第6話 そこにまともな奴なんていない
時は少し戻り、アランとヴィクターが修練をしていた頃―
■■■
「……っつ!!」
カツンカツンと剣が交じり合う音が鳴り響く。最初は両者譲り合わない闘いだったが、試合が進むにつれ、ヴィクターに軍配が上がりつつある。
(……一撃一撃が重いというよりはバランスが取れている。全く隙を見せないっ…!)
アランと、ヴィクターの目が合う。
ヴィクターは軽く微笑み、再度アランに向けて短剣を構え直した。
その姿は誰も片腕をなくした、隻腕の騎士とは思わせない力とバランスのとれたものだった。
2人はお互いのスピードに関心しながら、超接近距離のスピード戦を続ける。それはたった一度で勝負が決まると言わんばかりの殺伐とした攻防戦で、激しい攻撃が幾度もなく交わされ、剣の混じり合う音が部屋に響く。
((……バランスを崩さないと))
二人の考えていることは全く同じだった。
だが、先に動いたのはヴィクターだった。彼は、ニヤリと笑いアランの方を一瞥すると姿を消した。姿を消したというよりは、アランの視界から消えたというのが正しいのかもしれないが。つまり、今までとは比べ物にならない速さでアランを追い詰めてきたのだ。
アランは彼の動きを目で追うのがやっとだった。と同時にアランはヴィクターの動きが人間の動きとは思えないでいた。
アランはヴィクターの動きを目で追うことをやめた。それは敗北を受け入れたからではなく、反撃にでるための準備。アランは目を閉じ、精神を集中させ、ヴィクターの気配を探ろうとした。それが簡単ではないことくらいわかっている。だが、アランには考えがあった。彼が隠密のスペシャリストであるということ。だからこそ、最後の一撃で決めようとするのではないかと。
「……」
アランはなんとかヴィクターの攻撃を受け止めた。
だが、そう思ったのは束の間。脇腹に蹴りの一撃をくらってしまう。
すると、様子見をしていたマリが声をかけてくる。
「見事だったぞ、ヴィクター」
「いえ、まだまだですよ、隊長。それより、流石、隊長の弟君。読みがうまいですね」
「そうか? でもヴィクター、お前本気出してなかっただろ?」
「はて? なんのことやら」
ヴィクターはそう言って笑っていたが、これで本気を出していないなんて冗談じゃない。
「安心しろ、アラン。こいつの速さについていくのは私でも難しい。そこにいる彼女でさえもな」
マリがさす方向には第二部隊のエースのひとりである、玲がいた。玲は同じく第二部隊のエースである凛とともにコンビを組んでいる。凛と違い、基本的に仕事以外でも口数が少ない。暗殺者らしいといえばらしいが。本人曰く、子供の頃にうっかり口を滑らせてしまったため、以後口数を減らしたそうだ。
彼女はアランと目が合うと軽く会釈した。
「……お久しぶりです。マリ大佐、アラン少佐、そしてヴィクター殿」
意外にもヴィクターと玲は顔見知りだったようだ。
「ヴィクター殿は本当に昔から変わりませんね。今の最後の一撃、アランさんでなければ死んでいましたよ」
「死んでたら、そこまでのレベルってことだ。仮にもここ第三部隊の副官になる人間だ、ある程度対応してもらわないと困る。剣が時代遅れなのはわかってるが手元にあるものはなんでも使わないと、ほらアレだろ。まぁそういうことで。それに一撃を入れるまでの手合わせで筋がいいことはわかってたし、僕のスピードを見た後でも冷静にいられたんだ、別に構わないだろ?」
「じゃあ、アランは合格ってことでいいか?」
「ええ、これ以上のやつはなかなか居ないでしょう。隊長の弟殿は合格です」
マリの問いかけにヴィクターは応じる。
一方、アランは状況についていけず、困惑していた。それを見かねた玲がアランの不思議に思っていることを解決してくれた。
「アランさん、今のは試験ですよ。貴方が副官としてふさわしいかのね」
「……試験? 副官といえば随分と長く空席ではなかったっけ」
「ええ、ですからこの度上からの命令で副官を決めろとのことで」
「何かあったのか?」
「詳しいことは言えませんが、上はお姉さんを宙ぶらりんにしておく気はないそうです」
「あぁ、言いたいことはわかったよ……」
アランの声には憐みが込められていた。
と、同時に「ああ、またか」という思いとともに。
「ほかに聞いておきたいことは?」
「ヴィクター殿はどういった方で?」
「やっぱり気になりますよね。これも詳しくは話せませんが昔、軍で有名な方でした。あと、私の師匠でもあります」
そういうと、玲は過去の思い出を思い出したかのように微笑んだ。
「いや、悪いね弟殿」
「いや、別に構わないのですが、正直僕じゃなくても良かったんじゃないかなぁと思って」
「ま、なにせここは『落ちこぼれの第三部隊』だ。社会不適合者の烙印を押されたやつらばっかが集まって、そいつらが上に歯向かってきたらどうする? 上はそういうのを恐れてるんだよ。なにせここは上の監視の管轄外だからね。んで、一様隊長は僕らの意向を汲み取ろうとしてて、僕に試験をさせたわけだ」
「落ちこぼれ、ですか。今の手合わせではそうにはみえませんでしたけど?」
そういって、アランは苦笑する。
