抜け駆け
オリヴィアが翔太への気持ちをはっきりと自覚するようになった頃、別の場所ではもうひとつの物語が進行していた。
「ついにやりました。ウフフ」
薄暗い部屋に響くは聴く者数多を魅了させるような美しき笑い声。
彼女は長い時間をかけて練り進めていた計画がいよいよ最終段階へと移行したことに対する喜びからかついつい言葉を零してしまったのだった。
「明日が楽しみでございます」
白銀の長髪を靡かせその場を後にする絶世の美女。
彼女の笑い声が谺響するその場に残るのは無数の死体だけだった。
──〇〇〇〇──
「ヒドイですよクハクさん!ゴールは同時にって言ったじゃないですか!」
「嗚呼、先輩。ワタクシも大変申し訳なく思っているのですが、こればっかりは譲れませぬ」
「抜け駆けです!インチキです!」
今この場にいるのはネギまとクハク。翔太の従魔たちである。
そして、なぜネギまが怒っているのかと言えば、クハクが先に人化の術を覚えて、抜け駆けしようとしているからに他ならない。
「今晩は主様と遠出する故、リシア様達にもそうお伝え願いたく存じます」
とても幸せそうに語るクハクに対し、ネギまの方は悔しさやら嫉妬やらで顔を赤くしている。
当然ニワトリなので元から顔は赤いのだが。
「許すわけないです!先輩命令です!その姿でご主人様に近づかないでください!」
「そんなぁ!あんまりでございます!」
「私はちゃんと先輩として命令しましたよ?後は好きにしてください!」
その言葉を聞いてクハクはがくりと項垂れる。
先輩としての命令。それはつまり翔太からの命令である。
クハクは翔太から上下関係に関してはしっかりと教育されており、ネギまの意に沿わない行動をすることは翔太への裏切りになるのだ。
普段はネギまがこのような私情を持ち出すことはないし、翔太自身もそこまで強固な約束として縛っているわけでもないのだが、根が真面目で翔太に従順なクハクにとっては大きな枷となる。
──が、彼女は頭が良く、何より簡単に諦めるような器ではないのもまた事実。そして、狐である。
「近寄れないなら近寄ってきてもらえばいいのです」
彼女はふっと口角を上げると飛んでいくネギまに一礼するのだった。
「あーれー!足が痛くて動けませぬー」
迫真の演技だ。クハクは幻術で偽装した涙で頬を濡らすと斜め45度の上目遣いで己の主を見つめる。
クハクが教会の外で30分ほど待機した頃、敬愛すべき彼女の主が地下から顔を出して来たのだ。
「……?大丈夫?」
ピクニック中のお姫様達を呼び戻すために翔太だったが、目の前で困っている女性を見つけ、心配そうに駆け寄る。
クハクが人化の術を使った場合、見た目は獣人族と変わらない。
違いがあるとすれば、人では考えられないような美しさであるということ、九つの尾を持っていることだろうか。
今は正体がバレないように更に幻術で尾を八つ消しているため、ただの獣人族にしか見えないだろう。
「リシア様に虐められてしまいました故、少々お手をお借りしたく……」
そして、このタイミングで目尻に溜めていた涙を頬に零す。
……ワタクシながらベストタイミングでございます。
計算通りです。
「そっか。お疲れ様!今日も大変だったな」
翔太は優しそうに頬を歪ませてクハクに手を差し伸べる。
「きゃっ」
クハクは立ち上がると同時に素早く翔太の足を払うとそのまま覆い被さるように倒れた。
「も、申し訳ありませぬー」
「いや、いいんだ」
仮にも聖獣だ。例え毎日修行しているとは言えど翔太とのステータス差は広い。
故に高速で足をかけられても翔太には感知することができず、そのまま倒れることしかできない。
鼻先が触れるほど近くには愛する主の顔があるという事実に興奮したクハクは脳を溶かすような甘い吐息を吐きながら翔太の目を見つめる。
「ハァハァ……」
クハクはいつものようにだらしなく吐息を零しながら翔太の首へと舌を伸ばす。
「え?おい、おい!」
何かがおかしいと気づいた翔太はクハクを引き剥がそうとするが──離れない。
「あ?ちょ、まって!めちゃくちゃ力強い!」
じたばたと暴れる翔太を押さえつけ、もはや自分の世界に入り込んでしまったクハクはいつものように主の汗を舐めようと、唇を近づける。
まさか、翔太も普段犬のようにハァハァ言っているクハクが興奮しての事とは思っていないだろうし、ペロペロと舐めてくるのが、動物としての行為ではなく、性癖としての行為だとは思ってもいまい。
よって、普段の狐状態でならギリ許されるような行為も、人の形をとった今の彼女が行えば、十分犯罪的な画になる。
「ヘルプ、ヘルプ〜!」
悲鳴を上げる翔太。暴走するクハク。
二人だけの大人の世界に、突如として亀裂が入る。
「おい女狐、貴女は一体何をしているのでしょうか?」
「……こんっ!」
背後からただならぬ殺気を感じたクハクは身を縮めて振り返る。
「せ、先輩。こ、これはですねぇ……」
「その姿で近づかないと約束しましたよね?」
「いえ、近づいたのは私ではなく……」
「しましたよね?」
「は、はひぃぃ……」
結局クハクが考えた言い訳も先輩の威圧の前では塵と等しくサラサラと宙を舞う。
が、彼女のメンタルを先輩ことネギまは少々甘く見ていたのかもしれない。
「嗚呼、主様ぁ。ワタクシは先輩が怖いのでございますぅ」
豊満な胸を押し付けるようにして更に翔太ににじり寄るクハクにネギまは絶句し固まってしまう。
未だに状況が掴めていないのはこの場で翔太のみ。
今わかっているのはせいぜい美女に押し倒されたと思ったら、その美女がニワトリに説教されているという摩訶不思議な状況だけである。
「えっと、ネギま?この子知ってるのか?」
「はい。彼女は人化したクハクです」
「え?クハク?」
「左様でございます、主様。もっと主様のお傍に置いて頂きたく、こうして人の形をとっているのです」
上目遣いで翔太の顔を覗き込むクハク。
「いい加減にしてください!」
「ひゃうっ」
ネギまは今は1つしかないクハクの尻尾に噛み付くと、そのまま引き剥がすようにして森へと飛んで行く。
結局、よく分からないままその場に取り残された翔太は外に出てきた理由も忘れ、ソワソワしながら部屋に戻るのだった。
──〇〇〇〇──
「絶対に諦めませぬ」
クハクはネギまに説教されている間も次の作戦を練っていた。こういった強かさは飼い主に似たのだと言えよう。
説教を終えて、飛び去ったネギまに正座したまま一礼したクハクはふっと口許を歪める。
「ワタクシ自身ではなく、他の人間に化けてしまえば良いのです」
クハクは知っていた。
学園にお供していた時から、オリヴィアが翔太に一種の思いを寄せている事を。
そして運がいい事に彼女は今、主との愛の巣に滞在している。ならば──
ポンっと煙が舞うと、クハクはオリヴィアと瓜二つの姿へと変化した。
「この姿なら何をしても先輩に怒られる事はありませぬ」
お読み頂き、ありがとうございます!
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