答えは花に
「うっ……おはよう。キノ?」
「はい。キノです。おはようございますー」
王女を攫ってきて以降ずっと眠り続けていた私のあるじがようやく目を覚ました。
リシア様曰く、風の勇者と戦ってきたらしい。そして、あろう事かその勇者を倒してしまったというのだから驚きだ。
「あるじー紅茶飲みますか? 淹れますよー?」
「お? キノ熱でもあるのか? ゆっくり休めよ?」
「違いますよあるじー! 至って健康ですー!!」
健康でないのはどう考えてもあるじの方だ。目もぼんやりとしていて未だに上手く焦点が合っていない。
「そうかそうかー。最近キノが家事の手伝いしてくれるから熱でもあるのかと思ったわ」
「全くもーですよ!私だってやるときはやるとき女ですよー」
私が家事をするってそんなに珍しいことなのだろうか。
確かにあの日まではサボりまくっていたと思う。
最近は結構頑張ってたつもりなんだけどなぁ。
「冗談だって! 本当は知ってるよ。キノが陰ながら頑張ってくれてること。いつもありがとうね」
「わ、わかればいいんですよ! それじゃあ、私は行きますからねー」
私は少し早足でその場を離れたのだった。
──〇〇〇〇──
私にとって美人として産まれて来た事は何よりも大きな財産だった。
『可愛いは正義』
かつての初代勇者が言ったとされる言葉だ。
私はその言葉に大賛成だ。
何故か。当然事実だからである。
私は美人ともてはやされ生きてきて、損をしたことがなかった。
私の事を悪く言う女は数多くいたけれど、そんな妬みに耳を貸す必要はない。
それに男はみんな私の思い通りに動いてくれる。
生まれた身分は平民だったけれど、きっといつかは貴族の目にも止まるだろう。
そんな事を思っていたのだ。
だから、村の女共に売られて奴隷商店の檻に放り込まれた時の絶望と言えば計り知れないものだった。
目の前の檻の中にいる歳の近い女は最早死にかけで、隣の檻からは毎晩啜り泣く声が聞こえてくる。
頭がおかしくなるかと思った。
そんな生活が1ヶ月ほど経った頃、目の前の檻の女が死んだ。足を捕まれ引きずられていく死体を今でも覚えている。
更に1ヶ月後、隣の女が売られた。
夜静かになったのは良かったが、何故私ではなくそちらを選んだのか。納得がいかなかった。
そこから1ヶ月後、つまり計3ヶ月の時を経て私は再び日の下を歩くことになった。
金髪と銀髪の女性2人組に連れられたのは3人の奴隷。
私の他には小さな犬耳の子供とエルフの女がいた。
私たちはおかしな袋に詰められたと思いきや、10秒も経たないうちに外に出された。
そこは先程までとは違った場所で目の前には男がいる。
なるほど、この人が雇い主か。
流石は宇宙人だ。例に漏れず、容姿をしており、不思議と惹き付けられるような魅力がある。
「私はキノです。同じくリシア様に拾ってもらいました。よろしくお願いします」
当たり障りのない自己紹介を済ました私は既に勝ちを確信していた。
トップが男ならチョロい。
一緒に入ってきたエルフも見た目は確かにいいが、所詮は亜人族。私の方がよっぽど価値がある。
私は春野翔太と名乗る男に気に入られるべく、行動を起こすのだった。
──2週間後
私は部屋にある本棚から適当に一冊抜き取り読書をしていた。
目の前ではエレナという一緒に入ってきたエルフの女が必死に働いている。
私はたった1週間で特権的地位を得たのだった。
あるじはどれだけ私がサボっていても何も言わない。
軽く釘は刺してくるものの、聴き逃して問題ないレベルだ。
美人に生まれてきてよかった。つくづくそう思う。
貴族のところに嫁ぐまでは男に体を許す気はなかったが、奴隷に堕ちた以上それも仕方ないかと思っていた。