「だから言ったでしょ? 僕らは社会から追い出された身だって。それ以上でも以下でもないんだ。残念ながら『表』は僕らにまで優しい世界じゃないからねぇ」
「副隊長はどうみる? この世界を、いや、『表』の行き着く先は」
アランはヴィクターの問いに答えることができなかった。ヴィクターはそれに構わず続ける。
「僕はね、この世界が恐ろしいんだ。情けないことにね。この国はコミュニタリアリズムからはじまった。なのに今は『共通善』の押しつけあいさ。まぁ上層部が出来てからは、共同体主義が崩壊してしまったと言ってもいいだろうね」
アランは黙って話に耳を傾けていた。
「上層部の爺どもは大禍災の後で確実に変わってしまった。『他人に優しい世界』とやらを押しつける具合にね。だが、その隣人とやらに『裏』の人間は含まれるのかっていうと」
「つまり、ナショナリズムだと?」
「まぁ、そうなりつつあるとも言えるかもしれないね。上は他国への干渉を継続するか否か審議中だ。というわけでそんな疑問を呈した僕は見事に烙印を押されたってわけだ」
ヴィクターは心境を吐露し終わると、「これでお暇させていただきます」と一言申し、軽く会釈し部屋を出ていく。
その間、何やら話し込んでいたマリと玲はそれに気づき、アランに声をかけた。
「アランさん、少しばかりお姉様をお借りしますね?」
「はい……? どうぞご自由に」
■■■
アランは今し方のことを後悔している。何故野暮用に姉を行かせ、自分は付いていこうとしなかったのかと。
「……その『野暮用』とはこのことですか?……姉上、答えてください。なぜ、なぜここに、凛がいるのですか?! それも僕がまだ入ったことのない執務室の奥の隠し部屋で、堂々と」
「仕方ないだろ、凛はそういうやつさ」
「うわぁ、マリ大佐辛辣……凛ちゃん悲しくて泣いちゃう」
「勝手に泣いてろ、と言いたいところだが先に話を聞こうか」
と、マリが言い、空いている椅子に座るようにアランたちを促した。
「冗談はさておき、昼間の質問にお答えすると、現状は異常なしとのことです」
「現状は、というと?」
「―玲によれば、鼠が一匹迷い込んだようです」
「ほう、この監視網を突破するとはいやはや脱帽だな。ところで、それはいつ頃のこと?」
「師匠によれば一週間ほど前かと」
「師匠といえば、凛は誰に稽古つけてもらったんだ?」
「はぁ……正気ですか、マリ大佐。まさか、彼に何も伝えてないんですか」
アランのとぼけた答えに凛は小さく吐息をこぼし、それ以上の追及は諦めた様子で前を睨みつける。
「私の師匠も、玲の師匠も同じです。これであなたの望む答えは得られましたか?」
アランは凛の答えに対して顎を引く。確かによく考えればわかることだったとアランは反省した。
凛はその瞳をそっと細めてアランを眺めて、それからわかりやすく肩をすくめて首を横に振ると、
「......呆れました。本当に彼を巻き込むつもりですか? 本当にそうなら彼には申し訳ないですが、とりあえずご愁傷様です」
突然「ご愁傷様です」と皮肉めいたことを言われ、アランは面を喰らう。というか、僕には逃げる選択肢が残されていないのではないかと、危機感を覚える。というか、何度目のことかという既視感。
そんなアランのことはつゆ知らず凛とマリは話を進めていく。
「お前は勘違いしているようだが、巻き込むつもりと言っても、奴らとは立場が違う。味方になったわけでもないし、私達は第三部隊として行動する。個人的にはこのコミュニタリアニズムの崩壊がどこへ向かうか見ていきたいだけだ。当事者ではなく傍観者としてな」
「本当に『表』出身ですかと、疑いたくなるくらいですね。……ですが、『表』の人間として巻き込まれるのは必然ですよ」
「だから、お前たちから情報を買ってるんじゃないか」
「それはどうも。今後もどうぞ御贔屓くださいね」
「じゃあ、アランに説明よろしく」
だが、アランが凛から状況を聞くとこは出来なかった。何故なら、凛の部下と思われる者が慌てて凛に駆け寄ってきたからだ。
「どうしたの? そんなに慌てて」
「た、大変です。落ち着いてお聞きください!」
「まずはそっちが落ち着きなさい。戦況が変わったの? それとも他の事情? ゆっくりでいいから、落ち着いてから話して」
そう言って、凛は部下を落ち着かせる。
深呼吸した部下は幾分か落ち着いた様子で言葉を発する。
「……じ、実は、ねずみにやられました……」
「……」
「対象が連れ去られたとのことです……」
部下からの報告をきいた凛は呆気にとられ、マリは頭を抱えているようにみえる。
「……わかった。報告ありがとう。とりあえず下がりなさい。会議を続けるから」
「いや、その必要はない。悪いが会議は取り消す。すまないね」
一連の会話を聞き、マリは静かに席を立つ。
「姉上、どちらへ?」
「もちろん、逃した獲物を取り返しに」
その次の瞬間にアランは背筋に走るゾッとするような寒気を感じていた。マリは微笑んでいたのだ。が、それは獰猛な狩る者の笑みであり、獲物を眼前に見出した餓狼さながらの随喜だった。
彼女は呆気に取られていたわけでも、侵入者に心配していたわけでもなかったのだ。
(……ほんとうに、私を楽しませてくれる)
彼女は化け物の如く笑っていた。
さて、狩りに出かけようではないか。