第3話 彼女と彼と優しさと
彼女__霜月テンは、『世界』に復讐するといった。
平和な『表』の世界を壊すと。
それが悪いことなのかどうか、俺には判断がつかなかった。普通なら『表』の人間として真っ先に「人々のために世界を守る」という正義を謳っていたかもしれない。
だが、俺には、誘拐犯である彼女が悪いやつかと訊かれて、「はい、そうです」と答える自信がなかったし、『表』の世界にそれほど愛国心があるわけでもなかった。
そもそも善意の押しつけられる『表』で、俺は異質だったと思う。誰も彼もがお互いのことを気遣うこのご時世。俺もその優しさを受け取っていたが、同時に『表』の側面も知っていた。
「汝、隣人を愛せ」
それが当たり前である世界。それが『表』というものだった。
だから、俺もそれに従う。他人に優しさを、思いやりを。
だが、俺はその優しさを全て受け取ろうとしなかった。立派な大人になんてなりたくなかった。そして、孤独を選んだ。
なぜなら、俺は罪を犯したから。だけど、誰もそれを咎めることもなく、むしろ、俺に哀れみの目を向けた。俺が欲しかったのは同情でも、哀れみの目でもなかった。
だけど、それを与えてくれる人はいなかった。
俺は「優しさ」に疲れ果てていた。
先の彼女の問いかけに関して、俺は協力者になるとも、ならないとも伝えなかった。その濁った答えは「保留」というカタチにまとまったが、俺の中ではさらに混迷を極めていた。
嫌っていた「優しさ」から抜け出せる機会であるはずなのに、俺はまだ決断できずにいた。
それは「社会貢献」を諦めずにいるから? それとも『表』に何かを置き忘れてきたから?
否、どちらでもない。
ただ、俺が臆病者だからだ。未知の世界である『裏』を心のどこかで恐れているのだろう。
それを伝えたら彼女はなんで思うだろうか、というどうでもいいことを思ったが、そのうち俺は眠りについた。
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「坊主、眠れんのか?」
「いや、ただ思い返してただけ」
間違ったことは言っていない。ただ悩んでいたことは、なんとなく伏せたくなった。
「まぁ、あんまり思い悩むなよ」
「え?」
「坊主の顔見てたらわかるさ。『表』の人間は大抵そうさ。今のうちに隠すことを覚えておいたらいいんじゃねえか」
「リュールは…『表』の人間とよく会うの?」
「そりゃ、情報や依頼があるとこにはいくからな。『表』の奴らはほとんど顔を出さねえが、戦場ってなると話は変わる。まぁほとんどが『表』から抜け出したやつばっかだがな。
別に俺は姉さんと違って『表』のことが嫌いなわけじゃねえんだ」
「そうなんだ…」
「―ま、明日は朝早くに出るからな、今のうちに寝とけ」
彼はそれ以上何も聞くことはなかった。『表』の住人ではない、彼は、俺のテリトリーに侵入してこなかった。ただ、それが今の俺にとってはありがたかった。
「これは俺の独り言だが、こっちのことは考えるな。坊主はお前さん自身のことを気にすればいい」
そして、彼はしばらくして見張りの仕事に戻っていった。
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「―姉さんも、ずいぶんと丸くなったもんだ」
「…うるさい」
「アルフィーになれって、まったく姉さんのお願いじゃなきゃあんなことをしませんよ。柄じゃないのに」
「私にはあんな言葉吐けない。リュールの方が適任と思ったから」
「吐けるけど吐かないの間違いでしょ。
…お前は『優しさの仮面』は嫌いって言うけど自分は仮面を使いまわしすぎだ」
「…リュール」
二人が静寂に包まれる。
「…私が依頼主で、アンタは情報屋兼雑用。あの頃から変わったの、アンタも私もね」
「わりぃ、姉さん。見張り交代だ」
「じゃあ、後は任せたよ、アル」
「「おやすみ」」