しかし、うちのあるじに関してはその必要もなかった。日中は勇者と魔王に稽古をつけられ、夜は泥のように眠る。私にとっては非常に都合の良い主人だった。
「キノー、リシアと買い物行ってきてくれないか?」
「わかりましたー!」
働きたくはないが、買い物には行く。
当然だ。出会いがなければ意味がない。
私はリシア様の魔法袋に入って王都へと向かった。
「じゃあキノちゃんは日用品をお願いね、1時間後に集合」
「はい。リシア様」
ここからは自由時間だ。
私は店を回って必要なものを買い揃え、あるじに貰った魔法袋にそれらを収納して次の店へと向かって行く。
「貴族様か大商人様はいないかなぁ……きゃっ」
前を見ると男の人が立っている。
周りばかりを見ていたせいで気づかなかった。
「すみませんー! 前見てなくてー」
「ふーん」
私が謝ると男の人私の顔から足元までを一瞥した。
「今日はこいつでいいか」
「えっ?」
途端に男は私の手を掴むと物凄い勢いで路地裏へと引っ張り入れた。
「着いてこい」
何度も振り解こうとするが全然離れない。
「やめっ……! 離して下さい!」
私はそれでも精一杯の抵抗をした。
が、
「うるせえ!」
初め何が起こったのか分からなかった。
呆然とする中、確かに感じたのは左の頬が熱を帯びていること、奥歯が折れたということだった。
殴られた……?
しかも、顔を……?
私の抵抗がないのをいいことに男はぐんぐんと私を引っ張って行く。
その時私の中で何が音を立てて割れるような気がした。
美人として生まれてきたことは私にとって財産だ。
そう思っていた。
容姿が優れているだけで、人生は豊かになるのだと、そう信じていた。
なのに……この有様はなんだ。
美しさ故に私は奴隷に落とされ、今も殴られた上に攫われている。
私はもう美しさに二度も裏切らた。
分からない。
どうしてこうなる?
私が何か間違えたの?
それともそれが──運命?
「……」
「おい、うちの子になんかようか?」
「誰だ?」
「悪いけど返してもらうぞ」
突如現れたあるじは男の話も聞かず、腹に蹴りを入れると、私の手を掴み来た道を戻って行く。
その手は冷たいはずなのに何故か温かく感じられる優しい握りだった。先程の男とは雲泥の差だ。
「怪我してるじゃんか。痛む?」
「いえ、平気です……」
「なんだ? 珍しくしおらしいな」
……そうかもしれない。初めこそ真面目に働いてはいたものの、最近では礼儀さえ弁えなくなっていた。
「あるじ……私って美人だと思いますか?」
「ん? まあ、そうだな。美人というか、可愛い顔をしてるとは思うよ」
「ありがとうございます」
当たり前のことのように、あるじは言う。
「でも私は二度も裏切られてしまったんです」
「何にだ?」
「その、美しさです」
「何言ってんだよ、可愛いは正義だぜ? 美しさは尚のこと裏切らねぇよ」
「でも……」
「もし裏切られたと思うならそれは可愛さのせいじゃねぇな」
「違います! だって私は──」
泣きつくように。
みっともなく、私はあるじに奴隷になった経緯を語った。
幸せになれるだけの素質があって尚、私がこんな運命を辿った訳を。
「そりゃあ、災難だったな。けど、敢えて厳しいことを言わせてもらうなら、やっぱりそれは可愛さのせいなんかじゃない」
あるじはきっぱりとそう言い切った。
私の過去を聞いても、その意見を変えることはなかった。
「だったら、私の何がいけなかったんですか? どうして私ばかりがこんな目に遭うんですか?」
「心の醜さ。つまり、お前の心がブスだったんだろ? 俺のいた世界じゃ美人ほど性格は悪いってよく言われてるしな」
「私がブス……」
そんな事、初めて言われた。
そんなの絶対に有り得ない。そう言いたかった。
けど、私はその言葉を聞いて、納得してしまったのだ。
