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刻々と



「なあ、理沙どうしよう。キノが金髪色黒ガムくちゃくちゃの髭サングラスの鼻ピアス連れてきたらどうしよう!」


 えぐえぐと涙を零す翔太を抱いて、ぽんぽんと背中を叩く理沙。その背中にはリシアが縋り付いている。


 エレナは吐き疲れて眠っているのが不幸中の幸い。

 結局、理沙が夜通し2人の介護をすることになったが、3人よりはマシだと思うべきだろうか。3人とももう少し家族離れするべきだ。家族とは巣立つものだと、そう理沙に語ったときの翔太は見る影もなく、まるで子供のように泣いている。


「ほら、お鼻チーンしてください」


「ちーん」


「まったく。少しは祝福する心も持ってあげないとキノ先輩が報われませんよ。恋人ができるということは、とてもめでたいことなんですから」


 呆れたように窘める理沙。

 とはいえ、内心では彼女自身も驚いてた。

 そして、キノに彼氏ができたということに半信半疑でもある。


 ──キノ先輩が彼氏を作るなんてこと、本当にあるのかな。私はてっきり翔太先輩が好きなんだと思ってたけど。


 キノと理沙は昔から仲が良い。

 普段は適当でサボり魔のキノではあるが、意外と面倒見はよく、甘えたがりな気質を持つ理沙とは相性がよかった。だからキノのことは、他の家族よりも少しだけ詳しいつもりでいる。


 理沙相手にも、キノが翔太について語ることはほとんどない。彼女が自分について語ることを得意としていないこともあるが、翔太については語りたがらないのだ。

 だが、それはキノが翔太を嫌っているということではなく、むしろその逆。好意ゆえの恥じらいであると、理沙はそう考えていたのだ。だから正直、他の男と恋人になるキノというのは、想像できない。

 

「きっとただの友達ですよ」


「友達!? 友達なのにキノを一晩帰さなかったのか!? 嘘だろ、おい。責任取れよ! ちゃんと結婚して幸せにしろよおおお」


「何を言ってもキレるじゃないですか……。キノ先輩を信じましょうよ。あの人はそんな、軽い人じゃないですよ」


「あ? 何言ってんだよ。キノなんて昔仕事サボって男漁りしてたんだからな」


「え、初耳なんですけど。マジですか? それ」


「結構マジ」


「ええぇ……」


 理沙は戸惑いと驚きを交えたような顔をする。

 キノはあまり異性に対して積極的な様には見えなかったが、まさかそんなことをしているとは……。


 しかし、翔太の言うことは事実であり、黒の方舟に所属したばかりの頃、一度だけトラブルを起こしている。それ以来、キノが男を探しに行くことはなくなったが、そういう過去があるのも事実なのだ。


「まあ、キノの場合は男の持つ肩書きの方が大事みたいだけどな」


 貴族とか大商人とかと結婚して、金と権力を手にしたいのだと、彼女は語っていた。黒の方舟に所属していると忘れそうになるが、彼女は一応奴隷という立場である。

 裕福な暮らしはできている。だが、権力自体はない。そのことに不満を持っているのであれば、彼女が家を出ることになってもおかしくはないだろう。


「ぐすっ。ううぅー」


「はぁ……」


 翔太の話を聞いていると、必ずしも杞憂であるとは言い難くなってきた。翔太を慰めようにも、適当なことは言えない。理沙はこのめんどくさい先輩の扱いにいい加減疲弊してきた。


「今の翔太先輩を見てると、他の男に目移りする気持ちも分かりますね」


 一応は尊敬している先輩の情けない姿に、ついつい辛辣な言葉をかけてしまう。


「翔太先輩がこんなじゃなあ。私が他所で彼氏作るのも時間の問題かなあ」


「……? そうか」


 イラッ!


