お前の正義は誰の得になる?
断末魔、血の匂い、転がる死体。
異世界に転移した俺を迎えたのは美しき女神でも、はじまりの街でもなく……。
──戦場だった。
その光景に耐えられなくなった俺は足元に目を逸らす。
「うぇっ……ゲホゲホ」
足元には俺がぶちまけた朝食が散らかっていたが、周りを見るよりは全然マシだった。
ごめん母さん。母さんが作ってくれた最後の朝食が俺の栄養になることはなかったみたいだ。
「ちっ、なんだこれ。ノロウィルスか?……いや、ひじきか」
どれだけ時間をかけたかは分からないが、多少冷静になった俺は吐瀉物とのにらめっこを終え、当たりを見渡す。
──本来ならば綺麗な花畑だったのかもしれない。
死体の端々から顔を出す花が俺にそう連想させたのだが、なにせ死体に埋め尽くされた面積の方が広いのだから確かなことは何も分からない。
俺は血濡れになった剣を1つ拾うと鞘に仕舞いその場を移動することにした。
1秒でも早くこの場を立ち去りたい。でなければどうかしてしまうだろう。
既に鼻は効かなくなっている。
急げ──急げ!
早くこの場を離れろ!
俺は自分に言い聞かせながら、脇目も振らずただひたすら走った。
始めはできる限り避けていた死体も今では気にせず踏み抜いて進む。
ここにあるのは人の死体だけではなかった。
小説などでいう、いわゆる魔族や亜人と呼ばれるものの類、魔物と呼ばれる怪物の類なども多く転がっている。
エルフ、ドワーフ、ドラゴン、ゴブリン、オーク、それから獣人も。
それらの死体は──
っ! だからなんだ。まずは自分の命だろ。
「クソ! なんなんだよ、これ」
今朝まで平和な国で生きていたじゃないか。
なのに、なんで俺は──涙を流しながら走っている?
「意味わかんねぇよ」
急に飛ばされた異世界で、死への恐怖に震える。
16年生きてきた中で、こんなにも心が揺さぶられたことはない。
俺にできるのは恐怖から逃げることだけだった。
ひたすら意味の無い自問自答を繰り返し、精神を保つことだけだった。
そして、その時の俺は「だけだった」がふたつあったことにすら気づけないほど冷静ではないのだった。
「うっ……ああああああああああああっ!」
遠くで誰かの叫び声が聞こえる。
その声が俺を少し冷静にさせたのかもしれない。
はっと我に返った俺は周りを見渡す。
「他にも生き残りがいるのか……?」
いや。だとしても、あの叫び声からして、もしかしたらたった今死んだのかもしれない。
だとすれば、そいつを殺した敵がいる。
だけど……女の人の声だった。なら、いかなきゃだろ!
もしかしたら戦争に巻き込まれた無力な人間の可能性もある。
俺は進路を80°ほど変えて再び走り出す。
こんな状況で人の心配ができたのだから、なるほど、俺はもう頭がおかしいらしい。
数分走ったところで荒れ果てた大地の向こうに2つの人影を見つける。
激しくぶつかり合う影は何度も何度も衝突を重ね、片方の影を残して終焉を迎えた。
程なくして残った影も倒れ、その場に立つのは俺だけどなった。
「とりあえず、助けなくちゃ」
俺は少し前まで戦闘が行われていた場所まで走る。
そこには2人の少女が倒れていた。
「……して。……ろして」
白い鎧を身にまとった少女が何かを訴えかけてくる。
鎧は砕け身体中から血を流し、最早死にかけだ。
俺はその少女の傍らに膝をつくと、上半身を抱いた。
「今すぐに、魔王を殺して。早く」
「魔王?」
「そこにいる女よ。手遅れになる前に、早く……」
そう言い残すと白い鎧の少女は意識を手放した。
魔王、それはきっとそこに倒れている長身の女性──いや、少女の事なのだろう。
俺は先程拾った剣を鞘から抜いて恐る恐る近づいていく。
魔王と呼ばれたその少女は、先程の戦闘で大怪我を負っていたらしく、横っ腹から剣を生やし左手を肘の当たりから欠損していた。
「あなたも、ペトラを殺そうとするの? 悪いことなんてなにもしてないのに……。なんでこんな目に合わなきゃいけないのかな。……ねぇ、どうして?」
ペトラ? ああ、多分この魔王の名前だな。
長身といえど、幼さの残る顔をした魔王と呼ばれる少女は目じりに涙をため、俺にそう投げかけた。
まさか情に訴えてくる魔王がいるとは。確かに世界は広いようだ。
残念ながら俺は魔王の問いに答える術を持っていない。だけど、知っている。
「戦争は自分の正義を信じた者が起こす。相手が正義だろうと悪だろうと関係ない」
「生きているだけで悪だと言われた。命を持って生きているだけでそれは罪だって」
「それはお前が魔王だからだだろ?」
「もし、ペトラが魔王じゃなかったらあなたに殺されずに済んだのかな?」
「そうだな、きっとお前はこんなところで、孤独に涙するとはなかったんだろうな」
「そっかぁ、やだなぁ。ペトラは普通に生きたかっただけなのになぁ」
魔王は一筋の涙を零すと意識を手放した。
瀕死の少女は今もまだ息をしている。
だから俺が……
俺がこの人を殺さなければならない。人間のため、世界の平和のために。
きっと俺は
人々に誇られるのだろう。魔王を殺した英雄と。
魔族に憎まれるのだろう。魔王を殺した悪魔と。
俺は自身を蔑むのだろう。少女を殺したクズと。
「それでいいのか?」
あぁ、いいんだろうな。この世界で人間がそうやって生きるのはとても正しいことだ。人である俺が魔王を殺すのは誉められるべき事であって、下卑する事なんてひとつもない。
だけど──
「……すみません」
俺は謝った。──人類に。
できない。
できねぇよ。
……俺は人を殺すような勇気もない、この世界のことなんてなんもわかっちゃいない、ただの日本人だ。
この人を殺すことはできない。
俺の目には運命を嘆くただ一人の少女に見えてしまったから。
「もしかしたら俺は人類の敵になっちまうのかもな」
俺は気を失った白い鎧の少女を背負い、魔王を引きずって深き森へと姿を消した。
※本作品はコメディと下ネタで構成されております。