私が村の女に売られたのは村の女と友好的な関係を築けなかったからだ。それは彼女等の妬みが原因というのもあるだろう。
けれど、確かに私は嗤っていたのだ。私より劣ると見下していた。
さっきもそうだ。
都合のいい仕事だけ引き受けて、挙句にはキョロキョロと男を探していたのだから。
思えば、男の人から厳しいことを言われたのはこれが初めてかもしれない。この容姿のお陰でチヤホヤされてきた私は、男という存在を見下していた。
けれどあるじは私の見た目を認めた上で、厳しい言葉をくれた。外見だけでなく、中身を見てくれたのだ。
そんな彼の言葉はきっと誰よりも正しい。
「私、確かにブスかもしれません」
「ははっ! やっぱり? 大腸小胞体みたいな顔してるもんな」
「それは殴られて腫れただけです! 顔は美人ですよ!」
「そっか、そっか」
あるじはケラケラと楽しそうに笑う。
「あるじ? もしですよ? 私の顔が一生このままだったらどうしますか?」
「どうしますかって何だよ。漠然とし過ぎてて答えが見つかんねぇよ」
「私の事追い出したり、捨てたりしませんか?」
「するわけないだろ? 何言ってんだ? お前」
「だって、私、仕事サボりますよ?」
「自覚してるなら働いてくれよ……」
「美人じゃなくて、働かない私に価値なんてないですよ? どうして捨てないんですか?」
「何をそんなに思い詰めてんだ? 全く……言っただろ? 俺は家族としてお前を迎え入れたんだ。家族が例え美人じゃなくなったって捨てたりしないのは当然だ」
「そうですか……」
ああ、やっぱりこの人はそうなんだ。
私はずっと勘違いしていたんだ。
美人として生まれてきたことは確かに価値のあることで、私の財産だ。
けれど、そんなこと、この人にとってはなんの関係もなかったんだ。
私がサボっていても怒られなかったのは可愛さのお陰なんかじゃない。
家族に無理強いはしない。たったそれだけの事だったんだ。
私が買われてあるじと出会った初日。
夕飯はあるじが作ってくれた鍋だった。
流石の私でも奴隷と主人が同じ鍋を囲むなど異例中の異例であることはわかっていた。
だから残り物をもらえるのだろうと思って許可が出るまで3人とも待機していたら、あるじは怒ったのだ。
「お前らは家族と飯を食う時も許可を取るのか?」と。
その時はそう言われても動けなくて、結局あるじが全員分取り分けてくれたんだっけ。
「あるじ、私これからも仕事サボりますけどそれでもずっとそばに置いてくれますか?」
「いやそこは働けよ。けど、約束はしよう。俺たちはみんなずっと一緒だ」
そう言ってあるじは微笑むと私の左頬に手を当てた。
「えっ……」
不意の行動でつい間抜けな声が出る。
けれど嫌な感じはしなかった。
冷たい手が頬に触れることで、相対的に自分の顔が熱を帯びていることを自覚する。
私は自らの感情に任せるがまま瞳を閉じ……
「【ヒール】……どうだ?治ったか?」
「……っ!!! あるじの馬鹿ー!」
キス、されるかと思った!
まったく、噂どおり宇宙人というのはズルい生き物だ。
いつまでたってもあるじには適いそうにない。
こうして心に逸物を抱えてしまった私は、しばらく買い物もサボろうと決心するのだった。
──〇〇〇〇──
はて、この時の私はどちらの理由で買い物をサボろうと思ったのだろう。
意地悪された仕返しか、それとも買い物に行く理由がなくなったからか。
実は今でもよくわかっていない。
ただ知りたいと思う自分はいるのだ。
──この心の示す答えは……
私は紅茶にカーネーションの花蜜を加えるとゆっくり階段を降りて行った。
カーネーションと言えば母の日ですけれど、あの花も色によって様々な花言葉があるらしいですね。