「なんですか、その反応の差はぁ!」


 ぽろぽろと涙を零す翔太の頬を摘んで引っ張り上げる理沙。まるで自分には興味が無いと言わんばかりの態度にイライラが募るが、当の本人はただされるがままの状態で、抵抗すらしない。


「私には彼氏できないと思ってるんですか? できますよ? 私、モテますからね?」


「…………。」


 翔太は何も言わない。

 そんな態度に腹が立つ。理沙は比較的温厚なタイプではある。だが一晩翔太たちに付き合っていた疲弊もあり、自分でも分かるほど機嫌が悪くなっていた。

 今だってこんなに尽くしてやっているというのに、考えているのはキノのことばかり。

 自分が眼中にない存在だと言われているようで、気分が悪い。


「はあ……。もういいです。私、行きますから」


 空には日が昇ってだいぶ経つ。

 他の家族達も起き始め、そろそろ朝食を摂る時間だろう。理沙は翔太を置いてベッドから立ち上がろうとするが、それを止めるように、背中へと回された翔太の腕が、強く絡んだ。


「……行かないで欲しい」


 それは呟くような、小さな声だった。

 いつもの翔太からは想像もできないような、弱くて小さな声。


 その声が耳朶に触れた時、ぞくりと身を震わせるような快感が理沙を襲った。それと同時に、翔太から流れ込んでくる熱。重く、気だるくなるくらいの想いが、理沙に纏わりつく。


「……………。仕方ないですね。翔太先輩は私がいないとなーんにもできないんですから」


 それは『嫉妬』。そしてそこから生まれた『独占欲』だ。

 翔太の心に渦巻くそれが、まるで伝染するかのように理沙へと流れてくる。理性を蝕み肥大化する感情の起伏に気付きながらも、弱った翔太が自分に依存する姿に悦びが抑えられない。


 呪い。

 嫉妬の魔王による精神汚染の呪い。

 黒の方舟は魔王選定戦の渦中へと引きずり込まれていく。

 



──○○○○──




 少し時間を遡って、場所はミツガー家。

 数時間馬車に揺られたキノ達は、日が落ち始めた頃に屋敷へと辿りついた。

 ガーデニングに興味を持っていたキノと、キノに興味を持っていたサーレルでは、気持ちに大きな齟齬があったのだが、存外手応えは悪くなかった。

 食事やちょっとした寄り道を重ねていくうちに、キノも彼との交友を純粋に楽しんでいくようになったからだ。


「夕食の準備ができ次第メイドに案内させるから、それまで部屋で休んでいてくれ」


「わかりました」


 客室に案内されたキノはベッドへと腰掛ける。

 キノはあまり寝具に対してこだわりを持つ方ではないが、それでも今自分の座るベッドが高級品であることはすぐにわかった。


 キノは以前、一度だけ翔太の部屋のベッドで眠ったことがある。『寝落ちチェス』と翔太が名付けたエンドレスゲームを行ったときに、そのまま彼の部屋で眠ってしまったのだ。

 その時はほとんど気絶のようなもので、あまり覚えてはいないが、今座っているベッドは翔太が使っているベッドと比べても遜色ない。

 ネギまから譲り受けた羽毛で作られたベッドは、素人の手作りにも関わらず、極上の寝心地だった。


「今日はぐっすり眠れそうですねー」


 長時間の場所移動で、少し疲労が溜まっている。

 正直に言ってしまえば、今からでも寝れるほどだ。

 黒の方舟の一員になってからは、毎日風呂に入る習慣がついたものの、元々が村娘のキノにとって、一日や二日風呂に入らないくらいどうってことない。むしろ、この世界の常識で考えれば、黒の方舟は些か潔癖過ぎる。たとえ貴族でも、入浴は一週間に一度程度が普通だ。


「あ、でも貴族の御屋敷のお風呂は見てみたいかもですねー」


 キノにとって、貴族の屋敷というのは、憧れのひとつ。可能であれば散策でもしてみたいくらいだ。

 明日になれば、いよいよ庭園も見ることができる。

 それをキノは純粋に楽しいと感じていた。黒の方舟に所属してからは、家族以外の人間と関わることがめっきり減っていたが、たまにはこうして趣味の同じ友人と語り合ったり、するのも悪くない。


「ん〜〜」


 今頃、家族たちは何をしているだろう。

 そんなことを考えながら、キノは大の字でベッドに寝転んだ。


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