リレー ⑰ 貴様 二太郎
※ ※ ※ ※
僕は、この村が大嫌いだった。
日々のささやかな幸せに喜び、困窮している者には手をさしのべ、神に祈りと感謝を捧げる敬虔な人々――僕はそんな村人たちが、大嫌いだった。
「多慶琉、聞いたか?」
「紀千か。……ああ、聞いてる」
境内を掃き清めていた僕の前に、兄弟子である紀千が顔を輝かせてやって来た。
「神使の阿様と吽様のことだろ?」
「近いうちに代替わりになるってさ。オレ、次の神使に立候補する。オマエは?」
「しない。つか、オマエも考えなおせよ、紀千。アレは……」
暗い水底から這い上がってきた、アレ。神々しいなどとはとても言えない、むしろ禍々しいとしか言えない、アレ。
脳裏に過った異形を打ち消すように頭を振ると、僕は気持ちを切り替えたくて、澄み渡る冬の青空を見上げた。
「お前は龍神様のお姿、見たことあるんだっけ」
「……うん。でもアレは、神様なんてもんじゃない。むしろ――」
「そんなこと言ってオレを引かせようったって、そうはいかないからな! オレは次の神使になって、村の奴らにオレのことを認めさせてやる。ぜってーに!!」
「紀千! でも――」
――また、怒らせてしまった。
走り去る紀千の背中に、僕は今日も手を伸ばすことができなくて。
――なんで……どうしていつも、こうなっちゃうんだろう。
僕と紀千は、この村の湖に住む龍神に仕える覡の一人。とはいえ、下っ端も下っ端だけど。
僕と紀千には親がいない。いわゆる孤児ってやつだった。で、それが原因なのか、それとも他に原因があるのか。とにかく村人たちは、僕と紀千を村の輪の中へと入れなかった。
不思議だった。彼らは村の者なら全員家族だとでも言うかのような親密な関係を築いてたってのに、僕たちにはそれが適用されなくて。
――紀千は、まだ希望を持ってるの?
僕は、早々に諦めた。僕のことをいらないっていう奴らなんて、僕だっていらない。でも、紀千は違った。アイツは、なんとかして村人の目を自分に向けさせようとしていた。
――僕は、今すぐにだってここから逃げ出したいのに。
この一年、僕は何度も村を出ていこうとした。けど、その度に必ず邪魔が入って出ていけなくて、その度に村人の監視の目も強くなってって。
――それに、アレは……あんなもの、龍神様なんかじゃ絶対ない。
一年前、十三になった年の正月……僕は、見てしまった。どす黒い湖の底から這い出てきた、アレを。
一年前――
「アイツ、今度の正月も出るんかね?」
焚き火に手をかざしながら、紀千がぽつりとつぶやいた。
「アイツって……新月の化け物?」
この村には、村人ならば全員知っている、ある化け物の話があった。
新年を迎えて最初の新月の日、ソレはやって来る。だからその日の夜は、決して家から出てはならない。目を閉じ、耳を塞ぎ、ソレが立ち去るのを静かに待つ。
けれど、なぜか毎年一人は必ず連れていかれてしまっていた。どんなに言い含めても、どんなに気を付けていても、数えで十三になった子が、必ず一人。
「そいつに捕まって、もし目が合っちまったら……」
「合っちまったら?」
「正気を失うらしい。ほら、去年の正月にも出ただろ。新入りの覡で、朝、厠の前で小便漏らしたまま笑ってたアイツ……」
焦点の合わない目で、ひひひ、ひひひと笑っていた少年。彼は、その前日まで同じ釜の飯を食っていた一人だった。
「今度の正月は誰がいなくなんのかね。もしかしたら、オレかオマエか……」
「やめろよ!」
紀千とそんな会話をした数日後、正月を迎え、僕らは十三になった。
「……うぅ、もう無理!」
その日、僕は珍しく夜中に尿意をもよおしていた。いつもなら朝までぐっすりなのに、なぜかその日は夜中に耐えがたいほどの尿意が襲ってきていて。
暗闇に塗りつぶされた真冬の丑三つ時。僕は手提げ行灯に火を入れると、恐る恐ると厠へ向かった。本当は紀千についてきてほしかったけど、この年になってそんなことで泣きつくのはさすがに格好悪すぎる。
びくびくしながらもなんとか用を足し、さて帰るかとなったその時――
おぉぉおぉぉおおぉぉぉ……
それを聞いた瞬間、僕の背筋を悪寒が走りぬけた。
――今晩は、新月だ。
なぜ、今の今まで忘れてたんだろう。今日は年が明けて初めての新月の夜。今朝からみんな、あんなに警戒してたってのに。なのに、僕はなぜかそれを忘れてた。
おぉぉおぉぉおおぉぉぉ……
声が、大きくなった。近づいてきてる。それを証明するかのように、厠の外では何かを引きずるような、ずりっ、ずりりりりっという音までしてきた。
――今年は、僕が!?
