは遠慮しろよ!」
青年二人がもみあう。
しかしこのままどうしたものかと思っていたところへ、四人と一体の元へとやってくるモーターボートの音が聞こえてきた。そこに乗っているのは何故か神社の神主のような衣服をまとった男たちと、黒子衣装の男たちだった。




