第1話 彼女はいい加減である
俺は現在、絶賛誘拐され中である。
しかし、この言葉は本来の意味が抜け落ちた間違った使い方であり、数百年前の若者がSNSと呼ばれるコミュニケーションツールで使われていたとかなんとか。
本来の「絶賛」の意味に即した使い方は「絶賛上映中」「絶賛発売中」と言うように高い評価を受けている、といういう意味を含めて使う。そんなことはさておき俺が誘拐された理由なのだが、俺自身よくわかっていない。それを知っていると考えられる彼女は旧式の電動バイクを運転している。
先程「喋るのはいいが、舌を噛みたくなければ黙ってろ」と言われて、なんだか怖くなったので、指示に従うことにした。
その結果、彼女から誘拐理由を聞き出すことが出来ずじまいとなったというわけである。
彼女の暴走は10分にも及び、辿り着いた先は人工的に造られた森ではなく本物の森であった。
彼女は到着時に腕に付いているHealtCareを確認する以外何も俺にしてこない。手錠も目隠しもなし。彼女は、本当に俺を誘拐するつもりがあるのだろうか。
だが、俺に逃げ出すという選択肢はなかった。ここは俺にとって未開の地。俺の常識の通じないところで下手に手を出すと、今の状況を崩しかねない。
そして、彼女が先程口にした「オフライン」という言葉。HealtCareが機能しなければ俺の命は危機的状況下にあるだけではなく、助けを呼ぶことすらできない。
ただ、『裏』に連れていかれる前に手を打たなければならないのも事実だ。
「『表』の人間のクセにやけに冷静ね。自分の置かれた状況がわかる子でよかった」
考えている様子の俺をみて彼女は言った。
「今は聞きたいことが山ほどあるでしょうけど、少しばかり待ってて。あと、オフラインだけどHealtCareで心拍数と体温はわかるから確認しといて。何かあれば知らせなさい」
「それから、これを羽織っときな」と言ってメッシュパーカーを投げた。
案外、彼女は優しい人間なのかもしれない。と思ったことをのちに後悔する羽目になることを俺ははまだ知らなかった。
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「さ、着いたわよ」
彼女に促されて踏み入れた先は「テント」だった。驚いた俺をみて、
「なんて旧式な、と思ったでしょ」
と笑いこけている。
すると、テントの中から男の声がした。
「…姉さん、そこの彼驚いてるよ。どうせアンタなんも説明してこなかったんだろ?ホントいい加減な」
彼は彼女を尊敬しているようでしていないようだ。そして、彼は俺の方を向き、
「坊主、疲れただろ?
いつものことだから、姉さんのことはほっといて、中に入らな。狭いけど、茶ぐらい出すさ」
坊主じゃねぇしと思いつつ、俺は彼女を放置して彼の後についていくことにした。
「そこに置いてあるタオルを使ってくれていいから」と言われ、そのご厚意に甘える。彼女から借りたパーカーを脱ぎ、タオルで汗を拭き取ろうとすると、彼は驚いている様子だった。
「聞いてはいたが、『表』の人間は思ってた以上に肌が白いんだな」
「そうだろ?『表』は『裏』と違って紫外線を気にすることもないし、こっちの身としては有り難いものよ」
「確かに『裏』の女は喜ぶだろうね。まぁ姉さんは元から肌が白い方だから別にだろうけど」
「そりゃ、どーも」
そういいつつ、テントに入ってきた彼女は先ほどの様子とは打って変わって真面目な雰囲気を醸し出していた。
「…え、お姉さんの肌が白い…?」
あ、思わず思っていたことが口に…
「…そこは受け流すところよ、トアン」
俺の言葉に、彼女は表情を少し曇らせる。
「ぶはっ!!! 全くそうだよな」
彼は豪快に笑って俺の背中をバシバシと叩いた。
ん、それより彼女、俺の名前を呼ばなかったか?
「へぇ、坊主の名は『トアン』って言うのか。親がケルト好きだったとか?」
「…ケルト神話…か? あいにく、私は無神論者でね、興味がない」
「おいおい、姉さん、神話と神っていうのは違うんだぜ?」
彼の言葉が俺の疑いが正しいことを伝え、彼女の言葉が最終的な判決を促した。
間違いない。彼女は、俺の名前を前から知っていた。やはり、誰でもいい、無差別な誘拐ではなかった。俺というターゲットが存在していたわけだ。
「ああ…そういえば姉さん、何も説明してなかったんだっけ」
「そうだね、忘れてた。ついうっかり」
彼女は平謝りしているが、反省の色はうかがえない。まあ、俺も先ほど失言してしまったようなので、ここはそれで痛みわけとしよう。
それより、彼女は本当にいい加減過ぎる。本当にうっかりだとしたら、「こいつ、よく誘拐できたな」と感心するレベルだ。