怖い。怖い怖い怖い怖い怖い。
はぁぁぁ、はぁぁぁというソレの息づかいと共に、生臭いにおいが鼻を突く。肉が腐ったような、澱んだ沼のような、吐き気をもよおす穢れの臭い。
厠の中で息を殺し、耳を塞ぎ、自分の存在を消す。気づかれたらダメだ。気づかれたら、僕も連れてかれる。
どれくらいそうしてただろう。ふと気づくと、ヤツの気配が少し遠のいていた。助かるかもしれない、そう安堵の息をもらした瞬間――
「ああああ! やだ、来るな……来るな、あぁぁぁああぁぁ!!」
外から、僕じゃない誰かの悲鳴が聞こえてきた。でも、僕はちょっも動けなくて。
「ひひ、ひひひ……ひひ」
やがて悲鳴は引き笑いへと変わり、新月の恐怖が終わったことを告げた。
僕は大きく息を吐き出し、笑った。誰かが犠牲になったすぐそばで、笑っていた。最低だけど、助かったと思った。それが、正直な感想だった。
――誰が連れていかれたんだろう?
全て終わったものだと思って、僕は油断していて。だから、厠の扉を無造作に開けてしまった。
「ひっ……」
だけど、ソイツはまだそこにいたんだ。哀れな犠牲者の前で、ソイツは蛇のような、肉色の節くれ立った数多の触手を蠢かせていた。
――そいつに捕まって、もし目が合っちまったら……
僕の持つ行灯の灯りで、その肉塊はてらてらといやらしく闇に浮かび上がっている。僕はとっさに目をそらした。けど、ソイツは僕に気づいてしまっていて。
ずりっ、ずりりりっ
どうしよう、どうしよう、どうしよう! 気づかれた、僕も連れていかれる!!
ずりっ、おぉぉ、ずりりっ、はぁぁぁ、ずりっ
目を閉じて耳を塞いでも、ソイツは今度こそ僕を見逃さなかった。うなじに、生臭い息がかかる。
『ツギ、ハ……あぁあぁぁ』
じゅうっという音と共に、うなじに焼けるような痛みがはしる。
『おぉぉぉオン、シ……ひひ、ひひひ』
それだけ言うと、ソイツは湖の方へと去っていった。湖――そこは、この村の守り神が住む場所。それで、僕は知ってしまった。この村の人たちが祀っている、神の正体を。
あれから一年。僕は、何度もこの村から逃げ出そうとした。紀千にも全てを話し、一緒に逃げようと説得した。けど、だめだった。あと数日で新年。僕は、今度こそアレに連れていかれるんだろう。
そう、思っていた。けど、僕は連れていかれなかった。新年最初の新月の前に、次の神使に指名されたから。捕まることには変わらなかったけど、少しだけこっちの方がマシだった。
アイツの神使は他とはちょっと違っていて、一般的な狐や蛇のような獣ではない。アレに仕えるのは人間、その魂。そしてこの神使は、ある一定の期間で代替わりしていた。
人間の魂だからか、アレの穢れのせいなのか。真相はわからないけど、アレに仕える神使たちは必ず気が狂う。だから、代替わりが必要になった。今の阿様と吽様も、とうとうおかしくなってしまったらしい。で、僕と紀千が次の神使に指名されて……
「そんな莫迦な! 術が、歪められて!?」
薄れゆく意識の中、宮司の悲鳴が聞こえる。
『悪いんだけど、私たちは逃げさせてもらう』
「ふざけるな! だが、全てお前達の思い通りになどさせるものか!!」
怒声、祝詞、呪詛。色んなものが周りで渦巻いていて、それらは僕の中に流れてくる。
――こんな村、滅びればいい。滅びてしまえ。
僕は、この村が大嫌いだった。
自分達の幸せにしがみつき、手をさしのべるという名目で監視しあい、穢れた神に呪いと生け贄を捧げる残酷な人々――僕はそんな村人たちが、大嫌いだった。
そして最後に誰かが入ってきて、僕の意識は消えた。
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